正菰陂で留賛を破り、孫楞らを殺した魏書 巻28 §33呉書 巻3 §10
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
蒋班は魏の諸葛誕配下の将軍である。五鳳2年(255)2月、諸葛誕の別将として菰陂で呉の左将軍留賛を破り、留賛はこの戦いで死んだ。 正史 呉書 巻3 §9–10正史 魏書 巻28 §33
甘露2年(257)、諸葛誕が寿春で反乱を起こして大将軍司馬昭に包囲されると、蒋班は焦彝とともに諸葛誕を見捨て、城壁を越えて大将軍に帰順した。陳寿の本文にはその後のことは記されていない。 正史 魏書 巻28 §35 · 37–38
正史には独立した伝がなく、魏書の諸葛誕伝と呉書の三嗣主伝に計3回名が見える。演義では第112回にのみ諸葛誕の謀士として登場し、120回のうち1回に登場するが、名が回目に入る回はない。決戦を進言して諸葛誕に叱責されると、焦彝とともに城を越えて魏に降伏する。 正史 魏書 巻28 §33 · 38正史 呉書 巻3 §10演義 第112回 §10–11
朝廷は長く淮南にいた諸葛誕を再び鎮東大将軍・儀同三司とし、揚州の軍事を都督させた。呉の大将孫峻・呂拠・留賛らは淮南の乱を聞き、ちょうど文欽が来たので彼を連れてまっすぐ寿春へ来た。しかし諸葛誕の諸軍がすでに到着していて城を攻められなかったため、退却した。諸葛誕は将軍蒋班を派遣して追撃させ、留賛を斬ってその首を都へ送り、印と節を収めた。諸葛誕は高平侯に進封され、征東大将軍に転じた。 正史 魏書 巻28 §33
呉書の三嗣主伝はこの件を五鳳2年(255)に記している。その年の閏月、孫峻は驃騎将軍呂拠・左将軍留賛とともに寿春を急襲しようとしたが、魏の諸葛誕が寿春に入ったため兵を率いて引き返した。2月、留賛は諸葛誕の別将蒋班に菰陂で敗れ、留賛と将軍孫楞・蒋脩らはみな殺害された。 正史 呉書 巻3 §9–10
甘露2年(257)5月、諸葛誕は司空として召されるといっそう恐れてついに反乱し、城門を閉ざして寿春を守った。6月、大将軍司馬昭は中外の軍26万を率いて淮水に臨んでこれを討ち、寿春を内外二重に包囲した。 正史 魏書 巻28 §35 · 37
呉の将朱異が二度にわたり大軍を率いて諸葛誕らを迎えに来たが、州泰らがそのたびに鋒先をくじき、孫綝は朱異が戦っても進めないことに怒って彼を殺した。城内の食糧はしだいに減り、外からの救援は来ず、軍勢は頼るところがなかった。将軍蒋班と焦彝はともに諸葛誕の腹心として事を謀っていた者であったが、諸葛誕を見捨て、城壁を越えて自ら大将軍に帰順した。大将軍はそこで反間の計で全懌らを説き、全懌らが数千人の兵を率いて城門を開いて出てくると、城内は震え恐れてなすすべを知らなかった。 正史 魏書 巻28 §38
演義第112回で司馬昭が寿春を包囲すると、孫綝は敗戦を重ねた朱異を斬って建業へ帰る。全端の子全禕が司馬昭に降伏して家書を城内に射込むと、全懌は全端とともに数千人を率い、城門を開いて出て降伏する。 演義 第112回 §8–10
憂える諸葛誕に、謀士の蒋班と焦彝は、城内は兵糧が少なく兵が多いので長くは守れない、呉・楚の軍勢を率いて魏軍と一度死を賭して決戦しようと進言する。諸葛誕は大いに怒り、「わしは守ろうとしているのに、お前たちは戦おうとする。異心を抱いているのではないか」と言い、二度とそのようなことを言えば必ず斬ると告げる。 演義 第112回 §10
二人は天を仰いで長く嘆息し、諸葛誕はまもなく滅びるから早く降伏して死を免れようと言い、その夜の二更ごろ城を越えて魏に降伏する。司馬昭は彼らを重用し、このため城内には戦う勇気のある兵がいても、あえて戦おうと言い出す者はいない。 演義 第112回 §10–11
身分:演義第112回で、蒋班は焦彝とともに諸葛誕の「謀士」として登場する。正史の諸葛誕伝は彼を「将軍」とし、焦彝とともに諸葛誕の腹心として事を謀っていた者と記し、三嗣主伝は諸葛誕の別将とする。 演義 第112回 §10正史 魏書 巻28 §38正史 呉書 巻3 §10
留賛との戦い:正史では、蒋班は五鳳2年(255)、寿春から退く呉軍を追撃し、菰陂で留賛を破って斬った。演義では蒋班は第112回にしか登場せず、この件はない。 正史 魏書 巻28 §33正史 呉書 巻3 §10演義 第112回 §10–11
帰順の順序:演義第112回では、全懌と全端が先に城門を開いて降伏したのち、蒋班と焦彝が城を越える。正史の諸葛誕伝では、蒋班と焦彝が先に城壁を越えて大将軍に帰順し、その後で大将軍が反間の計で全懌らを説き、城門を開いて出てこさせた。 演義 第112回 §10–11正史 魏書 巻28 §38
帰順の理由:演義第112回では、決戦を進言して諸葛誕に異心を抱いていると叱責され、降伏を決意する。陳寿の本文は、城内の食糧が減り救援が来ないなかで二人が諸葛誕を見捨て、城壁を越えて帰順したと記すだけで、進言や叱責はない。 演義 第112回 §10–11正史 魏書 巻28 §38
帰順の後:演義第112回では、司馬昭が二人を重用する。陳寿の本文には、帰順後に蒋班が受けた待遇や官職の記述はない。 演義 第112回 §11正史 魏書 巻28 §38
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正菰陂で留賛を破り、孫楞らを殺した魏書 巻28 §33呉書 巻3 §10
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
正追撃して留賛を斬った魏書 巻28 §33
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 諸葛誕の腹心として事を謀った役割から推定魏書 巻28 §38
演兵糧が少なく長く守れないとして決戦を進言した第112回 §10
正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §11
正諸葛誕の腹心でありながら彼を見捨て、城を越えて帰順した魏書 巻28 §38
演諸葛誕はまもなく滅びると言い、城を越えて魏に降伏した第112回 §11
正包囲が固まると先に城を越えて投降した魏書 巻28 §38
演死を免れるため早く降伏し、司馬昭に重用された第112回 §11
正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻28 §33
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻28 §33
演決戦を進言したが諸葛誕に拒まれた第112回 §10
正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻28 §33
演直接の記録なし — 謀士としての役割から推定第112回 §10
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。