李虎
人物紹介
李虎は演義第118回に蜀の尚書郎として登場する人物である。鄧艾の返書を受け取った後主は、太僕蒋顕を遣わして姜維に早く降伏せよとの勅書を届けさせ、また尚書郎李虎を遣わして、戸数28万、男女94万、甲冑を着けた将兵10万2千、官吏4万などを記した帳簿を鄧艾に献上させる。 演義 第118回 §8
演義120回のうち第118回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はなく、彼が自ら語る場面もない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の後主伝は、後主が光禄大夫譙周の策を用いて鄧艾に降伏し、侍中張紹・光禄大夫譙周・駙馬都尉鄧良を遣わして印綬を奉じさせたこと、鄧艾が返書を書いて張紹と鄧良を先に帰らせたこと、各地の守備陣はみな後主の勅命を受けてから降伏したことを記す。帳簿を献上した人物は記していない。 演義 第118回 §8正史 蜀書 巻3 §43 · 45–46
演義の描写
演義第118回で、後主は鄧艾が綿竹を奪い諸葛瞻父子がすでに死んだと聞いて大いに驚き、文武の官を召して協議する。南中の七郡へ逃れようという声と呉に身を寄せようという声が上がるが、光禄大夫譙周はどちらもいけないとして魏に降伏するよう諫める。五男の北地王劉諶が譙周を叱りつけ、城を背に一戦しようと言うが、後主は聞き入れない。 演義 第118回 §1–6
後主は近臣に命じて劉諶を宮門の外へ押し出させ、譙周に降伏の書を作らせたのち、侍中張紹と駙馬都尉鄧良を譙周とともに遣わし、玉璽を奉じて雒城へ行き降伏を請わせる。鄧艾は降伏の書を見て大いに喜び、三人を手厚くもてなし、返書を書いて成都へ持ち帰らせ、人心を安んじさせる。 演義 第118回 §7–8
返書を見た後主は大いに喜び、すぐに太僕蒋顕に勅書を持たせて姜維に早く降伏するよう命じさせ、また尚書郎李虎を遣わして帳簿を鄧艾に献上させる。演義はその帳簿を、戸数28万、男女94万、甲冑を着けた将兵10万2千、官吏4万、倉庫の糧食40万余り、金と銀各2千斤、錦・綺・彩絹各20万匹と記し、その他の品は倉庫にあって数を記しきれなかったという。 演義 第118回 §8–9
君臣は12月1日を選んで出て降伏することにする。魏軍が到着すると、後主は太子と諸王、臣下60人余りを率い、自らを縛り、棺を車に載せて北門の外10里まで出て降伏し、城に入った鄧艾は高札を掲げて民を安んじ、倉庫を引き継ぐ。演義はその後の李虎のことを記さない。 演義 第118回 §9 · 13 · 15
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力38
- 政治45
- 魅力35
- 徳40
- 処世40
- 文芸40
- 弁舌38
- 用人33
項目別の根拠
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演尚書郎として戸口・糧食など蜀の帳簿を鄧艾に献上した第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演直接の記録なし — 蜀の尚書郎であったことから推定第118回 §8
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →