楊戯 楊戲
人物紹介
楊戯は字を文然といい、犍為郡武陽県の人である。蜀漢で諸葛亮の丞相府の主簿、蒋琬の東曹掾を経て、建寧太守・梓潼太守を兼ね、射声校尉となった。 正史 蜀書 巻15 §27–28
延熙4年(241)に『季漢輔臣賛』を著し、陳寿はこの文を蜀書の末尾に転載した。延熙20年(257)に姜維に従って出兵したが、酒宴の席で姜維を侮る言葉を吐いたことで弾劾されて庶人となり、景耀4年(261)に死去した。 正史 蜀書 巻15 §33 · 28–29
陳寿は評で、楊戯は人物を品評するにあたって志が群を抜くところにあったが、知恵と度量に欠けるところがあり、そのために世の禍に遭ったのであろうと述べた。演義には登場しない。 正史 蜀書 巻15 §85
正史の記録
楊戯は字を文然といい、犍為郡武陽県の人である。若い頃、巴西の程祁、巴郡の楊汰、蜀郡の張表とともに名を知られたが、楊戯はいつも程祁を筆頭に推していた。丞相諸葛亮は楊戯を深く認めていた。20歳余りで州の書佐から督軍従事となって刑獄を担当し、法を論じ疑わしい事件を裁くことが公平妥当であると評された。丞相府に招かれて属官の主簿となった。 正史 蜀書 巻15 §27
諸葛亮が死ぬと尚書右選部郎となり、刺史の蒋琬が請うて治中従事史とした。蒋琬が大将軍として府を開くと、再び招かれて東曹掾となった。 正史 蜀書 巻15 §28
東曹掾の楊戯は性格が簡略で、蒋琬が話しかけても時々答えなかった。ある者が、楊戯が上の者を侮るのがはなはだしいと中傷すると、蒋琬は、人の心が同じでないのは顔がそれぞれ違うのと同じだと言った。楊戯が自分の言葉に賛成しようとすれば本心ではなく、反対しようとすれば自分の誤りを明らかにすることになるので黙っているのであり、これが楊戯の爽快なところだと答えた。 正史 蜀書 巻14 §8
楊戯は南中郎参軍に遷り、庲降都督を補佐して建寧太守を兼ねた。病のため成都に召還されて護軍・監軍に任じられ、出て梓潼太守を兼ね、入って射声校尉となった。赴任した先々で清廉倹約で煩わしくなかった。 正史 蜀書 巻15 §28
延熙20年(257)、楊戯は大将軍姜維に従って出兵し、芒水に至った。楊戯はもともと内心で姜維に服しておらず、酒を飲んだ後に談笑するときはいつも傲慢にからかう言葉を吐いた。姜維は外見は寛大だが内心は猜疑心が強く、これに耐えられなかった。軍が帰還すると、担当の官吏がその意を受けて楊戯を弾劾し、楊戯は罷免されて庶人となった。その後、景耀4年(261)に死去した。 正史 蜀書 巻15 §28–29
楊戯は性格が簡略で怠惰で煩わしいことを省き、文書を書いて事を指示するときも紙一枚を満たすことはまれであった。しかし甘言で人に接したり、実情以上に人をもてなしたりしたことはなく、旧友には篤かった。幼い頃から親しかった巴西の韓儼・黎韜のうち、韓儼が持病で体が利かなくなり、黎韜が品行が悪くて見捨てられたときも、楊戯は彼らの暮らしの面倒を見て、恩情と友誼は初めと変わらなかった。 正史 蜀書 巻15 §30
当時の人々は譙周に当世に役立つ才がないと考え、彼を敬う者は少なかったが、楊戯だけは彼を重んじ、「我らのような者は後世、結局この背の高い男には及ばないだろう」と称えた。見識ある人々はこのことで楊戯を尊んだ。初め名声と地位が楊戯と並んでいた張表は尚書に至り、庲降都督・後将軍となったが楊戯より先に死に、程祁と楊汰はそれぞれ早世した。 正史 蜀書 巻15 §30–31
楊戯は延熙4年(241)に『季漢輔臣賛』を著した。陳寿は、彼が称え述べた人々の多くが蜀書に載っているのでこの文を転載するとし、これ以後に死んだ人は遡って称えていないので、称えられるべきなのに漏れた人がいること、楊戯が称えたが別に伝を立てていない人については賛辞の下にその経歴を注記したことを明らかにした。 正史 蜀書 巻15 §32–33
賛の序で楊戯は、中漢の末に王の綱紀が崩れると、当世の主が燕・代から起こり、巴・蜀で威を振るい、皇漢の宗廟の祭祀を回復したが、にわかに病にかかって世を去ったと述べた。そして万国が合従したのは当時の俊才が助けて推戴したからであり、その美しい風采をあわせて述べて後世に伝えたいとした。賛は昭烈皇帝(劉備)から始まり、諸葛丞相については、遺命を受けて武備と文治を整えたが、大国を図ることに精魂を傾けながらまだ平定できなかったことを恨みとして残したと称えた。20歳で夭折した程祁にも賛を作り、卓越して非凡であったのに才を表すことができなかったのは痛ましいと述べた。 正史 蜀書 巻15 §34–35 · 38–40 · 80
陳寿は評で鄧芝・張翼・宗預を称えたのち、楊戯は人物を品評するにあたって志が群を抜くところにあったが、知恵と度量に欠けるところがあったので、おそらくそのために世の禍に遭ったのであろうと記した。 正史 蜀書 巻15 §85
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率38
- 武力31
- 知力38
- 政治62
- 魅力40
- 徳66
- 処世25
- 文芸68
- 弁舌35
- 用人60
項目別の根拠
正直接の記録なし — 姜維に従って出兵した記録のみ蜀書 巻15 §28
正直接の記録なし蜀書 巻15 §28
正評:知恵と度量に欠けるところがあった蜀書 巻15 §85
正刑獄の裁きが公平と評され、赴任先ではどこでも清廉で煩わしくなかった蜀書 巻15 §27蜀書 巻15 §28
正性格が簡略で返事もしないことがあったが、旧友には篤かった蜀書 巻15 §30蜀書 巻14 §8
正へつらわず、病で体が利かなくなった韓儼や見捨てられた黎韜ら旧友の面倒を見た蜀書 巻15 §30
正酒の席で姜維をからかって弾劾され、庶人となった蜀書 巻15 §29蜀書 巻15 §85
正『季漢輔臣賛』を著して蜀の臣下を称えた蜀書 巻15 §33
正蒋琬が話しかけても時々答えなかった蜀書 巻14 §8
正評:人物の品評において志が群を抜いていた蜀書 巻15 §85蜀書 巻15 §27
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 蜀 · 正史 · 正史 巻45 「亮卒,為尚書右選部郎」