劉瑤

正史演義 蜀 Liu Yao유요刘瑶

プロフィール
職業正その他 · 安定王 演その他 · 侯爵所属蜀
登場正演収録
出生出身地涿郡 涿県 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

劉瑤は蜀漢の後主の子である。陳寿の本文には独立した伝がなく、後主伝に一度登場する。延熙元年(238)春正月、後主は子の劉璿を太子に、劉瑤を安定王に立てた。 正史 蜀書 巻3 §19

陳寿の本文はその後のことを記さない。後主の妻妾と子を載せる二主妃子伝にも彼の項目はなく、蜀が滅んだのち洛陽で侯に封じられた後主の子孫も名が明らかにされていない。彼が登場する後主伝の評は後主を論じるだけで、彼を扱っていない。 正史 蜀書 巻4 §16–25正史 蜀書 巻3 §52–53

演義では第118回に後主の七人の子のうち次男として名が出て、全120回のうち第118・119回の2回に登場するが、回目に名が見える回はない。演義は安定王に封じられたことを記さず、第119回で洛陽に着いた後主が安楽公に封じられた際、彼も臣下の樊建・譙周・郤正らとともに侯爵に封じられたと記す。 演義 第118回 §4演義 第119回 §25–26

正史の記録

延熙元年(238)春正月、後主は張氏を皇后に立て、大赦して改元した。このとき子の劉璿を太子に、子の劉瑤を安定王に立てた。その年の冬11月には大将軍蒋琬が出て漢中に駐屯した。 正史 蜀書 巻3 §19

二主妃子伝は、同じ月に後主が策文を下して劉璿を皇太子に立てたと記し、その母がもとは敬哀張皇后の侍女であった王貴人で、このとき15歳であったことを明らかにしている。しかし二主妃子伝の皇子の項は、先主の子の劉永・劉理と後主の太子劉璿だけを載せ、劉瑤の母と年齢は記していない。 正史 蜀書 巻4 §16 · 24–25

後主の他の子たちも後主伝で次々と王に立てられている。延熙15年(252)には劉琮を西河王に、19年(256)には劉瓚を新平王に、景耀2年(259)夏6月には劉諶を北地王に、劉恂を新興王に、劉虔を上党王に立てた。陳寿の本文はこれらの子の長幼の順を明らかにしていない。 正史 蜀書 巻3 §32 · 36 · 39

景耀6年(263)冬、後主は光禄大夫譙周の策を用いて鄧艾に降伏し、この日、北地王劉諶は国が滅んだことを悲しんで、まず妻子を殺してから自ら命を絶った。後主は一家を挙げて東の洛陽に移り安楽県公に封じられたが、陳寿は子孫のうち三都尉となったり侯に封じられたりした者が50人余りいたと記すだけで、劉瑤の名は挙げていない。 正史 蜀書 巻3 §43 · 46 · 48 · 52

劉瑤が登場する後主伝の評で、陳寿は、後主は賢相に任せていたときは理に従う君主であったが、宦官に惑わされると暗愚な君主になったと論じるだけで、劉瑤を扱っていない。 正史 蜀書 巻3 §53

演義の描写

演義第118回で、鄧艾が綿竹を奪い諸葛瞻父子がすでに死んだという知らせが成都に届くと、官員たちは南中の七郡へ逃れるか、呉に身を寄せるかを議論する。光禄大夫譙周は、呉に身を寄せるより魏に降るほうがよいと言い、翌日さらに上疏して諫める。後主が譙周の言に従って出て降伏しようとすると、屏風の後ろから五男の北地王劉諶が出てきて譙周を叱りつける。 演義 第118回 §1–4

演義はこの場面で後主の七人の子を挙げる。長男は劉璿、次男は劉瑤、三男は劉琮、四男は劉瓚、五男が北地王劉諶、六男は劉恂、七男は劉璩である。七人の子のうちただ劉諶だけが幼い頃から聡明で英敏さが人に抜きんでており、残りはみな軟弱で柔順であったという。劉諶は、父子・君臣が城を背に一戦して社稷とともに死のうと泣いて諫めるが、後主は聞き入れず、近臣に命じて彼を宮門の外へ押し出させたのち、譙周に降伏の書を作らせる。 演義 第118回 §4–7

第119回で姜維・鍾会・鄧艾が死に、太子劉璿も魏の兵に殺される。賈充が先に到着して高札を掲げて民を安んじ、後主は洛陽に移される。洛陽に着いた後主を司馬昭は荒淫無道だと責めるが、文武の官員が早く降伏したのだから赦すべきだと奏上すると、彼を安楽公に封じる。子の劉瑤と臣下の樊建・譙周・郤正らもみな侯爵に封じられる。演義で劉瑤の名が出るのは、第118回とこの箇所の二度だけである。 演義 第119回 §22 · 25–26

演義と異なる点

兄弟と順序:演義第118回は後主の七人の子を、長男劉璿、次男劉瑤、三男劉琮、四男劉瓚、五男北地王劉諶、六男劉恂、七男劉璩として挙げる。陳寿の本文の後主伝には劉璿・劉瑤・劉琮・劉瓚・劉諶・劉恂・劉虔を太子や王に立てた記録があるだけで兄弟の順序はなく、劉璩は登場しない。 演義 第118回 §4正史 蜀書 巻3 §19 · 32 · 36 · 39

安定王:正史では劉瑤は延熙元年(238)春正月に安定王に立てられた。演義は第118回と第119回に名を二度挙げるだけで、彼が安定王に封じられたことは記していない。 正史 蜀書 巻3 §19演義 第118回 §4演義 第119回 §26

人となり:演義第118回は、七人の子のうち劉諶だけが聡明で英敏であり、残りはみな軟弱で柔順であったと記す。陳寿の本文には劉瑤の人となりは記されていない。 演義 第118回 §5正史 蜀書 巻3 §19

洛陽での爵位:演義第119回は、後主の子劉瑤が臣下の樊建・譙周・郤正らとともに侯爵に封じられたと名を挙げて記す。正史の後主伝は、後主の子孫のうち三都尉となったり侯に封じられたりした者が50人余りいたと言うだけで名を明かさず、列侯に封じられた臣下としては樊建・譙周・郤正を含む五人を挙げる。 演義 第119回 §26正史 蜀書 巻3 §52

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3531−4
  • 武力3331−2
  • 知力3835−3
  • 政治3833−5
  • 魅力3835−3
  • 徳4240−2
  • 処世4040±0
  • 文芸4038−2
  • 弁舌3533−2
  • 用人3533−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正35推定演31推定 −4

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 指揮の記録なし第118回 §4

  • 武力正33推定演31推定 −2

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 武勇の記録なし第118回 §4

  • 知力正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 皇子の身分から推定第118回 §4

  • 政治正38推定演33推定 −5

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 行政の記録なし第118回 §4

  • 魅力正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 事績から推定第118回 §4

  • 徳正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 事績から推定第119回 §26

  • 処世正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 降伏後に侯に封じられた事績から推定第119回 §26

  • 文芸・学術正40推定演38推定 −2

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 皇子の身分から推定第118回 §4

  • 弁舌・外交正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 事績から推定第119回 §26

  • 識人・用人正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 安定王に封じられた皇子の身分から推定蜀書 巻3 §19

    演直接の記録なし — 事績から推定第119回 §26

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 蜀 · 演義 · 演義 第118回 「次子刘瑶」 · Q124716906

家族

父母劉禅 演義
兄弟姉妹劉璿 演義, 劉諶 演義, 劉瓚 演義, 劉璩 演義, 劉恂 演義

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。