演義の場面
諸葛亮安居平五路
事件紹介
「諸葛亮安居平五路」は、演義第85回の回目「劉先主遺詔託孤児、諸葛亮安居平五路」の後半の場面である。劉備が死ぬと、曹丕は司馬懿の計略どおり、軻比能・孟獲・孫権・孟達・曹真の五路50万の大軍で蜀を攻めようとする。諸葛亮は病を口実に丞相府に籠もっていたが、自ら訪ねてきた後主劉禅に、四路はすでに退けたと明かし、残る呉を説くための使者として鄧芝を選ぶ。 演義 第85回 §30–33 · 40–51
陳寿の本文には、魏が五路から蜀を攻めた事はない。後主伝は、建興元年(223)に張氏を皇后に立て、尚書の鄧芝を呉に遣わして友好を固めたと記し、鄧張宗楊伝は、孫権が異心を抱くことを憂えていた諸葛亮に、鄧芝が使者を送るよう進言したと記す。 正史 蜀書 巻3 §4正史 蜀書 巻15 §3–4
演義の描写
演義第85回で、劉備が死んだと聞いた曹丕はすぐに蜀を攻めようとし、賈詡は諸葛亮が幼い君主を支えるだろうと言って止める。司馬懿は、遼東の鮮卑王軻比能、南蛮の孟獲、呉の孫権、上庸の孟達を動かし、曹真に陽平関を攻めさせて五路から挟み撃ちにしようと言い、曹丕はこれに従う。 演義 第85回 §30–33
建興元年(223)秋8月、五路の軍が来るという急報にも諸葛亮は何日も出てこず、董允と杜瓊も丞相府に入れない。後主が自ら訪ねると、諸葛亮は小さな池のほとりで竹の杖にもたれて魚を見ていたが、馬超に西平関を守らせ、魏延に疑兵を用いさせ、李厳の筆跡で孟達に書簡を送り、趙雲に陽平関を守らせたと申し上げる。関興と張苞にもそれぞれ3万を率いて各路を救援させるようにしてあった。 演義 第85回 §35–45
諸葛亮は、孫権は曹丕の侵攻を恨んでいるから動かないだろうと見ながらも、呉を説く弁の立つ者がいないのでためらっていたと言う。後主を見送る時、官僚の中でひとり笑っている鄧芝を見た諸葛亮は、彼を呼んでどの国を先に討つべきかと問い、呉と手を結ぶべきだという答えを聞くと、呉への使者とする。 演義 第85回 §46–51
演義と異なる点
鄧芝の選任:演義第85回で、諸葛亮は笑みを浮かべた鄧芝に目を留め、別に呼んで考えを探る。正史の鄧張宗楊伝では、孫権が異心を抱くことを憂えていた諸葛亮のもとへ鄧芝が自ら訪ね、使者を送って呉との友好を固めるべきだと言い、諸葛亮はその人こそあなただと答える。 演義 第85回 §48–50正史 蜀書 巻15 §3–4
後主の皇后:演義第85回で、諸葛亮は後主の即位後、17歳になる張飛の娘を皇后に迎えるよう申し上げる。正史の二主妃子伝は、張飛の長女は章武元年(221)にすでに太子妃となっており、建興元年(223)に皇后に立てられたと記す。 演義 第85回 §34正史 蜀書 巻4 §13
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