正鍾会がその才学を愛した蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
蒋顕は蜀の大司馬蒋琬の子であり、蒋斌の弟である。正史には独立した伝がなく、蒋琬伝の末尾に一行だけ登場する。官は太子僕であった。後主が鄧艾に降伏したのち、魏の鍾会は兄の蒋斌を友人の礼で遇し、蒋顕の才学も愛した。しかし蒋顕は、鍾会に従って成都へ行き乱兵に殺された蒋斌と同じときに死んだ。鍾会が成都で乱を起こしたのは咸熙元年(264)春正月である。 正史 蜀書 巻14 §7 · 14 · 16正史 蜀書 巻3 §47正史 魏書 巻4 §128
演義には120回のうち第118回の1回にのみ登場し、回目に名が入った回はない。太僕として登場し、降伏した後主の勅書を持って剣閣の姜維のもとへ行き降伏の命を伝え、姜維が鍾会に降伏すると成都へ戻って鄧艾にこれを知らせる。 演義 第118回 §8 · 17 · 19–20
蒋顕の父蒋琬は字を公琰といい、零陵湘郷の人である。諸葛亮の死後、尚書令・大将軍を経て大司馬となり、延熙9年(246)に死去して諡を恭といった。 正史 蜀書 巻14 §2 · 6–7 · 13
蒋琬の子蒋斌が跡を継ぎ、綏武将軍・漢城護軍となった。景耀6年(263)、魏が複数の道から蜀を攻めると、魏の鍾会は漢城に至って蒋斌に書簡を送り、彼と諸葛思遠(諸葛瞻)を自分と同じ類であるとして、父の墓の場所を尋ねた。蒋斌は父が病を得て涪県で亡くなりそこに埋葬したと答え、鍾会はその心と義を称え、涪県に至ると書簡のとおりにした。 正史 蜀書 巻3 §43正史 蜀書 巻14 §14–15
その年の冬、鄧艾が綿竹で衛将軍諸葛瞻を破ると、後主は光禄大夫譙周の策を用いて鄧艾に降伏した。諸々の守備陣地はみな後主の勅命を受けてから降伏した。姜維らも後主の勅令を受けてようやく戈を投げ甲冑を脱いで涪県の鍾会の軍営の前に赴いたが、将兵はみな憤り、刀を抜いて石を斬りつけた。 正史 蜀書 巻3 §43 · 46正史 蜀書 巻14 §47
後主が鄧艾に降伏したのち、蒋斌は涪県へ赴いて鍾会に会い、鍾会は彼を友人の礼で遇した。蒋斌は鍾会に従って成都へ行き、乱兵に殺された。蒋斌の弟蒋顕は太子僕となった。鍾会はその才学も愛したが、蒋顕は蒋斌と同じときに死んだ。 正史 蜀書 巻14 §16
後主伝は、翌年の春正月に鄧艾が捕らえられ、鍾会が涪県から成都に来て乱を起こし、鍾会が死んだのち蜀の地の兵が略奪して死者が乱雑に横たわり、数日経ってようやく落ち着いたと記す。三少帝紀はこの事を咸熙元年(264)春正月とする。陳寿の本文は、蒋顕がいつ太子僕となったか、どのように死んだかを記さない。 正史 蜀書 巻3 §47正史 魏書 巻4 §128正史 蜀書 巻14 §16
演義第118回で、後主は降伏に反対する北地王劉諶を宮門の外へ押し出させ、譙周に降伏の書を作らせて、張紹・鄧良とともに玉璽を奉じて雒城の鄧艾のもとへ行かせる。鄧艾の返書を受け取った後主は大いに喜び、ただちに太僕蒋顕に勅書を持たせて姜維に早く降伏するよう命じさせ、尚書郎李虎を遣わして帳簿を鄧艾に差し出させる。 演義 第118回 §7–8
蒋顕が剣閣に至って姜維に会い、後主の勅命を伝えて帰順せよとのことを告げると、姜維は大いに驚いて言葉を失う。幕下の諸将は歯ぎしりし、刀を抜いて石を斬りつけ、我らは死に物狂いで戦っているのに、なぜ先に降伏するのかと叫び、泣き叫ぶ声は数十里先まで聞こえる。姜維は人々の心が漢を慕っているのを見て、漢室を復興する計略があると言って諸将をなだめる。 演義 第118回 §17–18
姜維は剣閣関に降伏の旗を立て、張翼・廖化・董厥らを率いて鍾会に降伏しに行く。鍾会は彼を上客として遇し、矢を折って誓いを立てて兄弟の契りを結び、以前のとおり兵を率いさせる。姜維は内心喜び、蒋顕を成都へ帰らせる。 演義 第118回 §18–19
そのころ鄧艾は師纂を益州刺史に封じ、綿竹に台を築いて戦功を顕彰し、蜀の諸官を集めて宴を開いていた。酒がなかば回った鄧艾が、お前たちは幸いにも私に出会ったから今日があるのだと言うと、官たちは立ち上がって拝礼するが、そこへ突然蒋顕が来て、姜維が自ら鎮西将軍鍾会に降伏したと知らせる。演義はその後の蒋顕のことを記さない。 演義 第118回 §20
官職:演義第118回では太僕として登場する。陳寿の本文は、蒋琬の子蒋斌の弟である蒋顕が太子僕となったと記す。 演義 第118回 §8 · 17正史 蜀書 巻14 §16
勅命を届けた者:演義第118回では、蒋顕が後主の勅書を持って剣閣へ行き、姜維に伝える。陳寿の本文の後主伝と姜維伝は、諸々の守備陣地が後主の勅命を受けたのち降伏し、姜維らも後主の勅令を受けてようやく鍾会のもとに赴いたと記すだけで、勅命を届けた者を明らかにしない。 演義 第118回 §8 · 17正史 蜀書 巻3 §46正史 蜀書 巻14 §47
勅命が届いた場所:演義第118回で姜維は剣閣で勅命を受ける。正史の姜維伝では、諸葛瞻が敗れたという知らせののち、姜維らは広漢・郪県の道を通って軍を率いながら真偽を確かめ、勅令を受けて涪県の鍾会の軍営の前に赴いた。 演義 第118回 §17正史 蜀書 巻14 §47
鄧艾に知らせたこと:演義第118回では、姜維が蒋顕を成都へ帰らせ、蒋顕が宴席の鄧艾に、姜維が鍾会に降伏したと知らせる。陳寿の本文にはこの事はない。 演義 第118回 §19–20正史 蜀書 巻14 §16 · 47
家系と死:演義は蒋顕が蒋琬の子であることを明らかにせず、第118回以降は彼を登場させない。正史では蒋琬の子で蒋斌の弟であり、鍾会もその才学を愛したが、蒋斌と同じときに死んだ。蒋斌は鍾会に従って成都へ行き、乱兵に殺された。 演義 第118回 §8 · 20正史 蜀書 巻14 §14 · 16
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正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正鍾会がその才学を愛した蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 鍾会がその才学を愛した記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 鍾会が彼を愛した記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 兄の蒋斌と同じときに死んだという記録のみ蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
正直接の記録なし — 太子僕という記録から推定蜀書 巻14 §16
演直接の記録なし — 蜀の太僕という記録から推定第118回 §17
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。