焦彝
人物紹介
焦彝は寿春で反乱した諸葛誕配下の将軍である。正史には独立した伝がなく、諸葛誕伝に蒋班とともに一度登場する。陳寿は二人をともに諸葛誕の腹心として事を謀っていた者とした。 正史 魏書 巻28 §38
甘露2年(257)、大将軍司馬昭が寿春を包囲し、城内の食糧がしだいに減っていくのに外からの救援が来ないと、焦彝は蒋班とともに諸葛誕を見捨て、城壁を越えて大将軍に帰順した。陳寿の本文はその後のことを記さない。 正史 魏書 巻28 §34–35 · 37–38
演義では第112回の1回にのみ登場し、名が回目に入る回はない。演義は彼を蒋班とともに諸葛誕の謀士として描き、決戦を勧めて諸葛誕に叱責されると、その夜城を越えて魏に降伏させる。 演義 第112回 §10–11
正史の記録
甘露2年(257)5月、朝廷が諸葛誕を召して司空にすると、諸葛誕はいっそう恐れてついに反乱した。揚州刺史楽綝を攻めて殺し、淮南と淮北の屯田から官兵10万余と、揚州で新たに付いた兵4、5万を集め、1年分の穀物を蓄えて城門を閉ざして自ら守った。救援を求めると、呉は全懌・全端・唐咨らに3万人を率いさせ、文欽とともに来させた。 正史 魏書 巻28 §34–36
6月、大将軍司馬昭は中外の軍26万を率いて来て、寿春を内外二重に包囲した。呉の将朱異が二度にわたり大軍を率いて来たが、兗州刺史州泰らが迎え撃ってそのたびに鋒先をくじき、孫綝は朱異が戦っても進めないことに怒って彼を殺した。城内の食糧はしだいに減り、外からの救援は来ず、軍勢は頼るところがなかった。 正史 魏書 巻28 §37–38
このとき将軍蒋班と焦彝はともに諸葛誕の腹心として事を謀っていた者であったが、諸葛誕を見捨て、城壁を越えて自ら大将軍に帰順した。大将軍はそこで反間の計を用い、奇策で全懌らを説いた。全懌らが数千人の兵を率いて城門を開いて出てくると、城内は震え恐れてなすすべを知らなかった。 正史 魏書 巻28 §38
翌年の甘露3年(258)正月、諸葛誕と文欽は包囲を破ろうとして失敗し、その後争い合って諸葛誕が文欽を殺した。大将軍が四方から軍を進めて城に登ると、諸葛誕は小さな城門から突破して出たところを大将軍司馬胡奮の部隊に斬られた。陳寿の本文で焦彝の名が見えるのは帰順の箇所だけで、その後のことは記されていない。 正史 魏書 巻28 §39–42
演義の描写
演義第112回で、寿春を救いに来た呉の朱異は魏軍に敗戦を重ね、孫綝に斬られる。司馬昭に降伏した全端の子全禕が、孫綝は不仁であるから魏に降るに越したことはないという手紙を城内に射込むと、全懌は全端とともに数千人を率い、城門を開いて出て降伏する。 演義 第112回 §8–10
城内で憂える諸葛誕に、謀士の蒋班と焦彝は、城内は兵糧が少なく兵が多いので長くは守れない、呉・楚の軍勢を率いて魏軍と一度死を賭して決戦しようと進言する。諸葛誕は「わしは守ろうとしているのに、お前たちは戦おうとする。異心を抱いているのではないか」と大いに怒り、二度とそのようなことを言えば必ず斬ると告げる。 演義 第112回 §10
二人は天を仰いで「諸葛誕はまもなく滅びるだろう」と長く嘆息し、早く降伏して死を免れるに越したことはないと言う。その夜の二更ごろ、蒋班と焦彝は城を越えて魏に降伏し、司馬昭は彼らを重用する。演義は、このため城内には戦う勇気のある兵がいても、あえて戦おうと言い出す者はいなかったと記す。 演義 第112回 §10–11
演義と異なる点
身分:演義第112回で蒋班と焦彝は諸葛誕の謀士である。正史の諸葛誕伝は二人を将軍とし、諸葛誕の腹心として事を謀っていた者とした。 演義 第112回 §10正史 魏書 巻28 §38
降伏の経緯:演義第112回では、決戦を勧めたところ、異心を抱いているのかという諸葛誕の叱責と斬るという言葉を受けて降伏を決意する。陳寿の本文は、城内の食糧が減り外からの救援が来ないなかで二人が諸葛誕を見捨て、城壁を越えて帰順したと記すだけで、決戦を勧めたことは記さない。 演義 第112回 §10–11正史 魏書 巻28 §38
降伏の順序:演義第112回では、全懌と全端が先に城門を開いて出て降伏したのち、蒋班と焦彝が城を越える。正史の諸葛誕伝では蒋班と焦彝が先に帰順し、その後で大将軍が反間の計で全懌らを説き、城門を開いて出てこさせた。 演義 第112回 §10–11正史 魏書 巻28 §38
降伏の後:演義第112回で司馬昭は二人を重用し、このため城内の兵はあえて戦おうと言い出せない。陳寿の本文は帰順後の焦彝について記さない。 演義 第112回 §11正史 魏書 巻28 §38
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4238−4
- 武力4031−9
- 知力4852+4
- 政治3538+3
- 魅力3838±0
- 徳2528+3
- 処世5560+5
- 文芸3538+3
- 弁舌3840+2
- 用人3535±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正直接の記録なし — 諸葛誕の将軍という肩書から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士という立場から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 将軍の肩書から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士という立場から推定第112回 §10
正諸葛誕の腹心として事を謀っていた者と記録された魏書 巻28 §38
演兵糧が少なく長くはもたないとして決戦を進言した第112回 §10
正直接の記録なし — 将軍の肩書から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士という立場から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 事績から推定第112回 §11
正腹心でありながら諸葛誕を見捨て、城壁を越えて帰順した魏書 巻28 §38
演進言が退けられると、夜に城を越えて魏に降伏した第112回 §11
正食糧が尽きかけ救援も来ないため、城壁を越えて投降した魏書 巻28 §38
正直接の記録なし — 将軍の肩書から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 謀士という立場から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 進言した事績から推定第112回 §10
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻28 §38
演直接の記録なし — 事績から推定第112回 §10
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →