夏侯咸

正史演義 魏 Xiahou Xian하후함

プロフィール
職業正武将 · 司馬 演武将所属魏
登場正演収録
実在実在言及正2回

人物紹介

夏侯咸は魏の鍾会の蜀征討軍で司馬を務めた人物である。正史には独立した伝がなく、景元4年(263)に姜維が鍾会に降伏した頃、鍾会が上奏した文に名が2度見える。鍾会は、彼と護軍の胡烈らを剣閣を経て新都と大渡へ出し、逃走する姜維らの前を断たせたと奏上した。 正史 魏書 巻28 §102–103 · 115–116

陳寿の本文は彼の字と出身、その後のことと死を記しておらず、巻28の評にも彼は登場しない。演義では第116回に、蜀を討つために出発する鍾会の帳に集まった大将80余人のうちの一人として名だけが出る。120回のうちこの1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。 正史 魏書 巻28 §93–136 · 140演義 第116回 §3

正史の記録

景元3年(262)冬、文王(司馬昭)が大軍を起こして蜀を図ろうとするなかで、鍾会は鎮西将軍・仮節・都督関中諸軍事となった。翌年秋に詔を下して鄧艾と諸葛緒にそれぞれ3万余人を率いさせ、鄧艾は甘松・沓中へ向かって姜維を足止めし、諸葛緒は武街・橋頭へ向かって姜維の帰路を断ち、鍾会は十数万の衆を率いて斜谷と駱谷に分かれて進入した。 正史 魏書 巻28 §102–103

鍾会は剣閣を攻めたが勝てずに退き、鄧艾は綿竹で大いに戦って諸葛瞻を斬った。姜維らが諸葛瞻の敗北を聞いて衆を率いて東の巴へ入ると、鍾会は涪県へ進み、胡烈・田続・龐会らを送って姜維を追わせた。鄧艾が成都へ進むと劉禅は鄧艾に降伏し、使者を送って姜維らに鍾会に降伏するよう命じ、姜維は広漢郡郪県に至って兵にすべての武器を捨てさせ、節と通行証を胡烈に送ったのち、東の道から鍾会のもとへ行って降伏した。 正史 魏書 巻28 §114–115

鍾会が上奏した文によれば、姜維・張翼・廖化・董厥らが死を逃れて逃走し、成都へ向かおうとしたので、鍾会はただちに司馬の夏侯咸と護軍の胡烈らを送り、剣閣を経て新都と大渡へ出てその前を断たせた。参軍の爰靚と将軍の句安らにはその後を追わせ、参軍の皇甫闓と将軍の王買らには涪県の南へ出てその腹を突かせ、鍾会自身は涪県に拠って東西の勢いを助ける後援となった。 正史 魏書 巻28 §115

鍾会は続けて、姜維らが率いる歩騎4、5万人が数百里にわたって首尾を連ね、車を並べて西へ向かったので、夏侯咸・皇甫闓らに命じて兵を分けて要地を押さえさせ、網を広く張らせたと奏上した。南は呉へ逃げる道を塞ぎ、西は成都への道をふさぎ、北は抜け出す間道を断ったので、小道まで断たれて逃げ隠れる地がなかったという。鍾会が自ら手紙を書いて諭すと、衆は鎧を脱ぎ戈を投げ、自ら後ろ手に縛って身を委ねたと文は続く。 正史 魏書 巻28 §116–117

陳寿の本文で夏侯咸の名が出てくるのは、この文の2節だけである。翌年正月に鍾会が成都で乱を起こして死んだとき彼が何をしたのか、その後どうなったのかは記されていない。 正史 魏書 巻28 §115–116 · 93–136

演義の描写

演義第116回で、鍾会は陣営を築き終えると帳に上がり、諸将を大いに集めて命令を聞かせるが、この場には監軍の衛瓘、護軍の胡烈、大将の田続・龐会・田章・爰青・丘建・夏侯咸・王買・皇甫闓・句安ら80余人がいたという。 演義 第116回 §3

鍾会が、山に遇えば道を開き水に遇えば橋を架ける先鋒を求めると、許褚の子の許儀が名乗り出る。鍾会は彼に先鋒の印を帯びさせ、騎兵5千と歩兵1千を率いて中路から斜谷へ出させ、左軍は駱谷から、右軍は子午谷から出させたのち、自ら十数万の衆を率いて夜を日に継いで出発する。夏侯咸の名はこののち演義に再び出てこない。 演義 第116回 §3–5

演義と異なる点

職務:演義第116回で夏侯咸は、鍾会配下の「大将」80余人のうちの一人として名だけが出る。正史では鍾会が上奏した文に「司馬」として登場する。 演義 第116回 §3正史 魏書 巻28 §115

姜維の前を断ったこと:正史で鍾会は、司馬の夏侯咸と護軍の胡烈らを剣閣を経て新都と大渡へ出し、逃走する姜維らの前を断たせ、夏侯咸・皇甫闓らに要地を分けて押さえさせたと奏上した。演義で夏侯咸が登場するのは第116回の出陣の場面だけで、このことは描かれない。 正史 魏書 巻28 §115–116演義 第116回 §3

姜維の降伏:演義第118回で姜維は、剣閣で太僕の蒋顕が伝えた後主の勅命を聞き、剣閣関に降伏の旗を立てたのち、張翼・廖化・董厥らを率いて鍾会に降伏する。正史の鍾会伝で姜維は、広漢郡郪県に至って武器を捨て、節と通行証を胡烈に送ったのち鍾会のもとへ行き、鍾会は夏侯咸らが道を断つと衆が鎧を脱いで身を委ねたと奏上した。 演義 第118回 §17–18正史 魏書 巻28 §115–117

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率5545−10
  • 武力4245+3
  • 知力4038−2
  • 政治3533−2
  • 魅力3838±0
  • 徳4242±0
  • 処世4240−2
  • 文芸3531−4
  • 弁舌3333±0
  • 用人3333±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

近い項目 9件 — 根拠を見る
  • 武力正42推定演45推定 +3

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 知力正40推定演38推定 −2

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 政治正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 魅力正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 徳正42推定演42推定 ±0

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 処世正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 文芸・学術正35推定演31推定 −4

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 弁舌・外交正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

  • 識人・用人正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 鍾会の司馬という職から推定魏書 巻28 §115

    演直接の記録なし — 鍾会配下の大将という記録から推定第116回 §3

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 演義 · 演義 第116回 「丘建、夏侯咸」 · Q124695128