張咨
人物紹介
張咨は潁川の人である。霊帝が崩御して董卓が政権を握ったとき、尚書周毖と城門校尉伍瓊らの推薦により、韓馥・劉岱・孔伷・張邈らとともに州郡を任されて出向き、南陽太守となった。陳寿は、韓馥らが任地に着くと、みな兵を合わせて董卓を討とうとしたと記した。 正史 蜀書 巻8 §2–3正史 魏書 巻6 §10
董卓を討つため兵を挙げた長沙太守孫堅が南陽に至ると、彼を礼遇し、翌日返礼に赴いたところ、義兵を滞らせたという罪名で孫堅の軍門で斬られた。南陽に逃れていた袁術は、これによってその郡を手に入れることができた。 正史 呉書 巻1 §13–14正史 魏書 巻6 §72
正史には独立した伝がなく、許靖・董卓・袁術・孫堅の伝に名が見える。陳寿の評に彼の名はなく、演義には登場しない。 正史 蜀書 巻8 §3正史 魏書 巻6 §10 · 72正史 呉書 巻1 §13–14
正史の記録
霊帝が崩御して董卓が政権を握ると、漢陽の人周毖が吏部尚書となり、許靖とともに天下の士の進退をつかさどった。彼らは尚書韓馥を冀州牧に、侍中劉岱を兗州刺史に、潁川の張咨を南陽太守に、陳留の孔伷を豫州刺史に、東郡の張邈を陳留太守に任じた。韓馥らは官に着くと、それぞれ兵を挙げてかえって都へ向かい、董卓を誅殺しようとした。 正史 蜀書 巻8 §2–3
董卓伝もまた、董卓が尚書周毖と城門校尉伍瓊らを信任し、彼らが推薦した韓馥・劉岱・孔伷・張咨・張邈らを登用して州郡を治めに送り出したと記す。陳寿は、韓馥らが任地に着くとみな兵を合わせて董卓を討とうとし、董卓は周毖と伍瓊らが彼らと通じて自分を売ったと考えて、みな斬ったと記した。 正史 魏書 巻6 §10
霊帝の崩御後、董卓が朝政をほしいままにすると、諸州郡は義兵を挙げ、長沙太守孫堅も兵を挙げた。孫堅は、かねて自分に無礼であった荊州刺史王叡を通りがかりに殺し、南陽に至るころには軍勢は数万人となっていた。南陽太守張咨は軍が来たと聞いても泰然自若としていた。 正史 呉書 巻1 §13
孫堅が牛と酒で張咨を礼遇すると、張咨も翌日返礼として孫堅を訪れた。酒宴がたけなわになったころ、長沙の主簿が入ってきて孫堅に、先に南陽に文書を送ったが道路は整えられておらず軍需物資も備わっていないので、主簿を捕らえてそのわけを問いただしたいと申し上げた。 正史 呉書 巻1 §13
張咨は大いに恐れて立ち去ろうとしたが、兵が四方に陣を布いていて出られなかった。しばらくして主簿が再び入ってきて、南陽太守が義兵を滞らせ、賊を時機を逃さず討てなくさせたので、捕らえて引き出し軍法に従って処断したいと申し上げ、ただちに張咨は軍門に引き立てられて斬られた。郡中は震え上がり、孫堅は求めて得られないものはなかった。 正史 呉書 巻1 §14
袁術は董卓から災いを受けることを恐れて南陽に逃れていたが、ちょうど長沙太守孫堅が南陽太守張咨を殺したため、その郡を手に入れることができた。陳寿の本文は張咨の字と年齢、死んだ年を記していない。 正史 魏書 巻6 §72正史 呉書 巻1 §13–14
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能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率35
- 武力31
- 知力28
- 政治35
- 魅力38
- 徳40
- 処世20
- 文芸35
- 弁舌35
- 用人33
項目別の根拠
正直接の記録なし呉書 巻1 §13
正直接の記録なし呉書 巻1 §14
正孫堅の軍が来ても泰然としていたが、返礼に赴いて捕らえられた呉書 巻1 §13
正道路を整えず物資も供給せず、義兵を滞らせたという罪名呉書 巻1 §13
正直接の記録なし蜀書 巻8 §3
正直接の記録なし魏書 巻6 §10
正自ら孫堅の陣営を訪れ、軍門で斬られた呉書 巻1 §13
正直接の記録なし蜀書 巻8 §3
正直接の記録なし呉書 巻1 §13
正直接の記録なし魏書 巻6 §72
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。