王謀

正史演義 字 元泰 Wang MouYuantai왕모원태王谋

プロフィール
職業正文官 · 太常 演文官 · 少府所属
登場正演収録
出生出身地漢嘉郡
実在実在言及正6回

人物紹介

王謀は字を元泰といい、漢嘉の人である。劉璋の時に巴郡太守と州の治中従事を務め、先主が益州を平定すると別駕となった。先主が漢中王になると少府となり、建興の初めに関内侯の爵位を賜り、のちに頼恭に代わって太常となった。 正史 蜀書 巻15 §49

正史には独立した伝がなく、蜀書巻15鄧張宗楊伝に載る楊戯の『季漢輔臣賛』と、その下に陳寿が付け加えた文に短い記録がある。陳寿は彼の事績が伝わらないので伝を立てなかったと述べつつ、蒋琬と張休の問答を挙げて彼が重んじられていたことを記した。演義には第80回の1回だけに、漢中王に即位を願う官員たちの中に少府として名が見え、回目には入っていない。 正史 蜀書 巻15 §33 · 50–51演義 第80回 §37

正史の記録

王謀は字を元泰といい、漢嘉の人である。容貌と立ち居振る舞い、品行が立派であった。劉璋の時に巴郡太守となり、戻って州の治中従事となった。先主が益州を平定して益州牧を兼ねると、彼を別駕とした。 正史 蜀書 巻15 §49

先主が漢中王になると、荊楚の宿士である零陵の頼恭を太常に、南陽の黄柱を光禄勲にし、王謀を少府とした。建安25年(220)に魏の文帝が尊号を称したのち、太傅許靖・安漢将軍麋竺・軍師将軍諸葛亮・太常頼恭・光禄勲黄柱・少府王謀らは上書し、曹丕は簒奪・弑逆して漢室を滅ぼしたので人も鬼神もみな劉氏を慕っているとして、先主に帝位に即くよう勧めた。先主は建安26年(221)4月、成都の武担の南で帝位に即いた。 正史 蜀書 巻15 §49正史 蜀書 巻2 §55 · 60 · 64–65

建興の初めに王謀は関内侯の爵位を賜り、のちに頼恭に代わって太常となった。建興2年(224)、諸葛亮が益州牧を兼ね、杜微を主簿に迎えたとき杜微に書き与えた文には、王元泰・李伯仁・王文儀らが常に杜微の高い志を称え、会ったことはなくとも旧友のようであるという言葉がある。 正史 蜀書 巻15 §49正史 蜀書 巻12 §3

楊戯は延熙4年(241)に著した『季漢輔臣賛』で「少府は身を修めて慎み深い」と言い、王元泰・何彦英・杜輔国・周仲直をともに讃えた。陳寿は、頼恭・黄柱・王謀はいずれも事績が伝わらないので伝を立てなかったと記した。 正史 蜀書 巻15 §33 · 48–50

のちに大将軍蒋琬が張休に、漢嘉の先輩には王元泰がいたが、今は誰がその跡を継ぐのかと尋ねた。張休は、元泰のような方は州全体でも跡を継ぐ者がいないのに、まして私どもの取るに足らない郡にどうしていましょうかと答えた。陳寿は、彼がこれほど重んじられていたと記した。正史は彼が死んだ年を記していない。 正史 蜀書 巻15 §50–51

演義の描写

演義第80回で、曹丕が自ら皇帝となり漢の皇帝が殺害されたという噂が成都に届くと、孔明は許靖・譙周と相談して漢中王を皇帝に奉じようとし、官員たちを率いて繰り返し願い出るが、漢中王は従わない。孔明は計略を立てて病と称して出仕せず、訪ねてきた漢中王が軍師の病が治るのを待って行おうと言うと、寝台から跳ね起きて屏風を一度打つ。すると外にいた文武の官員たちがみな入ってきて地にひれ伏して拝し、日を選んで大礼を行うよう願い出る。 演義 第80回 §29–31 · 33–34 · 36–37

演義はこのとき入ってきた官員として、太傅許靖、安漢将軍麋竺、青衣侯向挙、陽泉侯劉豹、太常卿頼恭、光禄卿黄権、大司馬殷純、偏将軍張裔らとともに少府王謀を挙げる。漢中王は自分を不義に陥れたのはみな卿らだと驚くが、まもなく成都の武担の南に壇が築かれる。王謀は演義ではこの一か所にだけ名が見える。 演義 第80回 §37–38

演義と異なる点

即位の勧め:演義第80回で王謀は、諸葛亮が屏風を打つと入ってきてひれ伏し拝する官員たちの一人として名が見えるだけである。正史の先主伝では、許靖・麋竺・諸葛亮・頼恭・黄柱とともに少府王謀らが曹丕の簒奪を挙げて、先主に帝位に即くよう勧める上書を奉った。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻2 §60

経歴:演義は王謀を少府という官職で一度呼ぶだけである。正史では劉璋のもとで巴郡太守・治中従事を務め、先主の別駕、少府を経て建興の初めに関内侯となり、のちに太常に至った。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻15 §49

評判:正史で蒋琬が漢嘉の先輩王元泰の跡を継ぐ者を尋ね、張休が州全体でも跡を継ぐ者はいないと答えた問答は、演義にはない。 正史 蜀書 巻15 §50–51演義 第80回 §37

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力4240−2
  • 政治5845−13
  • 魅力5540−15
  • 徳6245−17
  • 処世4542−3
  • 文芸4542−3
  • 弁舌4038−2
  • 用人3835−3
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

徳正62演45推定 −17

正容貌と立ち居振る舞い、品行が立派であったと記される蜀書 巻15 §49

演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

魅力正55演40推定 −15

正蒋琬が漢嘉の先輩として王元泰を挙げた蜀書 巻15 §50

演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

政治正58演45推定 −13

正巴郡太守・治中・別駕を経て少府・太常に昇った蜀書 巻15 §49

演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

近い項目 7件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻15 §49

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻15 §49

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 知力正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻15 §49

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 処世正45推定演42推定 −3

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻15 §49

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 文芸・学術正45推定演42推定 −3

    正直接の記録なし — 図讖を挙げた即位勧進の上書に加わった蜀書 巻2 §60

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 弁舌・外交正40推定演38推定 −2

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻2 §60

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

  • 識人・用人正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 少府の官職から推定蜀書 巻15 §49

    演直接の記録なし — 少府の官職から推定第80回 §37

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →