正逃げた民を生業に落ち着かせ、精兵を養って州郡第一となった魏書 巻18 §42魏書 巻18 §92
演直接の記録なし — 軍中従事としての事績から推定第10回 §23
呂虔は字を子恪といい、任城の人である。曹操が兗州にいたとき、胆力と計略があると聞いて彼を従事とした。泰山太守として十数年在任し、山を拠点とする賊たちを降伏させて精兵を養い、泰山の兵は州郡の中で第一という名を得た。 正史 魏書 巻18 §41–44
文帝が王位に即くと益寿亭侯に封じられ、徐州刺史・威虜将軍となり、明帝のとき万年亭侯に移封された。死後は子の呂翻が跡を継いだ。 正史 魏書 巻18 §46
正史を著した陳寿は評で、李通・臧覇・文聘とともに、彼が州郡を鎮め守って威厳と恩恵を示したと述べた。演義では第10回に劉曄が曹操に推挙する人物として初めて登場し、全120回のうち10回に登場するが、回目に名は見えない。主に曹操陣営の武将として名が見え、第12回では逃げる薛蘭を矢で射落とす。 正史 魏書 巻18 §92演義 第10回 §23演義 第12回 §35
呂虔は字を子恪といい、任城の人である。曹操が兗州にいたとき、呂虔に胆力と計略があると聞いて従事とし、家兵を率いて湖陸を守らせた。 正史 魏書 巻18 §41
襄賁校尉杜松の管下の民炅母らが乱を起こして昌豨と通じると、曹操は呂虔に杜松の代わりを務めさせた。呂虔は着任すると、炅母らの首領と悪事をともにした者数十人を誘い招いて酒食を賜った。壮士を選んでそのそばに伏せておき、炅母らがみな酔ったのを見計らって、伏兵にことごとく討ち殺させた。残った者たちを慰撫すると、賊徒はようやく平定された。 正史 魏書 巻18 §41–42
曹操は呂虔に泰山太守を兼ねさせた。泰山郡は山と海に接しており、世が乱れると民の多くが隠れ逃げ、袁紹が置いた中郎将の郭祖・公孫犢ら数十の集団が山に拠って寇掠し、民は苦しんでいた。呂虔が家兵を率いて郡に至り恩愛と信義を示すと、郭祖らの一党はみな降伏し、山中に逃げ隠れていた者もみな出てきて土地に落ち着き生業に就いた。呂虔はその中から強い者を選んで戦士に補い、泰山はこれによって精兵を擁し、その名は州郡の中で第一となった。 正史 魏書 巻18 §42–43
済南の黄巾徐和らがあちこちで長吏を脅かし城邑を攻めると、呂虔は兵を率いて夏侯淵と合流してこれを討った。前後数十回戦い、首を斬り生け捕った者は数千人にのぼった。曹操は彼に青州諸郡の兵を監督させて東萊の賊李条らを討たせ、呂虔は功を立てた。 正史 魏書 巻18 §43
曹操は令を下し、志あれば必ずその事を成し遂げる、これこそ烈士が身を捧げるところであると述べた。続けて、呂虔が郡に赴任して以来、奸悪な者を捕らえ暴虐な者を討って民は安らぎを得、自ら矢石をおかして征するところ必ず勝ったと言い、汝水・潁水の地で名を立てた寇恂、青州・兗州で策を立てた耿弇に彼をなぞらえた。呂虔は茂才に推挙されて騎都尉を加えられ、従来どおり郡を治めた。彼は泰山に十数年在任し、威厳と恩恵はたいへん大きかった。 正史 魏書 巻18 §43–44
文帝が王位に即くと、呂虔は裨将軍を加えられて益寿亭侯に封じられ、徐州刺史に昇進して威虜将軍を加えられた。琅邪の王祥を招いて別駕とし、民政をすべて彼に任せたので、世の人々は彼が賢者によく任せることを称えた。利城の反乱者を討って首を斬り捕らえた功もあった。 正史 魏書 巻18 §46
明帝が即位すると万年亭侯に移封され、封邑を二百戸加増されて前と合わせて六百戸となった。呂虔が死ぬと子の呂翻が跡を継ぎ、呂翻が死ぬとその子の呂桂が跡を継いだ。正史は彼の死んだ年を記していない。 正史 魏書 巻18 §46
陳寿は評で、李通・臧覇・文聘・呂虔は州郡を鎮め守り、いずれも威厳と恩恵を示したと述べた。 正史 魏書 巻18 §92
演義第10回で、曹操が郭嘉の推挙により劉曄を招くと、劉曄はさらに満寵と呂虔の二人を推挙する。演義は呂虔を「武城の人で、姓は呂、名は虔、字は子恪」と紹介し、曹操はかねてより二人の名声を知っていたので、すぐに軍中従事とする。満寵と呂虔はともに毛玠を推挙する。 演義 第10回 §23
第11回の濮陽の戦いでは、呂布の西の陣営を夜襲しに行く曹洪・李典・毛玠・呂虔・于禁・典韋の六将の一人として登場し、曹操が敗走するとき曹洪とともに張遼・臧覇を防いで戦うが、形勢は不利である。第12回では鉅野へ逃げる薛蘭を馬を飛ばして追いかけ、矢一本で射落とし、濮陽へ進むときは于禁とともに後軍を務める。第14回で曹操が御車を許都に迎えたのち、李典・楽進・于禁・徐晃とともに校尉となる。 演義 第11回 §50 · 53演義 第12回 §35–36演義 第14回 §34
第18回で張繍に大敗したとき、于禁とともに負傷する。同じ回で呂布を討ちに行く夏侯惇・夏侯淵・李典とともに兵五万を率いて先発するが、夏侯惇が曹性の矢で目を失ったのち高順に大敗すると、李典とともに敗残兵を率いて済北に退き陣を構える。 演義 第18回 §4 · 29 · 31–32
第23回で曹操は禰衡に「呂虔・満寵は従事を務めている」と人材の多さを誇るが、禰衡は「呂虔は刀を研ぎ剣を鋳させるのがよい」とあざ笑う。第26回では、曹操が兵糧と馬草を前に置き兵を後ろに置くと、呂虔はその意図を尋ね、敵に奪われたらどうするのかと内心いぶかしむ。文醜の兵が来ると、曹操の兵は兵糧と馬草を捨てて散り散りになる。曹操はのちに許都の宴席で、呂虔にそれが敵を釣る餌の計略であったと明かし、ただ荀公達だけが自分の心を分かっていたと言う。 演義 第23回 §12–13演義 第26回 §7 · 17–18
第32回で袁譚が降伏を申し出てくると、呂虔は満寵とともに、丞相はすでに兵を率いてここまで来たのに、どうして劉表を捨てて袁譚を助けるのかと言うが、荀攸はその言葉は正しくないと言う。第48回の赤壁の戦いを前にしては、五色の旗で分けた水軍のうち黒い旗の後軍を任され、第86回では魏の黄初5年秋8月に曹丕が東呉を攻めるとき、許褚とともに中軍を護衛する。 演義 第32回 §23演義 第48回 §18演義 第86回 §28
出身地:演義第10回では呂虔を武城の人と紹介する。正史では任城の人である。 演義 第10回 §23正史 魏書 巻18 §41
登用:演義第10回では、劉曄が満寵とともに呂虔を推挙し、曹操が二人を軍中従事とする。正史では、曹操が兗州にいたとき呂虔に胆力と計略があると聞いて従事とし、家兵で湖陸を守らせたのであり、推挙した人物は記されていない。 演義 第10回 §23正史 魏書 巻18 §41
泰山太守:正史の呂虔伝の中心は、泰山太守として十数年在任して賊を平定し精兵を養ったことと、徐州刺史時代のことである。演義には彼が泰山や徐州を治めたという話はなく、曹操に従って戦う武将としてのみ登場する。 正史 魏書 巻18 §42–44 · 46演義 第14回 §34演義 第86回 §28
薛蘭を討った人物:演義第12回では、呂虔が鉅野へ逃げる薛蘭を矢で射落とす。正史の武帝紀では、呂布配下の薛蘭・李封が鉅野に駐屯すると曹操がこれを攻めて薛蘭らを斬ったと記すだけで、呂虔は登場しない。 演義 第12回 §35正史 魏書 巻1 §33
餌となった兵糧:演義第26回では、呂虔が兵糧と馬草を前に置いた理由を尋ね、曹操がのちに彼に餌の計略であったと明かす。正史の武帝紀では、白馬の輜重が道に出ると諸将は陣営に戻って守ろうと言い、荀攸が「これは敵を釣る餌である」と言った。呂虔は登場しない。 演義 第26回 §7 · 17正史 魏書 巻1 §62
袁譚の降伏:演義第32回では、呂虔と満寵が袁譚を助けることに反対し、荀攸がこれを退ける。正史の武帝紀では、袁譚が辛毗を派遣して降伏を願うと諸将はみな疑い、荀攸が受け入れるよう勧めたとするだけで、呂虔の名はない。 演義 第32回 §23正史 魏書 巻1 §80
文帝時代のこと:演義第86回で呂虔は、黄初5年の曹丕の東呉征伐に中軍の護衛として加わる。正史の呂虔伝は、文帝のとき徐州刺史・威虜将軍となって王祥を別駕とし、利城の反乱者を討ったことを記す。 演義 第86回 §28正史 魏書 巻18 §46
死:演義には呂虔の死は描かれない。正史は、明帝が即位したのち万年亭侯に移封され、彼が死ぬと子の呂翻が跡を継いだと記す。 演義 第86回 §28正史 魏書 巻18 §46
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正逃げた民を生業に落ち着かせ、精兵を養って州郡第一となった魏書 巻18 §42魏書 巻18 §92
演直接の記録なし — 軍中従事としての事績から推定第10回 §23
正恩愛と信義を示すと郭祖らの一党がみな降り、威厳と恩恵はたいへん大きかった魏書 巻18 §42魏書 巻18 §44
演直接の記録なし — 曹操幕下での事績から推定第23回 §12
正夏侯淵と数十回戦って数千を斬獲し、青州の兵を監督して賊を討伐魏書 巻18 §43魏書 巻18 §44
正胆力と計略で知られ、反乱の首領を酒宴の伏兵で除いた魏書 巻18 §41
正王祥を別駕として民政を任せ、賢者によく任せると称えられた魏書 巻18 §46
演満寵とともに毛玠を曹操に推挙した第10回 §23
正恩愛と信義で治めたが、酒を飲ませて酔わせたうえで殺したこともある魏書 巻18 §42魏書 巻18 §41
演直接の記録なし — 中軍の護衛を務めた事績から推定第86回 §28
正直接の記録なし — 賊徒を帰順させた事績から推定魏書 巻18 §42
演直接の記録なし — 議論に加わった事績から推定第32回 §23
正自ら矢石をおかし、征するところ必ず勝ったと令に記される魏書 巻18 §44
演逃げる薛蘭を追い、矢一本で射落とした第12回 §35
正直接の記録なし — 三代にわたって重用された事績から推定魏書 巻18 §46
演直接の記録なし — 戦闘の事績から推定第18回 §4
正直接の記録なし — 茂才に推挙された経歴から推定魏書 巻18 §44
演直接の記録なし — 禰衡が刀研ぎでもさせるのがよいと嘲った第23回 §13
演熟達 +10 逃げる薛蘭を矢一本で射落とした第12回 §35
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。