正廷尉23年、誣告褒賞法の廃止・鹿の禁令解除を建議、評:法理に明るい魏書 巻24 §33魏書 巻24 §51魏書 巻24 §81
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
高柔は字を文恵といい、陳留郡圉県の人である。従兄の高幹に従って河北にいたが、高幹が并州で反乱を起こすと自ら太祖(曹操)に帰順し、法を公正に処理したので丞相府に招かれた。 正史 魏書 巻24 §23 · 25–26
文帝(曹丕)の時に治書侍御史・治書執法として妖言を告発した者に賞を与える法の廃止を願い、黄初4年(223)に廷尉となって23年間その職にあり、鮑勛を殺せという詔命に従わなかった。司空・司徒を歴任し、嘉平元年(249)司馬宣王(司馬懿)が曹爽を罷免した時には大将軍の事を代行して曹爽の軍営を掌握した。太尉に昇り、景元4年(263)90歳で死んだ。 正史 魏書 巻24 §33–35 · 38 · 57–58
陳寿は評で、高柔は法理に明るかったとした。演義には第107回に一度登場して司馬懿から節鉞を授かり、曹爽の陣営を占拠するが、回目に名が載る回はない。 正史 魏書 巻24 §81演義 第107回 §1
高柔は字を文恵といい、陳留郡圉県の人である。父の高靖は蜀郡都尉であった。郷里に残っていた高柔は、張府君(張邈)が先に陳留で志を得たので変乱が起こるのが心配だとして避難しようと言ったが、人々は張邈が太祖(曹操)と仲が良く、高柔が年少であるとして正しいと思わなかった。袁紹の甥である従兄の高幹が河北から呼ぶと、高柔は一族を挙げて従い、高靖が西の州で死ぬと、険しい道を冒して蜀に行って柩を迎え、三年かかって戻った。 正史 魏書 巻24 §23–25
太祖が袁氏を平定すると高柔を菅長としたが、高柔は、その名を聞いて自ら退いていた奸吏たちを呼び戻し、みな良吏とした。高幹が降伏した後に并州をもって反乱を起こすと、高柔は自ら太祖に帰順した。太祖は事にかこつけて彼を殺そうと刺姦令史としたが、高柔が法を公正に処理して獄を滞らせなかったので、丞相倉曹属に招いた。太祖が鍾繇らを送って張魯を討とうとした時には、西の韓遂と馬超が背くであろうと諫めたが、鍾繇が関中に入ると韓遂・馬超ははたして反乱を起こした。魏国が初めて建てられると尚書郎となり、丞相理曹掾に移った。 正史 魏書 巻24 §26–28
鼓吹の宋金らが合肥で逃亡すると、太祖は出征した兵が逃亡すればその妻子を殺す刑罰をいっそう重くし、担当者は宋金の母と妻、二人の弟をみな殺すよう求めた。高柔は、妻子を赦せば敵中で逃亡兵を信用させず、帰る心を誘うことができるが、刑罰を重ねて重くすればかえって逃げる者を増やすだけだと上申した。太祖は「善し」と言って殺すのをやめ、これによって命を救われた者が非常に多かった。 正史 魏書 巻24 §28–30
潁川太守に出た後、戻って法曹掾となった。太祖が校事の盧洪・趙達らを置いて臣下を監視させると、高柔は上が下を信じる趣旨ではなく、趙達らは好き嫌いによって威勢をふるっていると諫めた。太祖は賢人君子にはこの仕事をさせられないと言って聞き入れなかったが、のちに趙達らの奸悪な利得が露見すると、彼らを殺して高柔に謝った。 正史 魏書 巻24 §31–32
文帝(曹丕)が即位すると治書侍御史となって関内侯の爵位を賜り、治書執法に移った。妖言を言った者を殺して告発者に賞を与える法について、高柔は互いに誣告する風潮を開くとして廃止を願い、文帝はすぐには従わなかったが、誣告がますますひどくなると、誹謗を告発する者はその告発した罪で処罰せよとの詔を下した。校事の劉慈らが数年の間に摘発した奸悪な罪が万を数えると、高柔はすべて事実かどうかを確かめるよう願った。黄初4年(223)に廷尉に移った。 正史 魏書 巻24 §33–35
高柔は三公が政事に関与できないとして、疑わしい議論や刑獄の大事をしばしば三公に諮問するよう願い、受け入れられた。文帝が古い恨みから法を曲げて治書執法の鮑勛を殺そうとすると、高柔は固く拒んで詔命に従わなかった。文帝は高柔を台に呼び寄せておき、使者を廷尉に送って鮑勛を拷問して死なせてから、ようやく高柔を帰した。鮑勛伝は、守廷尉の高柔が鍾繇・華歆・陳群らとともに鮑勛の罪を赦すよう願ったと記す。 正史 魏書 巻24 §36–38正史 魏書 巻12 §75
明帝(曹叡)が即位すると延寿亭侯に封じられた。明帝が宮殿を盛大に造営して後宮を満たしたが、皇子が相次いで夭折すると、高柔は工事をおおよそ終えたら人夫を農事に帰し、後宮の残りの女性を家に帰すよう上疏した。明帝は「卿が忠実で心を王室に置き、常に正しい言葉をくれることはわかっている」と答えた。 正史 魏書 巻24 §39 · 42–45
宜陽典農の劉亀が禁苑で兎を射て獄に送られると、高柔は告発者の名を明らかにするよう願った。明帝は大いに怒ったが、高柔は「廷尉は天下の公平を守る職であり、至尊の喜怒によって法を壊すことはできない」と繰り返し上奏し、明帝は悟って告発した張京の名を下し、それぞれ罪に応じて処罰させた。父の喪中に軍務を命じられて病を理由に辞退し、捕らえられた解弘のためにも事情を上奏し、赦免を得た。 正史 魏書 巻24 §46–48
高柔は、禁地の鹿のせいで滎陽周辺の数百里がこの一年ほとんど収穫できなかったとして、狩猟の禁令を廃止するよう願った。護軍営の兵士竇礼が戻らず逃亡兵とされ、妻の盈と子どもたちが官奴婢にされると、高柔は盈に尋ねて、竇礼が同じ営の焦子文に金を貸していたことを突き止めた。焦子文を問い詰めると、彼は竇礼を殺して埋めた場所を自白し、盈母子は平民に戻された。 正史 魏書 巻24 §51–56
廷尉を23年務めた後に太常に移り、正始6年(245)十日で司空となり、正始9年(248)に司徒に移った。嘉平元年(249)正月、太傅司馬宣王(司馬懿)が曹爽を罷免するよう上奏すると、皇太后は詔で高柔を呼んで仮節を与え、大将軍の事を代行させて曹爽の軍営を掌握させた。太傅は高柔に「君は周勃となったな」と言った。曹爽が誅殺されると万歳郷侯に進封された。 正史 魏書 巻24 §57正史 魏書 巻4 §17 · 27–28
嘉平6年(254)斉王曹芳が廃位される時、高柔は兼太尉として策文を奉じて宗廟に告げた。高貴郷公(曹髦)が即位すると安国侯に進封され、甘露元年(256)に太尉に移った。常道郷公(曹奐)が即位すると食邑は合わせて4千戸となり、二人の息子が亭侯に封じられた。景元4年(263)9月に90歳で死に、諡を元侯といい、孫の高渾が跡を継いだ。 正史 魏書 巻4 §44–45 · 77 · 126正史 魏書 巻24 §57–58
陳寿は評で、高柔は法理に明るく、韓曁・崔林・孫礼・王観とともにみな公輔の位に至ったとしながらも、高柔が官職を20年保ち元老として最後まで位にあったことは、徐邈・常林と比べれば欠点となるとした。 正史 魏書 巻24 §81
曹爽の軍営を任せた人:演義第107回では司馬懿が宮中の役所に行き、自ら司徒高柔に節鉞を貸し与えて大将軍の事を代行させる。正史の高柔伝では、太傅司馬宣王(司馬懿)が曹爽の罷免を上奏すると、皇太后が詔で高柔を呼んで仮節を与えて大将軍の事を代行させ、太傅は高柔に「君は周勃となったな」と言った。 演義 第107回 §1正史 魏書 巻24 §57
廷尉としての活動:演義では高柔は第107回のこの一場面にしか出てこない。正史で高柔は廷尉になる前に妖言告発への褒賞の廃止を願い、23年間廷尉を務めて鮑勛処刑への反対、劉亀事件の告発者の公表、竇礼事件の解決などによって法の公平を守った。 演義 第107回 §1正史 魏書 巻24 §33–38 · 46–47 · 54–57
その後の事績:演義は曹爽が誅殺された後、高柔を再び取り上げない。正史で高柔は万歳郷侯・安国侯に昇って太尉となり、景元4年(263)90歳で死んだ。 演義 第107回 §1正史 魏書 巻24 §57–58
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正廷尉23年、誣告褒賞法の廃止・鹿の禁令解除を建議、評:法理に明るい魏書 巻24 §33魏書 巻24 §51魏書 巻24 §81
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正険路を越えて父の柩を迎え帰り、不当な詔命に従わず法を守った魏書 巻24 §25魏書 巻24 §38魏書 巻24 §47
演直接の記録なし — 事績から推定第107回 §1
正張邈の変乱と韓遂・馬超の反乱を予見、竇礼殺害の犯人を見抜いた魏書 巻24 §24魏書 巻24 §27魏書 巻24 §56
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正曹操・明帝を繰り返し説得し、縁坐処刑と隠蔽をやめさせた魏書 巻24 §29魏書 巻24 §30魏書 巻24 §47
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正奸吏を呼び戻して復職させると、みな良吏となった魏書 巻24 §26
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正乱を前もって避けようとし、曹爽排除の際に司馬懿の側で軍営を掌握魏書 巻24 §24魏書 巻24 §57
演政変の際に司馬懿の側に立ち、大将軍の事を代行第107回 §1
正校事趙達らの奸悪を見抜き、取り締まるよう諫めた魏書 巻24 §31魏書 巻24 §32
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正博士を優遇して儒学を尊ぶよう上疏し、採用された魏書 巻24 §39魏書 巻24 §41
演直接の記録なし — 司徒であることから推定第107回 §1
正直接の記録なし — 曹爽の軍営を掌握した事績から推定魏書 巻24 §57
演司徒として節鉞を受け、曹爽の陣営を占拠した第107回 §1
正直接の記録なし — 法官であることから推定魏書 巻24 §57
演直接の記録なし — 文官であることから推定第107回 §1
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。