張爽

正史演義 Zhang Shuang장상张爽

プロフィール
職業正文官 · 勧学従事 演文官 · 従事所属
登場正演収録
実在実在言及正1回

人物紹介

張爽は劉備配下の蜀の官員である。正史には独立した伝がなく、先主伝に一度出てくる。魏の文帝が尊号を称したのち、勧学従事として議郎劉豹・青衣侯向挙・偏将軍張裔・黄権・楊洪・何宗・杜瓊・尹黙・譙周らとともに、讖書と緯書、瑞兆を挙げて劉備に帝位に即くよう請う上書を奉った。正史は彼の字・出身やそのほかの事績を記さない。 正史 蜀書 巻2 §55 · 59

演義では全120回のうち第80回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。諸葛亮の計略によって漢中王の前に入ってきてひれ伏し、帝位に即くよう請う文武の官員の名簿に「従事張爽」として名が出てくる。 演義 第80回 §37

正史の記録

建安25年(220)、魏の文帝が尊号を称し、年号を黄初と改めた。漢の皇帝が殺害されたという噂が伝わると、先主劉備は喪を発して喪服を着け、孝愍皇帝と追諡した。その後、各地からさまざまな瑞兆の報告が日ごと月ごとに相次いだ。そこで議郎・陽泉侯劉豹、青衣侯向挙、偏将軍張裔・黄権、大司馬属殷純、益州別駕従事趙莋、治中従事楊洪、従事祭酒何宗、議曹従事杜瓊、勧学従事張爽・尹黙・譙周らが上書した。 正史 蜀書 巻2 §55

この上書は、河図・洛書と五経の讖書・緯書は孔子が選び明らかにしたものであるとし、『洛書甄曜度』の「九世にして備に会い、合して帝の際となる」という句など、劉備の名の字を含む讖緯の文句を並べた。また「臣の父群」が生前、西南にしばしば黄色い気がまっすぐ立ちのぼったと語っていたこと、二十二年中に旗のような気がしばしば西から東の果てまで天の中ほどを通っていったこと、この年に太白・熒惑・填星が常に歳星を追っていたことを挙げた。そして、大王が天に応じ民に順って速やかに大業に就き、天下を安んじられるよう請うた。 正史 蜀書 巻2 §55–57 · 59

続いて太傅許靖、安漢将軍麋竺、軍師将軍諸葛亮らも上書し、前後して上書した臣下は八百余人で、みな符瑞を称述し、図讖が明らかに験を示していると述べた。彼らは博士許慈・議郎孟光とともに礼儀を立て、吉日を選んで尊号を奉ると言い、先主は成都の武担の南で皇帝の位に即いた。正史で張爽の名は、先の上書に連名した箇所にだけ出てくる。 正史 蜀書 巻2 §60 · 64–65 · 55

演義の描写

演義第80回で、曹丕が自ら大魏皇帝となり、漢の皇帝が害されたという噂が成都に届くと、漢中王は終日声を上げて泣き、百官に喪服を着けさせて孝愍皇帝の尊諡を奉る。憂いのあまり病にかかって政務を諸葛亮に任せ、諸葛亮は許靖・譙周と協議して漢中王を皇帝に推戴しようとする。譙周は、成都の西北の隅に黄色い気が立ちのぼり、帝星が現れたとして、帝位に即くべき兆しだと言う。 演義 第80回 §29–30

諸葛亮と許靖が官僚を率いて上表するが、漢中王は逆賊のすることを真似るわけにはいかないと言い、袖を払って奥へ入ってしまう。三日後に再び請うても従わないので、諸葛亮は官員たちに計略を言い含めておき、病と称して出てこない。見舞いに来た漢中王に、官員たちが恨みを抱いて離散するだろうという憂いを打ち明けた諸葛亮は、漢中王が軍師の病が癒えるのを待って行っても遅くないと言うと、寝台から躍り起きて屏風を一打ちする。 演義 第80回 §31–36 · 37

すると外にいた文武の官員がみな入ってきて地にひれ伏し、日を選んで大礼を行うよう請う。漢中王が見ると、太傅許靖、安漢将軍麋竺、青衣侯向挙、陽泉侯劉豹らとともに、治中楊洪、議曹杜瓊、従事張爽、太常卿頼恭、光禄卿黄権、祭酒何宗、学士尹黙、司業譙周ら多くの官員であった。演義で張爽はこの名簿に名が出てくるだけで、話す場面はない。 演義 第80回 §37

漢中王は、自分を不義に陥れたのはみな卿らだと驚くが、諸葛亮は博士許慈と諫議郎孟光に儀礼を任せ、成都の武担の南に壇を築かせる。譙周が壇上で祭文を読み、漢中王は玉璽を受けて年号を章武元年と改める。 演義 第80回 §38–39 · 41–42

演義と異なる点

張爽が出てくる場面:演義第80回で張爽は、諸葛亮の計略に従って入ってきて漢中王の前にひれ伏す官員の名簿に出てくる。正史の先主伝では、張爽らが讖書と緯書、瑞兆を挙げて即位を請う上書を奉り、張爽の名はその連名に出てくる。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻2 §55

官職:演義第80回では「従事張爽」である。正史先主伝の連名では勧学従事である。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻2 §55

黄色い気を語った者:演義第80回では、譙周が諸葛亮・許靖と協議する場で、成都の西北の黄色い気と帝星を挙げて語る。正史では、劉豹・向挙・張爽・尹黙・譙周らが連名で奉った上書に、西南の黄色い気と星の動きが出てくる。 演義 第80回 §30正史 蜀書 巻2 §55 · 57

二通の上書:演義第80回は、許靖・麋竺と張爽らが一堂にそろって入ってきて拝礼するように描く。正史では、劉豹・向挙・張爽らが奉った上書と、太傅許靖・安漢将軍麋竺・軍師将軍諸葛亮らが奉った上書が別々に載せられている。 演義 第80回 §37正史 蜀書 巻2 §55 · 60

即位に至った経緯:演義第80回では、漢中王が再三辞退すると、諸葛亮が病を口実に計略を用いて承諾を取りつける。正史の先主伝は、二通の上書が奉られたのち先主が成都の武担の南で皇帝の位に即いたと記すだけで、劉備が辞退したとか、諸葛亮が病を口実にしたという話はない。 演義 第80回 §31–37正史 蜀書 巻2 §55–65

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力4040±0
  • 政治4240−2
  • 魅力3838±0
  • 徳4545±0
  • 処世4545±0
  • 文芸5545−10
  • 弁舌4240−2
  • 用人3835−3
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

文芸・学術正55演45推定 −10

正勧学従事として河図・洛書と讖緯を引いて上書した蜀書 巻2 §55

演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

近い項目 9件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 知力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 政治正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 魅力正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 徳正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 処世正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

  • 弁舌・外交正42演40 −2

    正群臣とともに先主に尊号を勧める上書を奉った蜀書 巻2 §55

    演文武の官員とともに大礼を行うよう請うた第80回 §37

  • 識人・用人正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 勧学従事の官職から推定蜀書 巻2 §55

    演直接の記録なし — 従事の文官という役割から推定第80回 §37

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →