曹純
人物紹介
曹純は曹仁の弟である。正史には魏書巻9諸夏侯曹伝に、兄曹仁に続いて短い伝がある。はじめ議郎として司空曹操の軍事に参与し、虎豹騎を率いて南皮の包囲に従軍した。 正史 魏書 巻9 §45
南皮では、攻撃を緩めようとする曹操に急いで攻めるよう説いて袁譚を破り、その配下の騎兵が袁譚の首を斬った。北の三郡征伐では、その部隊の騎兵が単于蹋頓を捕らえ、前後の功により高陵亭侯に封じられた。荊州征伐では長坂で劉備の二人の娘と輜重を捕らえた。建安15年(210)に死去した。 正史 魏書 巻9 §45–46
陳寿の評には曹純の名は入っていない。演義には第51回の1回だけに曹仁の弟として登場し、名が回目に入ることはない。南郡で曹仁を助けて周瑜の軍と戦い、彝陵を救いに行って敗れ、馬を捨てて逃げる。 正史 魏書 巻9 §132演義 第51回 §14 · 20
正史の記録
曹仁の弟曹純は、はじめ議郎として司空の軍事に参与し、虎豹騎を率いて南皮の包囲に従軍した。 正史 魏書 巻9 §45
袁譚が出撃して兵士が多く死んだため、曹操は攻撃を緩めようとした。曹純は、いま千里の道を来て敵地を踏んでいるのに、進んで勝てずに退けば必ず威信を失い、遠く離れた軍が深く入り込んでいて長く持ちこたえるのは難しく、彼らは勝って驕り我らは負けて恐れているのだから、恐れる我らで驕る敵を討てば必ず勝てると言った。曹操はその言葉をよしとして急いで攻撃し、袁譚は敗れた。曹純配下の騎兵が袁譚の首を斬った。武帝紀は袁譚を斬ったことを建安10年(205)春正月と記す。 正史 魏書 巻9 §45–46正史 魏書 巻1 §87–88
建安12年(207)、北の三郡の烏丸を征伐したとき、曹純の部隊の騎兵が単于蹋頓を捕らえた。武帝紀はこの戦いで張遼を先鋒とし、蹋頓および名王以下を斬ったと記す。曹純は前後の功により高陵亭侯に封じられ、食邑は300戸であった。 正史 魏書 巻9 §46正史 魏書 巻1 §97–100
建安13年(208)、荊州征伐に従軍し、長坂で劉備を追撃してその二人の娘と輜重を捕らえ、散り散りになった兵を収容した。文聘伝にも、曹操が降伏してきた文聘に兵を与え、曹純とともに長坂で劉備を追撃させたと記されている。曹純はさらに進んで江陵を降伏させ、曹操に従って譙へ帰った。 正史 魏書 巻9 §46正史 魏書 巻18 §35正史 魏書 巻1 §103–104
曹純は建安15年(210)に死去した。文帝が即位すると威侯の諡を追贈した。子の曹演が跡を継いで官は領軍将軍に至り、正元年間に平楽郷侯に進封され、曹演が死ぬと子の曹亮が跡を継いだ。 正史 魏書 巻9 §46
陳寿は巻9の評で、夏侯氏と曹氏は代々婚姻を結んでおり、夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹休・夏侯尚・曹真らは近親であり旧友として左右で勲業を助けたと述べた。このなかに曹純の名はない。 正史 魏書 巻9 §132
演義の描写
演義第51回で、南郡を守る曹仁は、牛金が丁奉に囲まれると自ら城を出て救い出し、曹仁と牛金は道を塞いだ蒋欽を蹴散らす。このとき曹仁の弟曹純も兵を率いて呼応して一戦乱戦し、呉の兵は敗れて逃げる。 演義 第51回 §12–14
甘寧が彝陵を攻めに来ると、曹仁は陳矯と相談したのち、曹純と牛金にひそかに兵を率いて曹洪を救わせる。曹純はまず人を送って曹洪に城を出て敵をおびき出すよう伝えるが、曹洪は敗走し、甘寧が彝陵を奪う。黄昏時に曹純と牛金の兵が到着し、曹洪と合流して彝陵を包囲する。 演義 第51回 §14–16
周瑜の大軍が到着すると、曹洪・曹純・牛金は南郡の曹仁に知らせる一方、兵を分けて迎え撃つ。しかし甘寧と周泰が二手に分かれて打って出ると大混乱に陥り、三人は脇道へ逃げるが、呂蒙の計略どおり切り倒して積み上げた木に道を塞がれ、みな馬を捨てて逃げる。呉の兵は馬500余頭を得る。 演義 第51回 §18–20
周瑜が矢傷で死んだという偽りの知らせを信じた曹仁が、陳矯だけを残して城を守らせ、夜に周瑜の本陣を襲いに出るとき、曹純は曹洪とともに後軍を担う。陣営が空であるのを見て計略にかかったと知って退くが、四方から呉の将たちが攻め込み、三手の軍はみな散り散りになる。曹純はこれ以後演義に登場しない。 演義 第51回 §33–37
演義と異なる点
南皮と袁譚:演義第33回では、曹洪が陣中で袁譚と出くわし、刀で斬り殺す。正史では、曹純が攻撃を緩めようとする曹操に急いで攻めるよう説いて袁譚を破り、曹純配下の騎兵が袁譚の首を斬った。 演義 第33回 §19正史 魏書 巻9 §45–46
蹋頓:演義第33回では、白狼山で張遼が蹋頓を斬って馬から落とす。正史の曹純伝は曹純の部隊の騎兵が単于蹋頓を捕らえたと記し、武帝紀は張遼を先鋒として蹋頓を斬ったと記す。 演義 第33回 §36–37正史 魏書 巻9 §46正史 魏書 巻1 §100
長坂:演義第41〜42回の長坂の追撃には曹純は登場しない。正史では曹純が長坂で劉備を追撃して二人の娘と輜重を捕らえ、文聘伝も文聘が曹純とともに劉備を追撃したと記す。 演義 第41回 §35演義 第42回 §6正史 魏書 巻9 §46正史 魏書 巻18 §35
南郡と彝陵:演義第51回で曹純は南郡で曹仁を助けて周瑜と戦い、彝陵を救いに行って敗れる。正史の曹純伝は、江陵を降伏させたのち曹操に従って譙へ帰ったと記す。周瑜伝と甘寧伝の南郡の戦いで、夷陵の甘寧を囲んだのは曹仁が分けて送った兵5、6千であり、曹純の名はない。 演義 第51回 §15–16正史 魏書 巻9 §46正史 呉書 巻9 §17正史 呉書 巻10 §58
官職と功績:演義は曹純を曹仁の弟として紹介するだけで、議郎として司空の軍事に参与し虎豹騎を率いたことや、高陵亭侯に封じられたことは記さない。 演義 第51回 §14正史 魏書 巻9 §45–46
死:演義には曹純の死は出てこない。正史では建安15年(210)に死去し、文帝が即位したのちに威侯の諡を受けた。 演義 第51回 §36正史 魏書 巻9 §46
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率7250−22
- 武力5045−5
- 知力6642−24
- 政治4035−5
- 魅力5040−10
- 徳5550−5
- 処世5042−8
- 文芸3531−4
- 弁舌4033−7
- 用人4035−5
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
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正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。