方悦 方悅
| 職業 | 演武将 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 死去 | 死去地 | 演虎牢関 | |
| 死因 | 演戦死 推定 | ||
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
方悦は演義第5回に、河内太守王匡配下の河内の名将として登場する。華雄を失った董卓が自ら虎牢関を守り、呂布に関の前に大きな陣営を構えさせると、盟主袁紹は王匡ら八路の諸侯を虎牢関に送って迎え撃たせる。 演義 第5回 §40–42 · 44
最初に到着した王匡が誰か出て戦う者はいないかと問うと、方悦が馬を駆り槍をしごいて進み出るが、五合も打ち合わぬうちに呂布の戟に突かれて落馬する。王匡の兵は大敗して散り散りになり、橋瑁と袁遺の兵が到着して王匡を救うと、呂布はようやく退く。 演義 第5回 §43–44
演義全120回のうち第5回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文の董卓伝は、河内太守王匡が泰山の兵を河陽津に駐屯させて董卓を図ろうとすると、董卓がひそかに精兵を送ってその背後に回り込んで攻め、津の北で大いに破り、死者はほとんど全員に及んだと記すのみで、方悦の名は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。 演義 第5回 §44正史 魏書 巻6 §11
演義の描写
演義第5回で、華雄を失った董卓は兵20万を起こして二手に分け、自らは15万を率いて李儒・呂布らとともに洛陽から50里離れた虎牢関を守り、呂布に3万の兵で関の前に大きな陣営を構えさせる。袁紹は、董卓が虎牢関に兵を置いて諸侯の中央の道を断とうとしているので兵の半分で迎え撃つべきだという曹操の言葉に従い、王匡ら八路の諸侯を虎牢関に送って敵を迎え撃たせる。 演義 第5回 §40–42
河内太守王匡が兵を率いて先に到着すると、呂布が鉄騎3千を率いて飛ぶように駆けつけて迎え撃つ。演義は陣前に現れた呂布を、髪を三つに束ねた紫金冠をかぶり、西川の紅い錦の戦袍と連環の鎧をまとい、画戟を手に赤兎馬にまたがった姿として描き、まさに「人中の呂布、馬中の赤兎」と言うにふさわしかったと記す。 演義 第5回 §43
王匡が振り返って誰か出て戦う者はいないかと問うと、後ろから一人の将が馬を駆り槍をしごいて進み出る。王匡が見ると、河内の名将方悦である。両者の馬が交わって五合も打ち合わぬうちに、方悦は呂布の戟に突かれて落馬し、呂布は戟をしごいてまっすぐ突き進んでくる。王匡の兵は大敗して四方に散り散りに逃げ、橋瑁と袁遺の両軍が到着して王匡を救うと、呂布はようやく退く。三路の諸侯はそれぞれ少なからぬ人馬を失い、30里退いて陣営を構える。 演義 第5回 §44–45
続いて到着した諸侯が呂布に敵う者はいないと憂えるなか、呂布が戦いを挑んでくると、上党太守張楊の部将穆順は戟の一突きで落馬し、北海太守孔融の部将武安国は十合余りで手首を斬られて逃げる。呂布がまた戦いを挑んで公孫瓚を追うと、張飛が進み出て50合余り戦い、関羽と劉備が次々に加勢して三人で呂布を取り囲む。演義で方悦はその前の最初の戦いの後、二度と登場しない。 演義 第5回 §45–50
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率45
- 武力55
- 知力36
- 政治33
- 魅力40
- 徳45
- 処世38
- 文芸32
- 弁舌33
- 用人33
項目別の根拠
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演河内の名将と呼ばれたが、呂布に五合も持たずに討たれた第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演直接の記録なし — 河内の名将としての役割から推定第5回 §44
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →