正『韓詩章句』10余万字、純粋な学者との評蜀書 巻12 §21蜀書 巻12 §102
演直接の記録なし — 議曹であることから推定第80回 §37
杜瓊は字を伯瑜といい、蜀郡成都県の人である。若くして任安に学び、その術を深く究めた。劉璋の時に従事となり、劉備が益州を平定すると議曹従事となり、後主劉禅が即位したのちは諫議大夫を経て左中郎将・大鴻臚・太常に移った。 正史 蜀書 巻12 §18
物静かで口数が少なく、門を閉ざして世事に関わらず、学業は深かったが天文を見て論じることはなかった。譙周の問いに答えて「当塗高」と官職名の「曹」を解き明かし、譙周はのちにその言葉を広げて劉備と後主の名を解釈した。延熙13年(250)、80余歳で死去した。 正史 蜀書 巻12 §18–21 · 24
正史を著した陳寿は評で「杜瓊は沈黙で慎密」とし、周群とともに純粋な学者に数えた。演義では第80回で漢中王に大礼を請う官員たちの中に「議曹杜瓊」として初めて登場し、全120回のうち4回に登場するが、回目に名は見えない。 正史 蜀書 巻12 §102演義 第80回 §37
杜瓊は字を伯瑜といい、蜀郡成都県の人である。若くして任安に学び、任安の術を深く究めた。劉璋の時に招かれて従事となり、劉備が益州を平定して益州牧を兼ねると、杜瓊を議曹従事とした。同じ蜀郡の何宗も任安に学んで杜瓊と師を同じくしたが、陳寿は何宗の名声が杜瓊より高かったと記している。 正史 蜀書 巻12 §18正史 蜀書 巻15 §52
建安25年(220)、曹丕が皇帝を称し、漢の皇帝が殺害されたという噂が伝わると、各地から瑞兆の報告が相次いだ。そこで議郎劉豹・青衣侯向挙・偏将軍張裔・黄権、治中従事楊洪、従事祭酒何宗、議曹従事杜瓊、勧学従事張爽・尹黙・譙周らが、河図・洛書や五経の讖緯を引いて、劉備に帝位に即くよう請う上書を奉った。 正史 蜀書 巻2 §55–56
後主劉禅が即位すると、杜瓊は諫議大夫に任じられ、左中郎将・大鴻臚・太常に移った。人となりは物静かで口数が少なく、門を閉ざして自らを守り、世事に関わらなかった。蒋琬・費禕らはみな彼を重んじた。 正史 蜀書 巻12 §18
建興12年(234)8月、諸葛亮が陣中で死ぬと、後主は詔を下し、使持節・左中郎将杜瓊を遣わして諸葛亮に丞相・武郷侯の印綬を追贈し、忠武侯と諡した。 正史 蜀書 巻5 §38–40
杜瓊は学業が深い境地に達していたが、もともと天文を見て論じることはなかった。後進の通儒譙周がいつもその意を尋ねると、杜瓊は、この術を明らかにするには必ず自ら見て形と色を見分けねばならず、人を信じてはならない、朝も夜もひどく苦労してようやく分かるが、今度は漏れることを憂えねばならず、知らないほうがましである、だから二度と見ないのだと答えた。 正史 蜀書 巻12 §19
譙周が、昔周徴君が「当塗高」を魏としたのはどういう意味かと尋ねると、杜瓊は、魏とは闕の名で、道に当たって高くそびえているので、聖人が類を取って言ったのだと答えた。また、昔は官職の名に曹を用いなかったが、漢以来はみな曹を用い、役人は属曹、兵卒は侍曹というのは、おそらく天意であろうと言った。 正史 蜀書 巻12 §19–20
杜瓊は80余歳で延熙13年(250)に死去した。『韓詩章句』10余万字を著したが、息子たちに教えなかったため、その内学を受け継いだ者はいなかった。 正史 蜀書 巻12 §21
譙周は杜瓊の言葉を手がかりに類例を広げ、劉備の諱「備」は「そなわる」、後主の諱「禅」は「授ける」という意味であり、劉氏はすでにそなわったので人に授けるべきだと言っているようなものだとした。景耀5年(262)に宮中の大木がゆえなく自ら折れると、譙周は柱に「衆にして大、期して会す。具わりて授く、いかにして復さん」と書きつけ、蜀が滅ぶと人々はみなその言葉が当たったと考えた。譙周は、これは杜君の言葉を広げたにすぎないと言った。 正史 蜀書 巻12 §21–24
陳寿は評で、周群は天を占って験があり、杜瓊は沈黙で慎密であって、学者の中の純粋な者であるとした。 正史 蜀書 巻12 §102
演義第80回で、曹丕が漢の帝位を簒奪すると、諸葛亮が屏風を一打ちするのを合図に文武の官員が入ってきてひれ伏し、漢中王に日を選んで大礼を行うよう請う。演義は許靖・麋竺・楊洪・頼恭・黄権・何宗・尹黙・譙周らとともに、その中に「議曹杜瓊」を記す。 演義 第80回 §37
第85回、建興元年(223)秋8月、魏が五路の大軍で攻め寄せるという急報が来るが、諸葛亮は病と称して何日も出てこない。後主劉禅は黄門侍郎董允と諫議大夫杜瓊を丞相府へ遣わすが、二人は中に入れない。杜瓊は、先帝は丞相に幼い子を託したのに、主上が位に即いたばかりで五路の軍が国境を侵しているいま、なぜ病と称して出てこないのかと言う。 演義 第85回 §35–37
翌日、官員たちが朝から夕方まで待っても諸葛亮が出てこないので、杜瓊は入って後主に、自ら丞相府へ行って計を問うよう奏上する。後主は官員たちを率いて皇太后に申し上げたのち、翌日車駕に乗って自ら丞相府へ行く。 演義 第85回 §38–40
第91回で諸葛亮は出師表を奉って北伐に出るにあたり、郭攸之・董允・費禕らを侍中として残し、杜瓊を諫議大夫、杜微・楊洪を尚書、譙周を太史とするなど、内外の文武官僚100余人に蜀の政務をともに治めさせる。 演義 第91回 §40
第100回で演義は杜瓊を武将として描く。諸葛亮は魏延・張嶷・杜瓊・陳式を箕谷へ、馬岱・王平・張翼・馬忠を斜谷へ出し、祁山で合流させる。陳式は鄧芝の制止を聞かずに兵5千を率いて先に進み、伏兵に遭って大敗するが、魏延が彼を救って谷へ戻り、追ってくる魏軍は杜瓊と張嶷が兵を率いて迎え撃つと退く。 演義 第100回 §3 · 9–13
諸葛亮が再び祁山に出て軍をねぎらうと、魏延・陳式・杜瓊・張嶷が幕舎に入ってひれ伏し罪を請う。陳式が魏延に責任をなすりつけると、諸葛亮は将令に背いたとして陳式を斬る。演義で杜瓊が登場するのはこれが最後である。 演義 第100回 §25–26
即位の勧め:演義第80回で杜瓊は、諸葛亮の合図で入ってきてひれ伏し大礼を請う官員たちの中に「議曹」として名が見える。正史では議曹従事杜瓊が何宗・楊洪・譙周らとともに、河図・洛書や讖緯を引いて劉備に帝位に即くよう請う上書を奉った。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻2 §55–56
五路の軍:演義第85回で諫議大夫杜瓊は董允とともに丞相府へ行き、後主劉禅に自ら諸葛亮を訪ねるよう奏上する。正史の杜瓊伝にはこの件はない。 演義 第85回 §36–38正史 蜀書 巻12 §17–24
箕谷への出陣:演義第100回で杜瓊は、魏延・陳式・張嶷とともに箕谷へ出て、陳式を追う魏軍を迎え撃って退ける武将として登場する。正史の杜瓊伝には兵を率いた事績はなく、人となりは物静かで口数が少なく、門を閉ざして世事に関わらなかったと記す。 演義 第100回 §3 · 13正史 蜀書 巻12 §18
諸葛亮の諡:演義第105回では、後主が詔を下して祭祀を行い忠武侯と諡したとだけあり、杜瓊は登場しない。正史では後主が使持節・左中郎将杜瓊を遣わし、諸葛亮に丞相・武郷侯の印綬を追贈して忠武侯と諡した。 演義 第105回 §26正史 蜀書 巻5 §40
学問と天文:演義には杜瓊の学問は出てこない。正史では任安に学んでその術を深く究め、学業は深かったが天文を見て論じることはなく、譙周に「当塗高」と「曹」を解き明かした。『韓詩章句』10余万字を著した。 演義 第80回 §37演義 第85回 §37演義 第91回 §40演義 第100回 §3正史 蜀書 巻12 §18–21
死:演義で杜瓊は第100回を最後に登場せず、死も記されない。正史では延熙13年(250)に80余歳で死去した。 演義 第100回 §25正史 蜀書 巻12 §21
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正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正『韓詩章句』10余万字、純粋な学者との評蜀書 巻12 §21蜀書 巻12 §102
演直接の記録なし — 議曹であることから推定第80回 §37
正門を閉ざして世事に関わらず、漏洩を恐れて天文を見なかった蜀書 巻12 §18蜀書 巻12 §19
演直接の記録なし — 陳式の敗戦を免れた事績から推定第100回 §25
正直接の記録なし — 文官の経歴から推定蜀書 巻12 §18
正蒋琬・費禕らがみな彼を重んじた蜀書 巻12 §18
演直接の記録なし — 諫議大夫であることから推定第85回 §36
正直接の記録なし — 学者であることから推定蜀書 巻12 §18
演直接の記録なし — 箕谷へ出陣した武将であることから推定第100回 §13
正「当塗高」を闕の名として解き、官名の「曹」の字を指摘蜀書 巻12 §20
演直接の記録なし — 箕谷出陣の事績から推定第100回 §9
正直接の記録なし — 大鴻臚・太常の歴任から推定蜀書 巻12 §18
演直接の記録なし — 諫議大夫の職から推定第91回 §40
正物静かで口数が少なく、沈黙で慎密との評蜀書 巻12 §18蜀書 巻12 §102
演先帝の託孤を挙げ、病と称する丞相を問いただした第85回 §37
正学問を息子たちに教えず、受け継ぐ者がいなかった蜀書 巻12 §21
演直接の記録なし — 事績から推定第85回 §38
正名手 +25 任安の術を深く究め、天文観測の道理を説いた蜀書 巻12 §18蜀書 巻12 §19
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。