孔伷

正史演義 字 公緒 Kong ZhouGongxu공주공서

プロフィール
職業正演君主 · 豫州刺史所属
登場正演収録
出生出身地陳留郡
実在実在言及正10回

人物紹介

孔伷は字を公緒といい、陳留の人である。董卓が政権を握った時、董卓が信任した周毖・伍瓊らの推挙で豫州刺史となったが、任地に着くと韓馥・劉岱らとともに兵を挙げて董卓を討とうとした。 正史 蜀書 巻8 §3正史 魏書 巻6 §10正史 魏書 巻7 §37

初平元年(190)正月、袁術・袁紹らと同時に兵を挙げて袁紹を盟主に推し、潁川に駐屯した。誅殺を恐れて逃れた許靖が彼に身を寄せた。のちに死去したが、陳寿の本文はその年と経緯を記していない。 正史 魏書 巻1 §7–8正史 蜀書 巻8 §4

正史には独立した伝がなく、董卓伝・武帝紀・臧洪伝・許靖伝に登場する。演義では第5回で曹操の檄文に応じた諸侯のうち第三鎮の豫州刺史として名が一度挙がるだけで、全120回のうちこの1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。 正史 魏書 巻6 §10正史 魏書 巻1 §7正史 魏書 巻7 §37–38正史 蜀書 巻8 §3–4演義 第5回 §7

正史の記録

許靖伝によれば、霊帝が崩御して董卓が政権を握ると、漢陽の人周毖が吏部尚書となり、許靖とともに天下の士の登用と罷免を行った。このとき尚書韓馥は冀州牧、侍中劉岱は兗州刺史、潁川の張咨は南陽太守、陳留の孔伷は豫州刺史、東郡の張邈は陳留太守に任じられた。韓馥らは官に着くと、それぞれ兵を挙げてかえって都へ向かい、董卓を誅しようとした。 正史 蜀書 巻8 §2–3

董卓伝も、董卓が尚書周毖・城門校尉伍瓊らを信任し、彼らが推挙した韓馥・劉岱・孔伷・張咨・張邈らを州郡の長として送り出したと記す。韓馥らが任地に着くとみな兵を合わせて董卓を討とうとしたので、董卓は周毖・伍瓊らが彼らと内通して自分を売ったと考え、みな斬った。 正史 魏書 巻6 §10

許靖伝では、董卓は周毖に「諸君が用いた者たちは、官に着いたその日にかえって私を図りに来た」と怒り、彼を外で斬った。許靖の従兄である陳国の相許瑒も孔伷とともに謀っていたので、許靖は誅殺を恐れて孔伷のもとへ逃げた。 正史 蜀書 巻8 §4

武帝紀によれば、初平元年(190)春正月、後将軍袁術・冀州牧韓馥・豫州刺史孔伷・兗州刺史劉岱・河内太守王匡・勃海太守袁紹・陳留太守張邈・東郡太守橋瑁・山陽太守袁遺・済北相鮑信が同時に兵を挙げ、軍勢はそれぞれ数万で、袁紹を盟主に推した。2月、董卓が天子を長安に移して洛陽の宮室を焼いた時、袁紹は河内に、張邈・劉岱・橋瑁・袁遺は酸棗に、袁術は南陽に駐屯し、孔伷は潁川に駐屯した。董卓の軍が強かったので、袁紹らは誰もあえて先に進もうとしなかった。 正史 魏書 巻1 §7–8

臧洪伝によれば、張邈は酸棗に集まった際、弟張超の功曹臧洪を呼んで会い、大いに非凡と感じて、兗州の劉公山と豫州の孔公緒に紹介し、二人ともに臧洪と親しくした。壇を設けて盟約を結ぼうとした時、諸州郡は互いに譲り合ってみな臧洪を推し、臧洪は壇に登って血をすすり、兗州刺史劉岱・豫州刺史孔伷・陳留太守張邈・東郡太守橋瑁・広陵太守張超らが義兵を糾合し、ともに国難に赴くと誓った。 正史 魏書 巻7 §35 · 37–38

孔伷の死は、許靖伝の「孔伷が死ぬと、許靖は揚州刺史陳禕に身を寄せた」という一節にしか出てこない。陳寿の本文は孔伷が死んだ年と理由を記していない。 正史 蜀書 巻8 §4

演義の描写

演義第5回で、曹操が偽の詔を掲げて董卓を討つ檄文を諸郡に送ると、各鎮の諸侯がみな兵を挙げて応じる。孔伷は第一鎮の袁術、第二鎮の冀州刺史韓馥に続いて第三鎮の豫州刺史として名が挙がり、十七鎮の軍勢は3万あるいは1、2万ずつ、それぞれ文官と武将を率いて洛陽へ向かう。 演義 第5回 §6–9

諸侯が集まると、曹操は牛馬を屠って進軍の策を議し、王匡が盟主を立てるべきだと言うと、曹操の推薦で袁紹が盟主となる。袁紹が三層の壇に登って盟文を読み、血をすすると、諸侯は爵位と年齢に従って二列に分かれて座る。演義はこの場でもその後の戦いでも孔伷の名を再び挙げず、その死も記さない。 演義 第5回 §13–15

演義と異なる点

挙兵の経緯:演義第5回で、孔伷は曹操が偽の詔によって送った檄文に応じて兵を挙げる。正史では、董卓が周毖と伍瓊の推挙を受けて孔伷を豫州刺史として送り出したが、韓馥らが任地に着いて兵を合わせ董卓を討とうとしたため、董卓は周毖と伍瓊を斬った。 演義 第5回 §6–7正史 魏書 巻6 §10正史 蜀書 巻8 §3–4

ともに立った諸侯:演義第5回で、孔伷は十七鎮の諸侯のうち第三鎮として名が挙がる。正史の武帝紀で初平元年(190)正月に同時に兵を挙げたのは袁術から鮑信までの10人で、孔伷はその3番目に記されている。 演義 第5回 §7–9正史 魏書 巻1 §7

駐屯地:演義第5回では諸方面の軍勢が洛陽へ向かい、曹操が諸侯を大いに集めて盟主を立てる。正史の武帝紀で孔伷は、張邈・劉岱らが集まった酸棗ではなく潁川に駐屯した。 演義 第5回 §9 · 13正史 魏書 巻1 §8

誓った人:演義第5回では、盟主となった袁紹が壇に登り、盟文を読み、誓う者を「紹ら」と称する。正史の臧洪伝では、諸州郡が互いに譲り合って臧洪を推し、臧洪の盟文に豫州刺史孔伷の名が入っている。 演義 第5回 §14正史 魏書 巻7 §38

字とその後のこと:演義は第5回に名と官職を記すだけである。正史では臧洪伝に字が公緒と、許靖伝に陳留の人と見え、許靖が孔伷に身を寄せ、孔伷が死ぬと揚州刺史陳禕のもとへ行ったと記す。 演義 第5回 §7正史 魏書 巻7 §37正史 蜀書 巻8 §3–4

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3838±0
  • 武力3131±0
  • 知力3838±0
  • 政治4242±0
  • 魅力4540−5
  • 徳4545±0
  • 処世3838±0
  • 文芸4240−2
  • 弁舌3838±0
  • 用人3836−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正38演38推定 ±0

    正兵を挙げて潁川に駐屯したが、誰も先に進もうとしなかった魏書 巻1 §7魏書 巻1 §8

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 文官の刺史であることから推定魏書 巻1 §7

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 知力正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 豫州刺史の職から推定魏書 巻1 §8

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 政治正42推定演42推定 ±0

    正直接の記録なし — 士として抜擢された豫州刺史であることから推定魏書 巻6 §10蜀書 巻8 §3

    演直接の記録なし — 豫州刺史の職から推定第5回 §7

  • 魅力正45演40推定 −5

    正許靖が誅殺を逃れて孔伷のもとへ走り、身を寄せた蜀書 巻8 §4

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 徳正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 任地で董卓討伐に立ったことから推定魏書 巻6 §10

    演直接の記録なし — 檄文に応じたことから推定第5回 §7

  • 処世正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 豫州刺史の職から推定魏書 巻6 §10

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 文芸・学術正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 士として抜擢されたことから推定蜀書 巻8 §3

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 弁舌・外交正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 許瑒とともに謀ったことから推定蜀書 巻8 §4

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

  • 識人・用人正38推定演36推定 −2

    正直接の記録なし — 豫州刺史の職から推定魏書 巻1 §7

    演直接の記録なし — 第三鎮の豫州刺史であることから推定第5回 §7

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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