演義の場面

下邳城曹操鏖兵

事件紹介

下邳城曹操鏖兵は、演義第19回の回目「下邳城曹操鏖兵、白門楼呂布殞命」の前半の場面で、下邳の戦いのうち、曹操が呂布の徐州と小沛を奪い、下邳城を水浸しにして、呂布が自分の将たちに縛られるまでの段である。演義は、小沛を呂布に奪われた劉備が曹操を頼り、曹操が劉備とともに呂布を討ちに出るところから始まる。 演義 第19回 §1–9

陳寿の本文にも同じ戦いがある。魏書巻1武帝紀は、建安3年(198)9月曹操が東へ呂布を討って下邳を包囲し、泗水と沂水を切って城に水を注いでから1か月余りで、呂布の将宋憲・魏続らが陳宮を捕らえ、城を挙げて降伏したと記す。 正史 魏書 巻1 §48–49

演義の描写

演義第19回で、曹操は曹仁に小沛を攻めさせ、自ら劉備とともに進んで、蕭関で泰山の賊孫観らを破る。陳登は呂布に妻子と銭・兵糧を下邳へ移させたうえで、蕭関で陳宮と呂布をだまし、暗闇の中で互いに攻め合わせる。徐州に戻った呂布は麋竺に阻まれ、小沛はすでに曹仁の手に落ちており、関羽と張飛に追われて下邳へ逃げる。 演義 第19回 §9–20

陳宮は曹操が陣営を築く前に攻めようと言い、さらに呂布が城外に駐屯して内外で呼応しようと言うが、呂布は妻の厳氏と貂蝉に止められて出ない。許汜と王楷を袁術に送って救援を求めると、袁術はまず娘を送れと言い、呂布は娘を綿と鎧で包んで背負い、包囲を突破しようとするが、関羽・張飛と徐晃・許褚に阻まれて戻る。 演義 第19回 §25–41

2か月たっても城を破れず帰ろうとした曹操は、荀攸の制止と郭嘉の計略に従って沂水と泗水の水を切り、下邳を水浸しにする。呂布は禁酒を命じ、失った馬を取り戻して酒を献じた侯成を棒で打つ。侯成は赤兎馬を盗んで曹操のもとへ行き、宋憲と魏続は城楼で眠り込んだ呂布の方天画戟を盗んだ後、彼を縄で縛る。曹操の兵が城に入ると高順と張遼が捕らえられ、陳宮は南門から逃げようとして徐晃に捕らえられる。 演義 第19回 §42–51

演義と異なる点

下邳に至るまで:演義第19回では、陳登の計略で呂布は蕭関と徐州を失い、下邳へ追われる。正史武帝紀では、曹操は9月東へ呂布を討ち、10月に彭城を屠って下邳に至り、自ら騎兵を率いて迎え撃った呂布を大いに破って、驍将成廉を捕らえた。呂布伝は、陳登が呂布を前後から牽制した功で伏波将軍を加えられたとだけ記す。 演義 第19回 §11–20正史 魏書 巻1 §48正史 魏書 巻7 §31

袁術の救援:演義第19回では、呂布は袁術の求めどおり娘を背負って包囲を突破しようとして失敗する。正史呂布伝では、呂布は袁術に救援を求め、自ら騎兵千余人を率いて出て戦ったが敗れて城に戻り、あえて出られなくなり、袁術も救えなかった。 演義 第19回 §32–41正史 魏書 巻7 §25–26

誰が誰を縛ったか:演義第19回では、宋憲と魏続が眠っている呂布を縛り、陳宮は南門から逃げようとして徐晃に捕らえられる。正史呂布伝では、侯成・宋憲・魏続が陳宮を縛って軍勢を率いて降伏し、呂布は配下とともに白門楼に登ったが、包囲が急になると下りて降伏した後に縛られた。 演義 第19回 §50–51正史 魏書 巻7 §26

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演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)