橋瑁
人物紹介
橋瑁は東郡太守である。初平元年(190)春正月、袁術・韓馥・孔伷・劉岱・王匡・袁紹・張邈・袁遺・鮑信と同時に兵を挙げて袁紹を盟主に推し、2月には張邈・劉岱・袁遺とともに酸棗に駐屯した。 正史 魏書 巻1 §7–8
正史には独立した伝がなく、魏書の武帝紀と臧洪伝に名が見える。臧洪伝の酸棗の盟約文に東郡太守として名を連ね、のちに兗州刺史劉岱と互いに仲が悪くなって、劉岱に殺された。劉岱は王肱に東郡太守を兼ねさせた。 正史 魏書 巻7 §38正史 魏書 巻1 §14
演義では第5回に曹操の檄文に応じた第七鎮の東郡太守として初めて登場し、120回のうち2回に登場するが、名が回目に入る回はない。虎牢関では袁遺とともに呂布に敗れた王匡を救い、第6回で劉岱に兵糧を貸さなかったために陣営を襲われて死ぬ。 演義 第5回 §8 · 44演義 第6回 §34
正史の記録
初平元年(190)春正月、後将軍袁術、冀州牧韓馥、豫州刺史孔伷、兗州刺史劉岱、河内太守王匡、勃海太守袁紹、陳留太守張邈、東郡太守橋瑁、山陽太守袁遺、済北相鮑信が同時にみな兵を挙げた。軍勢はそれぞれ数万で、袁紹を盟主に推した。曹操は奮武将軍の職務を代行した。 正史 魏書 巻1 §7
臧洪伝によれば、広陵太守張超は臧洪とともに陳留へ行って兄の張邈と事を相談し、彼らは酸棗に集まった。壇を設けてともに盟誓しようとしたとき、諸州郡は互いに譲り合って引き受けようとせず、みなで臧洪を推した。臧洪は壇に登って盤を捧げ持ち、血をすすって、兗州刺史劉岱・豫州刺史孔伷・陳留太守張邈・東郡太守橋瑁・広陵太守張超らが義兵を糾合し、ともに国難に赴くと誓った。まもなく諸軍は誰も先に進もうとせず、兵糧が尽きると軍勢は散り散りになった。 正史 魏書 巻7 §37–39
2月、董卓は兵が起こったと聞くと、天子を移して長安を都とし、自らは洛陽に留まって宮殿を焼き払った。このとき袁紹は河内に、張邈・劉岱・橋瑁・袁遺は酸棗に駐屯していた。董卓の兵が強かったため、袁紹らは誰もあえて先に進まなかった。 正史 魏書 巻1 §8
曹操は兵を率いて西へ進んだが、滎陽の汴水で董卓の部将徐栄に敗れた。曹操が酸棗に着くと、諸軍の兵は十余万であったが、毎日酒宴を開くばかりで進撃を図らなかった。曹操はこれを責め、酸棗の諸将が成皋を守り、敖倉を押さえ、轘轅・太谷を塞いで要害を制する計略を示したが、張邈らはその計略を用いることができなかった。 正史 魏書 巻1 §9 · 11–12
劉岱と橋瑁は互いに仲が悪くなり、劉岱は橋瑁を殺して王肱に東郡太守を兼ねさせた。陳寿は仲が悪くなった理由を記しておらず、武帝紀はこの件を初平2年(191)春の記事の前に記している。 正史 魏書 巻1 §14 · 16
演義の描写
演義第5回で、袁紹が曹操の偽の詔を受けて会盟に来ると、曹操は檄文を作って諸郡に送る。各鎮の諸侯はみな兵を挙げて呼応し、橋瑁は第七鎮の東郡太守として名を連ねる。諸路の軍馬は3万のところもあれば1〜2万のところもあり、それぞれ文官・武将を率いて洛陽へ向かう。 演義 第5回 §6–9
同じ回で董卓が虎牢関に兵を置くと、袁紹は王匡・橋瑁・鮑信・袁遺ら八路の諸侯を分けて虎牢関へ送り、敵を迎え撃たせる。先に到着した河内太守王匡の部将方悦は五合もたたずに呂布の戟に突かれて落馬し、王匡の軍は大敗するが、橋瑁と袁遺の両軍が到着して王匡を救うと、呂布はようやく退く。三路の諸侯はそれぞれ少なからぬ人馬を失い、30里退いて陣を構える。 演義 第5回 §42 · 44–45
第6回で曹操と公孫瓚がそれぞれ兵を引いて去ったのち、兗州太守劉岱が東郡太守橋瑁に兵糧を借りようとする。橋瑁が言い逃れをして与えないと、劉岱は兵を率いて橋瑁の陣営に攻め込み、橋瑁を殺してその兵をすべて降伏させる。袁紹も人々がそれぞれ散っていくのを見て、陣を引き払って関東へ去る。 演義 第6回 §33–34
演義と異なる点
挙兵:演義第5回で、橋瑁は曹操の檄文に応じて第七鎮として兵を挙げる。正史の武帝紀は、袁術・韓馥・橋瑁らが同時に兵を挙げて袁紹を盟主に推したと記すだけで、曹操が檄文を回したという話はない。 演義 第5回 §7–8正史 魏書 巻1 §6–7
盟誓:演義第5回では、盟主の袁紹が壇に登り、「袁紹ら」の名で盟誓する。正史の臧洪伝では、諸州郡が互いに譲り合ったため臧洪が壇に登り、その盟約文に東郡太守橋瑁の名が劉岱・孔伷・張邈・張超とともに挙がる。 演義 第5回 §13–14正史 魏書 巻7 §38
虎牢関:演義第5回で、橋瑁は虎牢関に出陣し、袁遺とともに呂布に敗れた王匡を救う。正史の武帝紀では、橋瑁は張邈・劉岱・袁遺とともに酸棗に駐屯し、董卓の兵が強かったため誰も先に進めなかった。陳寿の本文には橋瑁が戦った記録はない。 演義 第5回 §42 · 44正史 魏書 巻1 §8 · 14正史 魏書 巻7 §38
死の理由:演義第6回では、橋瑁が兵糧を貸さなかったため劉岱がその陣営を攻めて彼を殺し、兵をすべて降伏させる。正史の武帝紀は、劉岱と橋瑁が互いに仲が悪くなり、劉岱が橋瑁を殺したと記すだけで、兵糧の話はない。劉岱はその後、王肱に東郡太守を兼ねさせた。 演義 第6回 §34正史 魏書 巻1 §14
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4550+5
- 武力3838±0
- 知力4242±0
- 政治4242±0
- 魅力4040±0
- 徳4545±0
- 処世4233−9
- 文芸4040±0
- 弁舌3535±0
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。