正評:隠れ静かに暮らし、伯夷・四皓の節操に近い蜀書 巻12 §102蜀書 巻12 §2
演直接の記録なし第91回 §40
杜微は字を国輔といい、梓潼郡涪県の人である。若くして広漢の人任安に学び、劉璋に招かれて従事となったが、病のため官を去った。先主劉備が蜀を平定すると、つねに耳が聞こえないと称して門を閉ざして出なかった。 正史 蜀書 巻12 §2
建興2年(224)、益州牧を兼ねた丞相諸葛亮は彼を主簿とし、輿に乗せて連れて来させた。諸葛亮は二度書を書いて彼を引き留め、最後には諫議大夫に任じて彼の意志に従った。 正史 蜀書 巻12 §3 · 5 · 7
陳寿は評で、彼は身を修めて隠れ静かに暮らし、当世に使われなかったので、伯夷と四皓の節操に近いとした。演義には第91回に一度登場し、諸葛亮が北伐に出るにあたり残して蜀の政務を治めさせた官僚の中に尚書として名が見える。 正史 蜀書 巻12 §102演義 第91回 §40
杜微は字を国輔といい、梓潼郡涪県の人である。若くして広漢の人任安に学んだ。劉璋に招かれて従事となったが、病のため官を去った。先主劉備が蜀を平定すると、杜微はつねに耳が聞こえないと称して門を閉ざして出なかった。 正史 蜀書 巻12 §2
建興2年(224)、丞相諸葛亮は益州牧を兼ねると、旧徳のある人々を精選して迎え、秦宓を別駕、五梁を功曹、杜微を主簿とした。杜微が固辞すると輿に乗せて連れて来た。諸葛亮が杜微を引見すると、杜微は自ら事情を述べて辞退した。 正史 蜀書 巻12 §3
諸葛亮は杜微が人の言葉を聞き取れないというので、その場で書を書いて与えた。あなたの徳行を聞いて飢え渇くように慕って久しいが、清と濁とは流れを異にするため訪ねる縁がなかった、王元泰・李伯仁らがいつもあなたの高い志を讃えるので、会ったことはなくとも旧友のようであった、というのである。 正史 蜀書 巻12 §3
書は続けて、徳は薄く任は重いのに州を統べることになって憂えていると述べ、朝廷の主公は今年ようやく18歳で、生まれつき仁愛で聡明であり、徳ある者を愛し士にへりくだると言った。天下の人々は漢室を慕っており、あなたとともに天に因り民に順ってこの明主を補佐したいと思うのに、あなたは賢者と愚者はともに謀らないと考えて自ら交わりを絶ち、身を屈しようとしないのだろう、と述べた。 正史 蜀書 巻12 §4
杜微が自ら老いと病を理由に帰郷を願うと、諸葛亮は再び書を書いて答えた。曹丕は簒奪と弑逆によって自ら皇帝となったが、それは土で作った竜や藁で編んだ犬のように名ばかりのものである、いま曹丕は呉・楚に向かって大いに労役を起こしているから、しばらく国境を閉ざして農耕に励み、民を養い、甲冑と武器を整えて彼がくじけるのを待ってから討てば、兵は戦わず民は労せずして天下を平定できる、というのである。 正史 蜀書 巻12 §5
諸葛亮は「あなたはただ徳によって時世を助けてくださればよく、軍事を任せるつもりはないのに、どうしてそれほど急いで去ろうとなさるのか」と書を結んだ。陳寿は、諸葛亮が杜微を敬うことはこのようであったと記している。諸葛亮は彼を諫議大夫に任じて、その意志に従った。 正史 蜀書 巻12 §6–7
陳寿の本文は、杜微がいつどのように死んだかを記していない。巻12末尾の評で陳寿は、杜微は身を修めて隠れ静かに暮らし、当世に使われなかったので、伯夷と四皓の節操に近いとした。 正史 蜀書 巻12 §1–7 · 102
演義第91回で、南方を平定して戻った孔明(諸葛亮)が上表して北伐に出ようとすると、太史譙周は天象を挙げて止めるが、孔明は従わない。孔明は郭攸之・董允・費禕らを残して宮中のことを総攬させ、杜瓊を諫議大夫、杜微と楊洪を尚書とするなど、内外の文武官僚100余人にともに蜀の政務を治めさせる。出兵の日は建興5年(227)春3月丙寅の日と定められる。 演義 第91回 §39–40 · 43
演義で杜微の名が出るのはこの一節だけであり、字・出身や耳が聞こえないと称したことは描かれない。 演義 第91回 §40
官職:演義第91回で杜微は楊洪とともに尚書となる。正史の杜微伝では、諸葛亮は彼を主簿としたのち諫議大夫に任じており、尚書となった記録はない。 演義 第91回 §40正史 蜀書 巻12 §3 · 7
任命の時期:演義は杜微の任命を建興5年春の北伐出兵を前にしたこととして描く。正史で諸葛亮が彼を迎えたのは、建興2年(224)に益州牧を兼ねた時のことである。 演義 第91回 §40 · 43正史 蜀書 巻12 §3
諸葛亮の書:正史で諸葛亮は、耳が聞こえないという杜微にその場で書を書いて与え、帰ろうとする彼を再び書で引き留める。演義には杜微が耳が聞こえないと称したことも、諸葛亮の二通の書も出てこない。 正史 蜀書 巻12 §3–6演義 第91回 §40
ともに選ばれた人:正史で杜微が主簿となった時、秦宓が別駕、五梁が功曹としてともに選ばれた。演義第91回で杜微と並んで名が見える尚書は楊洪である。 正史 蜀書 巻12 §3演義 第91回 §40
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正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正評:隠れ静かに暮らし、伯夷・四皓の節操に近い蜀書 巻12 §102蜀書 巻12 §2
演直接の記録なし第91回 §40
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。