正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演毌丘倹・文欽の弱点を突き、塁を高くして鋭気をくじくよう説いた第110回 §7
鄭袤は荀攸らとともに董卓を殺そうと謀り、揚州刺史となって死んだ鄭泰の幼い息子である。正史には独立した伝がなく、叔父の鄭渾が彼を連れて淮南へ難を避け、袁術が賓客の礼で非常に手厚くもてなしたという一行が魏書巻16鄭渾伝に載る。陳寿の本文は彼の字・官職・死を記さない。 正史 魏書 巻16 §80–81
演義では第110回にのみ登場し、回目に名が入る回はない。毌丘倹と文欽が淮南で兵を挙げ、自ら討伐に出た司馬師の陣幕の軍議で、光禄勲として堀を深く掘り塁を高く築いて敵の鋭気をくじくよう述べる人物として登場する。 演義 第110回 §4 · 6–7
鄭渾は河南開封県の人で、高祖父の鄭衆と鄭衆の父鄭興はともに名高い儒者であった。鄭渾の兄鄭泰は荀攸らとともに董卓を殺そうと謀り、揚州刺史となって死んだ。 正史 魏書 巻16 §80
鄭渾は鄭泰の幼い息子鄭袤を連れて淮南へ難を避け、袁術が賓客の礼で非常に手厚くもてなした。鄭渾は袁術が必ず敗れることを知っていた。そのとき華歆が豫章太守であり、かねて鄭泰と仲がよかったので、鄭渾は長江を渡って華歆に身を寄せた。 正史 魏書 巻16 §81
陳寿の本文で鄭袤の名が見えるのはこの一か所だけであり、彼の字・官職・事績・死は記されていない。巻16の評は鄭渾と倉慈が民をいたわり治めるのに方策があったと言うが、鄭袤には触れない。 正史 魏書 巻16 §81 · 98
演義第110回で、毌丘倹は兵6万を率いて項城に駐屯し、文欽は兵2万で外にあって遊軍となり呼応する。左目のこぶを切り取って府中で療養していた司馬師は淮南の急報を聞くと、太尉王粛と相談した後、中書侍郎鍾会の言を聞いて自ら行くことにし、弟の司馬昭に洛陽を守らせて柔らかい輿に乗って東へ向かう。鎮東将軍諸葛誕・征東将軍胡遵・荊州刺史兼監軍王基にも道を分けて進ませる。 演義 第110回 §4–6
司馬師が大軍を率いて襄陽に駐屯し、文武の官を陣幕の下に集めて相談すると、光禄勲鄭袤が述べる。毌丘倹は謀を好むが決断がなく、文欽は勇はあるが知恵がない、しかし大軍が彼らの不意を突いて出たとはいえ江・淮の兵は鋭気がまさに盛んであるから軽く見てはならず、堀を深く掘り塁を高く築いてその鋭気をくじくべきだというのである。鄭袤はこれが亜夫の良策であると付け加える。 演義 第110回 §7
監軍王基はこれに反対し、淮南の反乱は兵と民が乱を望んだからではなく、毌丘倹の勢力に迫られてやむなく従っているのだから、大軍が臨みさえすれば崩れるだろうと言う。司馬師はその言葉を非常に巧みだとして濦水のほとりへ進軍し、王基に先鋒の兵を率いて南頓を取らせる。演義で鄭袤が登場するのはこの場面だけである。 演義 第110回 §7–8
家柄:演義第110回は鄭袤を光禄勲としてのみ登場させ、彼の家柄を記さない。陳寿の本文は彼を董卓を殺そうと謀った鄭泰の幼い息子と記し、叔父の鄭渾が彼を連れて淮南へ難を避けたとする。 演義 第110回 §7正史 魏書 巻16 §80–81
官職:演義第110回で鄭袤は光禄勲として司馬師の軍議に登場する。陳寿の本文は彼の官職を記さない。 演義 第110回 §7正史 魏書 巻16 §81
淮南討伐の策:演義第110回で鄭袤は司馬師の毌丘倹・文欽討伐で固く守る策を出すが、王基の反対により司馬師は進軍を選ぶ。陳寿の本文で鄭袤は鄭渾伝の一行にのみ登場し、毌丘倹伝には彼の名がない。 演義 第110回 §7–8正史 魏書 巻16 §81正史 魏書 巻28 §11–25
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演毌丘倹・文欽の弱点を突き、塁を高くして鋭気をくじくよう説いた第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正直接の記録なし — 鄭渾が連れて難を避けた鄭泰の幼い息子としてのみ登場魏書 巻16 §81
演直接の記録なし — 光禄勲の官職から推定第110回 §7
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。