正黎漿で呉軍を敗走させたが、姜維を一日の差で取り逃がした魏書 巻28 §62魏書 巻28 §68
諸葛緒
人物紹介
諸葛緒は魏で泰山太守と雍州刺史を務めた。正史には独立した伝がなく、字も出身地も記されていない。毌丘倹が乱を起こした後、呉の軍が長江を渡ろうとすると、鄧艾の命を受けて黎漿で防ぎ戦い、敵を敗走させた。 正史 魏書 巻28 §62
景元4年(263)、魏が蜀を討ったとき、雍州刺史として諸軍3万余人を率いて姜維の帰路を断つ役目を負ったが、橋頭を通り過ぎる姜維を一日の差で取り逃がした。鄧艾が陰平から間道を共に行こうと持ちかけると、もとの詔にないとして断って鍾会と合流したが、軍権を独占しようとした鍾会が、彼は怖じ気づいて進まないと密かに上申したため、檻車で召還された。 正史 魏書 巻28 §103 · 68 · 113–114
陳寿は巻28の評で彼に触れていない。演義では第116回に鄧艾が呼び集めた雍州刺史として初めて登場し、全120回のうち2回に登場するが、回目に名が挙がる回はない。 正史 魏書 巻28 §140演義 第116回 §6
正史の記録
高貴郷公が即位した後、毌丘倹が乱を起こして敗れ、文欽が呉に逃れると、呉の大将軍孫峻らが十万の衆と称して長江を渡ろうとした。鎮東将軍諸葛誕は鄧艾を遣わして肥陽を占拠させたが、鄧艾は敵から遠く離れて要害の地ではないとして附亭に移って駐屯し、泰山太守諸葛緒らを遣わして黎漿で防ぎ戦わせ、ついに敵を敗走させた。 正史 魏書 巻28 §62
景元4年(263)夏5月に詔が下り、征西将軍鄧艾は諸軍を督して甘松・沓中に赴き姜維を捕らえ、雍州刺史諸葛緒は諸軍を督して武都・高楼に赴き前後から挟み討つこととされた。姜維を捕らえれば東西並んで進撃し、巴蜀を掃滅するというものであった。鎮西将軍鍾会には駱谷を経て蜀を討たせた。 正史 魏書 巻4 §123–125
その秋、詔によって鄧艾と諸葛緒にそれぞれ諸軍3万余人を率いさせ、鄧艾は甘松・沓中に進んで姜維を釘付けにし、諸葛緒は武街・橋頭に進んで姜維の帰路を断つこととした。大将軍司馬昭がすべてを指揮して節度を授け、鍾会は十余万の衆を率いて斜谷・駱谷から分かれて入った。鍾会が蜀に送った檄文も、征西・雍州・鎮西の諸軍が五道から並んで進むと述べている。蜀の後主伝は、この年の夏、魏が征西将軍鄧艾・鎮西将軍鍾会・雍州刺史諸葛緒に命じて数道から同時に攻めさせたと記す。 正史 魏書 巻28 §67 · 103 · 107正史 蜀書 巻3 §43
蜀では左車騎将軍張翼と輔国大将軍董厥らを陽安関の入口に遣わして諸陣を外から助けさせたが、彼らは陰平に至ったとき、魏の将諸葛緒が建威に向かうと聞いて、とどまって待った。 正史 蜀書 巻14 §44
姜維は鍾会の諸軍がすでに漢中に入ったと聞いて退いた。楊欣らに強川口で敗れた姜維は、雍州の軍がすでに道を塞いで橋頭に駐屯していると聞くと、孔函谷から北道に入り、雍州軍の背後に出ようとした。諸葛緒はこれを聞いて30里退いた。姜維は北道を30余里入ったが、諸葛緒の軍が退いたと聞くと、すぐに引き返して橋頭を通り過ぎた。諸葛緒は駆けつけて姜維を断とうとしたが、一日の差で及ばなかった。 正史 魏書 巻28 §68
鄧艾は姜維を追って陰平に至り、精鋭を選んで漢徳陽から江由・左儋の道に入り、綿竹に至って成都に向かおうとし、諸葛緒とともに行こうとした。諸葛緒は、もともと受けた指示は姜維を遮ることであり、西へ行くのはもとの詔にないとして、軍を率いて白水に進み、鍾会と合流した。 正史 魏書 巻28 §113
鍾会と諸葛緒の軍は剣閣に向かった。鍾会は軍権を独占しようとして、諸葛緒が怖じ気づいて進まないと密かに上申し、諸葛緒は檻車で召還された。その兵はすべて鍾会に属した。陳寿の本文はその後の諸葛緒のことを記しておらず、巻28の評でも彼に触れていない。 正史 魏書 巻28 §114 · 140
演義の描写
演義第116回で、隴西にいた鄧艾は蜀を討てとの詔を受けると、司馬望に羌人を防がせ、雍州刺史諸葛緒、天水太守王頎、隴西太守牽弘、金城太守楊欣に使いを送り、それぞれ率いる兵を連れて来て命を聞くようにさせる。鍾会の檄文が届くと、鄧艾は諸葛緒に兵1万5千を率いて先に姜維の帰路を断たせる。 演義 第116回 §6 · 8
同じ回で姜維は、鄧艾の兵が背後に迫ると漢中を取り戻そうとするが、雍州刺史諸葛緒がすでに帰路を断ったとの報告を受ける。魏軍は陰平の橋頭に駐屯する。副将寧随の計に従って姜維が孔函谷に入り雍州を攻めるふりをすると、諸葛緒は大いに驚き、「雍州は私が守るべき地であり、もし手落ちがあれば朝廷は必ず罪を問うであろう」と言って大軍を引き上げ、南の道から雍州を救いに向かい、一隊だけを橋頭に残す。 演義 第116回 §40–42
姜維は北道を30里ほど行ってから兵を返し、橋頭を守っていた兵を蹴散らして陣営と柵を焼き払う。諸葛緒は橋頭で火が上がったと聞いて引き返すが、姜維の兵が通り過ぎてからすでに半日たっており、あえて追わない。 演義 第116回 §42–43
第117回で、姜維が剣閣で董厥と話している間に、諸葛緒が兵を率いて関の下まで攻め寄せる。姜維は兵5千を率いて下り、魏軍の陣中を縦横に突き崩し、諸葛緒は大敗して数十里退き陣営を構える。 演義 第117回 §1–2
剣閣から20里離れた所に陣営を構えた鍾会のもとへ、諸葛緒が自ら出向いて罪を請う。鍾会は、陰平の橋頭を守って姜維の帰路を断てと命じたのに取り逃がし、今また命令も受けずに勝手に兵を出して敗れたと責める。諸葛緒は、姜維が雍州を攻めるふりをしたので救いに行った隙に抜け出され、追って関の下まで行ったがまた敗れたと答える。鍾会が斬れと命じると、監軍衛瓘は、諸葛緒は鄧征西将軍の率いる者であり、殺せば和気を損なうと諫め、皆も強く止める。鍾会は諸葛緒を檻車に乗せて洛陽に送り晋公の処分に委ね、彼の率いていた兵を自らの配下に収める。これを聞いた鄧艾は大いに怒る。 演義 第117回 §3–5
演義と異なる点
黎漿の戦い:演義で諸葛緒は第116回にすでに雍州刺史として初めて登場し、泰山太守の時のことはない。正史の鄧艾伝では、毌丘倹の乱の後に呉の軍が長江を渡ろうとすると、泰山太守諸葛緒らが鄧艾の命で黎漿で防ぎ戦い、敵を敗走させた。 演義 第116回 §6正史 魏書 巻28 §62
指揮系統:演義第116回では、鄧艾が詔を受けて諸葛緒を呼び命を聞かせ、兵1万5千を与えて道を断たせ、第117回では衛瓘も彼を鄧艾の率いる者と言う。正史では、詔が鄧艾と諸葛緒にそれぞれ諸軍3万余人を率いさせてそれぞれ別の道を任せ、指揮と節度は大将軍司馬昭が授けた。 演義 第116回 §8演義 第117回 §4正史 魏書 巻28 §67 · 103
姜維を取り逃がした経緯:演義第116回では、諸葛緒は雍州を失うことを恐れて南の道から雍州を救いに行き、戻ったときには半日が過ぎていて、あえて追わない。正史では、姜維が北道から雍州軍の背後に出ようとすると諸葛緒は30里退き、姜維が引き返して橋頭を通り過ぎると駆けつけて断とうとしたが、一日の差で及ばなかった。 演義 第116回 §42–43正史 魏書 巻28 §68
鄧艾の提案:演義で鄧艾は諸葛緒にともに行こうとは言わない。正史では、鄧艾が陰平から間道で綿竹・成都に進もうとして諸葛緒とともに行こうとしたが、諸葛緒は西へ行くのはもとの詔にないとして白水に進み、鍾会と合流した。 演義 第117回 §2–5正史 魏書 巻28 §113
剣閣の戦い:演義第117回で諸葛緒は剣閣の関の下まで攻め寄せ、姜維に大敗する。正史では、鍾会と諸葛緒の軍が剣閣に向かったとだけ記し、諸葛緒が姜維と戦って敗れた記録はない。 演義 第117回 §2正史 魏書 巻28 §114
檻車に乗せられた理由:演義第117回では、諸葛緒が自ら罪を請うと、鍾会は命令なしに兵を出して敗れたとして斬ろうとするが、衛瓘らが止めたので檻車に乗せて洛陽に送る。正史では、軍権を独占しようとした鍾会が、諸葛緒は怖じ気づいて進まないと密かに上申し、諸葛緒は檻車で召還された。 演義 第117回 §3–4正史 魏書 巻28 §114
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4835−13
- 武力3838±0
- 知力3025−5
- 政治4240−2
- 魅力3838±0
- 徳5245−7
- 処世3030±0
- 文芸3533−2
- 弁舌3538+3
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 9件 — 根拠を見る
正直接の記録なし — 武将としての事績から推定魏書 巻28 §62
演直接の記録なし — 武将であることから推定第117回 §2
正姜維が北道に入ると30里退いて道を明け渡した魏書 巻28 §68
正直接の記録なし — 雍州刺史の官職から推定魏書 巻4 §125
演直接の記録なし — 雍州刺史の官職から推定第116回 §8
正直接の記録なし — 3万余人を率いた記録魏書 巻28 §103
演直接の記録なし — 1万5千を率いた記録第116回 §8
正詔にない西進に従わず、もとの指示を守った魏書 巻28 §113
演直接の記録なし — 自ら出向いて罪を請うた記録第117回 §3
正鍾会に怖じ気づいたと讒言され檻車で召還された魏書 巻28 §114
正直接の記録なし — 武将であることから推定魏書 巻28 §62
演直接の記録なし — 武将であることから推定第116回 §8
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻28 §113
演雍州を失うのを恐れたと弁明したが、鍾会は受け入れなかった第117回 §3
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻28 §62
演直接の記録なし — 事績から推定第116回 §8
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。