何太后

正史演義 Empress He하태후

プロフィール
職業正演后妃 · 太后所属
登場正演収録
出生正? 推定出身地南陽郡 推定
死去正189年 推定死去地
死因正殺害 演殺害 推定
実在実在言及正8回

人物紹介

何太后は、後漢の霊帝が崩じて太子が即位すると朝政に臨んだ太后である。正史には独立した伝がなく、武帝紀と董卓・袁紹・陳琳の伝に見え、袁紹の伝は大将軍何進を「太后の兄」と記す。陳寿の本文は彼女の名と出自を記さない。 正史 魏書 巻1 §5正史 魏書 巻6 §34 · 8正史 魏書 巻21 §13

何進は袁紹とともに宦官をことごとく誅殺しようとしたが太后は従わず、何進は董卓を呼び寄せて太后を脅そうとしたが、董卓が到着する前に中常侍段珪らに殺された。董卓は皇帝を廃して弘農王とし、まもなく弘農王と何太后を殺した。武帝紀はこの事件を中平6年(189)の記事の中に記す。 正史 魏書 巻6 §34–35 · 8正史 魏書 巻1 §5–6

陳寿が巻6の末尾に付した評に何太后は出てこない。演義では第2回に何進の妹として初めて登場し、全120回のうち3回(第2〜4回)に登場するが、回目に名が挙がることはない。演義は彼女が王美人を毒殺し宦官をかばったと描き、第4回で董卓が遣わした李儒が彼女を楼の下へ投げ落として殺す。 正史 魏書 巻6 §96演義 第2回 §37 · 52演義 第4回 §17

正史の記録

正史には何太后の伝はない。陳寿の本文はおおむね彼女を「太后」とだけ呼び、董卓の伝の一か所で「何太后」と記す。袁紹の伝は大将軍何進を「太后の兄」とし、陳寿の本文は彼女の名と出自、皇后となった経緯を記さない。 正史 魏書 巻6 §8 · 34

武帝紀によれば、霊帝が崩じて太子が即位すると、太后が朝政に臨んだ。大将軍何進は袁紹とともに宦官を誅殺しようと謀ったが、太后は聞き入れなかった。 正史 魏書 巻1 §5

そこで何進は董卓を呼んで兵を率いて京師に来させ、ひそかに上書させた。董卓の上書は、中常侍張譲らが寵愛を盗んで天下を濁し乱しているので、昔、趙鞅が晋陽の兵を起こして君側の悪人を逐ったように、鐘鼓を鳴らして洛陽に赴き張譲らを討つというものであった。陳寿は、これによって太后を脅そうとしたのだと記した。 正史 魏書 巻6 §5–6

何進の主簿であった陳琳は、何進が四方の猛将を呼び寄せて都へ向かわせ太后を脅かそうとすると、これを諫めた。取るに足らない獣でさえ欺いて志を遂げることはできないのに、国家の大事を詐術で成し遂げられようか、大軍が集まれば強い者が首領となるであろう、これは矛を逆さに持って人に柄を授けるものだと言った。何進はその言葉を容れなかった。 正史 魏書 巻21 §13–14

袁紹の伝によれば、董卓を呼ぶと聞いた常侍・黄門たちはみな何進のもとに来て謝罪し、処置を委ねると言った。袁紹はこの場で決断するよう二度三度と勧めたが、何進は許さなかった。その後、中常侍段珪らが太后の命を偽って何進を召し入れ、協議するふりをして殺し、宮中は混乱した。 正史 魏書 巻6 §34–35

袁紹の弟袁術が虎賁を率いて南宮嘉徳殿の青瑣門を焼くと、段珪らは皇帝と皇帝の弟陳留王を脅して小平津へ逃れた。袁紹は宦官を老若の別なくことごとく殺し、死者は2千余人にのぼり、段珪らはみな黄河に身を投げて死んだ。董卓は北芒で皇帝を迎えて宮中に戻った。何進の弟の車騎将軍何苗は何進の部下に殺された。 正史 魏書 巻6 §34–36 · 6

長く雨が降らないことを理由に司空劉弘が策書で罷免されると董卓がこれに代わり、まもなく太尉に移った。董卓はついに皇帝を廃して弘農王とし、まもなく弘農王と何太后を殺した。霊帝の幼い子の陳留王を立てた。これが献帝である。陳寿の本文は、彼女をどのように、どこで殺したかを記さない。 正史 魏書 巻6 §8

武帝紀は、董卓が太后と弘農王を殺したことを、董卓のもとから逃れた曹操が陳留に至って義兵を集めたことの前に記した。曹操が己吾で初めて兵を起こしたのはその年の冬12月で、武帝紀はこの年を中平6年(189)とした。 正史 魏書 巻1 §6

陳寿は巻6の評で、董卓を狼のように残忍で暴虐、不仁であったとした。評に何太后は出てこない。 正史 魏書 巻6 §96

演義の描写

演義第2回は、何進の妹が入宮して貴人となり、皇子弁を生んでついに皇后になったと紹介する。霊帝が王美人を寵愛して皇子協が生まれると、何皇后は嫉妬して王美人を毒殺する。霊帝が死ぬと、何進は大臣たちを率いて入り、霊帝の柩の前で太子弁を皇帝に立てる。 演義 第2回 §37 · 41

袁紹が宦官をことごとく殺そうと言うと、張譲らは何太后のもとに駆けつけ、大将軍を害そうと謀ったのは蹇碩一人だけだと哀願する。何太后は「私が守ってやろう」と言い、何進を呼んで「お前と私は卑しい家の出なのに、張譲らがいなければどうしてこのような富貴を享けられただろうか」と言って止める。何進は蹇碩の一族だけを滅ぼすことにし、翌日、太后は何進に録尚書事を任せる。 演義 第2回 §42–44

董太后が皇子協を陳留王に、董重を驃騎将軍に封じて権力を握ると、何太后は宴を設け、呂后の一族がことごとく殺された故事を挙げて、朝廷の大事は大臣と元老に任せようと勧める。董太后は彼女を王美人を毒殺した嫉妬深い者だと責め、その一族を「屠殺屋に酒売りの輩」と罵る。何太后がその夜のうちに何進を呼んでこのことを告げると、何進は董太后を河間へ移させる。 演義 第2回 §45–48

張譲と段珪は何進の弟何苗とその母舞陽君に賄賂を贈り、何太后の前で自分たちをかばわせる。何苗の言葉を容れた何太后は、宦官を誅殺しようとする何進に、宦官が宮中を統べるのは漢の旧例であり、先帝が崩じたばかりなのに旧臣を殺そうとするのは宗廟を重んじることではないと言う。 演義 第2回 §49 · 51–52

第3回で外の兵が来ることを知った張譲らは、長楽宮の嘉徳門の内に刺客50人を伏せ、何太后に哀願する。太后は大将軍府へ行って謝罪せよと言うが、張譲が大将軍を呼んで諭してほしいと言うと、詔を下して何進を召し、何進は宮中で死ぬ。宮中が混乱すると段珪が何太后を無理やり連れ去るが、盧植が「逆賊段珪、どうして太后を脅すのか」と叫ぶと段珪は逃げ、太后は窓から飛び降りて盧植の助けで難を免れる。 演義 第3回 §6–7 · 11 · 15

第4回で董卓は9月1日に嘉徳殿に文武百官を集め、李儒に策文を読ませる。策文は、皇太后に母としての教えがなく政治を乱したとし、皇帝を廃して弘農王とし、皇太后には政を返させる。董卓が太后を呼んで礼服を脱いで勅命を待たせると、皇帝と太后は声を上げて泣く。何太后は弘農王・唐妃とともに永安宮に閉じ込められる。 演義 第4回 §4–6 · 9 · 12

少帝が作った詩を手に入れた董卓は、恨んで詩を作ったとして、李儒に武士10人を率いて入らせる。李儒が鴆毒を入れた酒を長寿を祝う酒だと言って差し出すと、太后は「長寿の酒ならお前がまず飲んでみよ」と言い、何進が無謀にも逆賊を都に引き入れたと罵る。続けて「逆賊董卓が我ら母子を追い詰めるのに、天も助けないのか」と大いに罵ると、李儒は両手で太后をつかんで楼の下へ投げ落とし、唐妃を絞め殺させ、鴆毒の酒を注ぎ込んで少帝を殺す。 演義 第4回 §13–17

演義と異なる点

出自:演義第2回は何進を屠殺業の家の出とし、その妹が入宮して貴人となり、皇子弁を生んで皇后になったと紹介する。陳寿の本文は何進を「太后の兄」とするだけで、彼女の出自と皇后になった経緯を記さない。 演義 第2回 §37正史 魏書 巻6 §34

王美人:演義第2回で何皇后は嫉妬して皇子協を生んだ王美人を毒殺し、董太后もこのことで彼女を責める。陳寿の本文で太后が登場する記録には王美人は出てこない。 演義 第2回 §37 · 47正史 魏書 巻1 §5–6正史 魏書 巻6 §5–8 · 34–35

朝政に臨んだこと:正史の武帝紀は、太子が即位すると太后が朝政に臨んだと記す。演義第2回では張譲が董太后に簾を垂れて政を聴くよう勧め、何太后はむしろ「私たちはみな女であり、朝廷の政治に関わるのはふさわしくない」と言う。 正史 魏書 巻1 §5演義 第2回 §45–46

董太后との争い:演義第2回で何太后は董太后と争い、何進は董太后を河間へ移させたのち、6月に人を遣わして毒殺する。陳寿の本文で太后が登場する記録には董太后は出てこない。 演義 第2回 §46–48 · 50正史 魏書 巻1 §5–6正史 魏書 巻6 §5–8 · 34–35

宦官をかばった理由:演義第2回で何太后は「張譲らがいなければどうしてこのような富貴を享けられただろうか」と言って何進を止め、のちには賄賂を受けた何苗の言葉を容れて、宦官が宮中を統べるのは漢の旧例だと言う。正史の武帝紀と袁紹の伝は、太后が聞き入れなかった、従わなかったと記すだけで、理由を明らかにしない。 演義 第2回 §43 · 51–52正史 魏書 巻1 §5正史 魏書 巻6 §34

何進を召した命令:演義第3回では張譲の願いを受けた太后が自ら詔を下して何進を召す。正史の袁紹の伝では、中常侍段珪らが太后の命を偽って何進を召し入れた。 演義 第3回 §6–7正史 魏書 巻6 §35

宮中の騒乱:演義第3回では段珪が太后を無理やり連れ去ろうとして盧植の叫びに逃げ、太后は窓から飛び降りて難を免れる。正史の袁紹の伝で段珪らが脅して小平津へ連れて行ったのは皇帝と陳留王であり、太后を連れ去ったことと盧植は出てこない。 演義 第3回 §15正史 魏書 巻6 §35

廃位の策文:演義第4回で李儒が読む策文は、皇太后に母としての教えがなく政治を乱したと責める。正史の董卓の伝は、董卓が太尉となったのち皇帝を廃して弘農王としたとするだけで、策文は載せない。 演義 第4回 §4–5正史 魏書 巻6 §8

死:演義第4回で何太后は永安宮に閉じ込められたのち、董卓が遣わした李儒に楼の下へ投げ落とされて死ぬ。正史の董卓の伝は、董卓がまもなく弘農王と何太后を殺したと記すだけで、閉じ込められた場所と殺した方法を記さず、李儒という人物も出てこない。 演義 第4回 §12 · 17正史 魏書 巻6 §8正史 魏書 巻1 §6

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力3025−5
  • 政治3530−5
  • 魅力4038−2
  • 徳4035−5
  • 処世2835+7
  • 文芸3533−2
  • 弁舌3340+7
  • 用人3328−5
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 太后であることから推定魏書 巻1 §5

    演直接の記録なし — 太后であることから推定第2回 §43

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 太后であることから推定魏書 巻1 §5

    演直接の記録なし — 太后であることから推定第3回 §15

  • 知力正30演25 −5

    正宦官誅殺に従わず、何進が董卓を呼び寄せることになった魏書 巻6 §5魏書 巻6 §34

    演宦官をかばって誅殺を阻み、宦官に謝罪に行けと言った第2回 §52第3回 §6

  • 政治正35演30 −5

    正少帝即位後に朝政に臨んだが、何進・袁紹の宦官誅殺の謀を聞き入れなかった魏書 巻1 §5

    演宦官が宮中を統べるのは旧例だとして政を誤った第2回 §43第2回 §52

  • 魅力正40推定演38推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §5

    演直接の記録なし — 事績から推定第2回 §49

  • 徳正40推定演35 −5

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §34

    演宦官の恩で富貴を得たとしてかばい、董太后には毒殺を責められた第2回 §43第2回 §47

  • 処世正28演35 +7

    正宦官誅殺を聞き入れぬうちに変乱に遭い、皇帝が廃された後に董卓に殺された魏書 巻6 §6魏書 巻6 §8

    演董太后を退けたが、何進の失策の末に鴆酒を差し出された第2回 §48第4回 §15

  • 文芸・学術正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §5

    演直接の記録なし — 事績から推定第2回 §46

  • 弁舌・外交正33推定演40 +7

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §34

    演董太后に政に関わらぬよう勧めたが、争いに発展した第2回 §46第2回 §47

  • 識人・用人正33推定演28 −5

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §35

    演賄賂を受けた何苗の言葉を信じて従った第2回 §51第2回 §52

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(3回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

家族

配偶者霊帝 演義
兄弟姉妹何進 演義・正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。

関連事件(2)

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