魏続 魏續
| 職業 | 正演武将 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正演 | 収録 | |
| 死去 | 死去地 | 演白馬県 | |
| 死因 | 演戦死 推定 | ||
| 実在 | 実在 | 言及 | 正3回 |
人物紹介
魏続は呂布の将である。正史には独立した伝がなく、武帝紀と呂布伝に一度ずつ名が見えるだけで、字・出身・官職は記されていない。 正史 魏書 巻1 §49正史 魏書 巻7 §26
建安3年(198)、曹操が下邳で呂布を包囲し、泗水と沂水を決壊させて城に水を注ぐと、上下の心が離れる中、侯成・宋憲とともに陳宮を縛り、衆を率いて降伏した。正史はその後の事績と死を記さない。 正史 魏書 巻7 §25–26正史 魏書 巻1 §48–49
演義では第11回の濮陽の戦いで呂布が率いる猛将の一人として初めて登場し、全120回のうち6回に登場するが、回目に名が見える回はない。第19回で宋憲・侯成とともに眠っている呂布を縛って曹操に差し出し、第25回の白馬では宋憲の仇を討つと名乗り出たが、顔良に一合で討たれる。 演義 第11回 §48演義 第19回 §50–51演義 第25回 §41–42
正史の記録
建安3年(198)、呂布が再び袁術の側に立ち、高順を送って沛の劉備を破ると、太祖(曹操)は夏侯惇を救援に送ったが、高順に敗れた。9月、太祖は自ら東に呂布を征伐し、10月に彭城を屠って下邳に至った。呂布は自ら騎兵を率いて迎え撃ったが大敗し、降伏しようとした呂布を陳宮らが止めて袁術に救援を求め、出て戦わせたが再び敗れ、呂布は城に戻って固く守った。 正史 魏書 巻7 §25正史 魏書 巻1 §48
戦いが続いて士卒が疲れると太祖は引き返そうとしたが、荀攸と郭嘉の策を用いて泗水と沂水を決壊させ、城に水を注いだ。武帝紀は、1か月余りののち呂布の将宋憲・魏続らが陳宮を捕らえて城を挙げて降り、呂布と陳宮を生け捕りにしてどちらも殺したと記す。 正史 魏書 巻1 §49
呂布伝はその理由を次のように記す。呂布は勇猛であったが謀略がなく猜疑心が強く、自分の一党を制御できずに諸将を頼るばかりであったが、諸将はそれぞれ異心を抱いて互いに疑い合ったので、戦うたびに敗れることが多かった。太祖が塹壕を掘って3か月包囲すると上下の心が離れ、呂布の将侯成・宋憲・魏続が陳宮を縛り、衆を率いて降伏した。呂布は麾下とともに白門楼に登ったが、包囲が急になると下りてきて降伏した。 正史 魏書 巻7 §26
捕らえられた呂布は太祖に、自分に騎兵を任せれば天下を平定するのは難しくないと願ったが、劉備が呂布が丁原と董卓に仕えたことを思い起こさせると、太祖は呂布を絞め殺させた。陳寿の本文は、降伏したのち魏続がどうなったか、いつどのように死んだかを記さない。 正史 魏書 巻7 §26–27正史 魏書 巻1 §49
演義の描写
演義第11回で濮陽の野に陣を布いた呂布は張遼と臧覇を両脇に立て、二将はそれぞれ猛将を三人ずつ率いており、魏続は宋憲・侯成とともにその六人の中に名を連ねる。曹操が黄昏に西の陣営を奪ったものの、夜明けごろ呂布の救援軍に押されて逃げると、魏続は高順・侯成とともにその後を追う。 演義 第11回 §47–48 · 52–53
第16回で呂布が娘を袁術の子に嫁がせることにすると、魏続は宋憲とともに袁術の使者韓胤に従って娘を連れて出発する。同じ回で二人は呂布の命で山東から良馬3百余頭を買ってくる途中、沛県の境で半分を奪われ、調べたところ劉備の弟張飛が賊に扮して奪ったものだと知らせる。これを聞いて激怒した呂布が小沛に攻め込み、劉備一行が夜に北門から逃げる際、道を塞いだ宋憲と魏続は張飛に追い払われる。 演義 第16回 §27 · 31–32 · 36
第17回で袁術が七手に分かれて攻め込むと、魏続は宋憲とともに碣石に出て陳蘭を防ぎ、第18回では宋憲とともに西の汝南と潁川を攻めに行く。第19回で曹操が徐州に迫ると、呂布は宋憲と魏続に妻子と銭・兵糧を守らせて下邳に移させる。 演義 第17回 §11演義 第18回 §23演義 第19回 §13
水に浸かったまま下邳が包囲された第19回、侯成が酒を醸したという理由で杖で打たれると、魏続は宋憲とともに見舞いに行き、「軍が城下を囲み、水が堀を巡っている。我らは死ぬ日を待つばかりだ」と言う。宋憲が呂布を捨てて逃げようと言うと、魏続はそれは大丈夫のすることではないとして、むしろ呂布を捕らえて曹公に差し出そうと言う。その夜、侯成が赤兎馬を盗んで東門に来ると、魏続は門を開けて出してやり、追いかけるふりをする。 演義 第19回 §45–48
翌日、呂布は魏続が侯成を逃がして軍馬を失わせたと責めて罰しようとするが、曹操軍の攻撃を防いでいるうちに門楼で眠り込む。宋憲が画戟を盗んだのち魏続とともに呂布を縄で縛り上げ、魏続は「すでに呂布を生け捕りにしたぞ」と叫ぶ。白門楼に引き出された呂布は、そばに立つ侯成・魏続・宋憲を見て、お前たちを薄く遇したことはないのに、どうして平然と裏切ることができたのかと言う。 演義 第19回 §50–52
第25回の白馬の戦いで曹操は呂布の旧将宋憲を出すが、宋憲は三合も持たずに顔良に斬られる。魏続は「我が同輩を殺したからには、仇を討ちに行く」と言って矛を取って出て顔良を罵るが、一合で顔良の刀に馬から斬り落とされて死ぬ。続いて出た徐晃も二十合で敗れて戻る。 演義 第25回 §40–42
演義と異なる点
登場範囲:正史で魏続は、下邳で陳宮を縛って降伏する箇所にしか名が出てこない。演義は第11回の濮陽の戦いから、第16回の縁組と馬の事件、第17~18回の出陣を経て、第25回の白馬の戦いまで、彼を何度も登場させる。 演義 第11回 §48演義 第16回 §31演義 第17回 §11演義 第25回 §42正史 魏書 巻1 §49正史 魏書 巻7 §26
奪われた馬:演義第16回では、魏続と宋憲が山東で買ってきた馬を張飛が奪ったと知らせ、呂布が小沛を攻める。正史の先主伝は、劉備が小沛に戻って再び兵1万余りを集めると呂布がこれを嫌って自ら攻めたと記すだけで、馬を奪った話はない。 演義 第16回 §31–32正史 蜀書 巻2 §13
降伏のきっかけ:演義第19回では、侯成が杖で打たれたことをきっかけに魏続・宋憲・侯成が謀議し、侯成が赤兎馬を盗んで出ていく。正史の呂布伝は、3か月包囲されると上下の心が離れて諸将が降伏したと記し、杖打ちや赤兎馬の話はない。 演義 第19回 §45–48正史 魏書 巻7 §26
縛られた人物:演義第19回で魏続は宋憲とともに眠っている呂布を縛って差し出し、陳宮は南門に逃げて徐晃に捕らえられる。正史で侯成・宋憲・魏続が縛ったのは陳宮であり、呂布は麾下とともに白門楼に登ったが、包囲が急になると下りてきて降伏した。 演義 第19回 §50–51正史 魏書 巻7 §26正史 魏書 巻1 §49
白門楼での言葉:演義第19回で呂布は、そばに立つ侯成・魏続・宋憲に、どうして平然と裏切ることができたのかと言う。正史の呂布伝の白門楼の場面で、呂布は太祖に騎兵を任せてほしいと願い、劉備を最も信用できない者と言うだけで、魏続らに向けた言葉はない。 演義 第19回 §52正史 魏書 巻7 §26–27
死:演義第25回で魏続は宋憲の仇を討ちに出て、白馬で顔良に殺される。正史の武帝紀と関羽の伝に記された白馬の戦いには魏続は出てこず、顔良は関羽に斬られた。正史は魏続の死を記さない。 演義 第25回 §41–42正史 魏書 巻1 §60–61正史 蜀書 巻6 §4正史 魏書 巻7 §26
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3838±0
- 武力4225−17
- 知力3540+5
- 政治3130−1
- 魅力3535±0
- 徳2518−7
- 処世5550−5
- 文芸3131±0
- 弁舌3331−2
- 用人3131±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 9件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。