正荊州で古学を教え、尹黙・王粛・潘濬らが学び、王粛は彼に就いて『太玄』を読んだ蜀書 巻12 §43魏書 巻13 §71呉書 巻16 §2
演直接の記録なし — 推定第40回 §25
| 職業 | 正学者 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正演 | 収録 | |
| 出生 | 出身地 | 南陽郡 | |
| 実在 | 実在 | 言及 | 正11回 |
宋忠は南陽の人で、荊州で人々を教えた学者である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では宋忠または宋仲子という名で他の人々の伝に登場する。尹黙と、李譔の父李仁は荊州に遊学して司馬徽・宋忠らに学び、潘濬は二十歳ごろ宋仲子について学び、王粛は18歳で宋忠に従って『太玄』を読んだ。 正史 蜀書 巻8 §17正史 蜀書 巻12 §43 · 46正史 呉書 巻16 §2正史 魏書 巻13 §70–71
荊州にいたとき、蜀郡太守王商に手紙を送り、許靖を指南とするよう推薦した。陳寿の本文には彼の官職と死は記されておらず、彼についての評もない。 正史 蜀書 巻8 §17
演義には第40回にのみ登場し、全120回のうち1回に登場し、回目に名は載らない。劉琮の降伏の書を曹操に献じ、帰る途中で関羽に捕らえられて劉備の前に引き出される使者として登場する。 演義 第40回 §25 · 27
正史には宋忠の伝がない。陳寿の本文は彼を「南陽の宋仲子」・「宋仲子」・「宋忠」と記すが、いずれも彼が荊州にいて人々を教えたり手紙を送ったりしたことである。 正史 蜀書 巻8 §17正史 蜀書 巻12 §43 · 46正史 魏書 巻13 §71正史 呉書 巻16 §2
劉璋が許靖を蜀に招いて巴郡太守・広漢太守としたとき、南陽の宋仲子は荊州から蜀郡太守王商に手紙を送り、「文休(許靖の字)は志が大きく非凡で、当世を治める器を備えているので、足下は彼を指南とすべきです」と述べた。許靖は建安16年(211)に蜀郡太守に移った。 正史 蜀書 巻8 §17
益州の地域では多くが今文を尊んで章句の学を重んじなかったが、梓潼郡涪県の人尹黙はそれが広くないことを知り、遠く荊州に遊学して司馬徳操(司馬徽)・宋仲子らから古学を受けた。尹黙は諸経と史書にすべて通じ、『左氏春秋』を専ら究めて精通した。 正史 蜀書 巻12 §43
同じ県の人李仁も尹黙とともに荊州に遊学して司馬徽・宋忠らに学んだ。李仁の子李譔はその学業をすべて受け継ぎ、また尹黙に従って義理を講論し、五経と諸子を広く読んだ。 正史 蜀書 巻12 §46
武陵郡漢寿県の人潘濬は二十歳ごろ宋仲子について学び、三十歳にならないうちに荊州牧劉表に招かれて江夏担当の部従事となった。 正史 呉書 巻16 §2
王朗の子王粛は18歳で宋忠に従って『太玄』を読み、さらにその解釈を著した。 正史 魏書 巻13 §70–71
陳寿の本文には宋忠の官職・死は記されておらず、彼についての評もない。 正史 蜀書 巻8 §17正史 蜀書 巻12 §43 · 46正史 魏書 巻13 §71正史 呉書 巻16 §2
演義第40回で、王粲らの勧めで降伏の意を固めた劉琮は降伏の書を書き、宋忠にひそかに曹操の軍前へ行って献じさせる。宋忠はまっすぐ宛城に至って曹操に会い、降伏の書を献じる。曹操は大いに喜んで宋忠に厚く褒美を与え、劉琮が城を出て迎えるならば永く荊州の主としようと告げる。 演義 第40回 §24–26
宋忠は曹操に辞去して荊襄へ戻る途中、川を渡ろうとしたところで関羽に出会う。避けきれずに呼び止められて荊州の事情を問いただされると、はじめは隠していたが追及に耐えきれず、前後の事情をありのままに告げる。関羽は大いに驚き、宋忠を捕らえて新野へ行き、劉備に報告する。 演義 第40回 §27
張飛はまず宋忠を斬ってから兵を挙げて襄陽を奪おうと言うが、劉備は「お前は人々のしていることを知りながら、なぜ早く来て私に知らせなかったのか。今お前を斬っても事には何の益もない」と叱りつけて彼を帰す。宋忠は拝謝し、頭を抱えて鼠のように逃げ去る。劉備はまもなく、劉琦が遣わした伊籍に宋忠を捕らえたことを詳しく話す。 演義 第40回 §28–30
劉琮の降伏の使者:演義第40回で宋忠は劉琮の降伏の書を宛城の曹操に献じる。陳寿の本文の先主伝は、劉琮が使者を送って降伏を願い出たと記すだけで使者の名を明かさず、武帝紀と劉表の伝は、曹操が新野・襄陽に至ると劉琮が降伏したと記す。どちらにも宋忠は出てこない。 演義 第40回 §25正史 蜀書 巻2 §20正史 魏書 巻1 §104正史 魏書 巻6 §93
関羽に捕らえられる:演義第40回で宋忠は関羽に捕らえられて劉備の前に引き出され、劉備は彼を叱りつけて放してやる。陳寿の本文の先主伝は、樊に駐屯していた劉備が曹公の急な到来を知らず、曹公が宛に至ってはじめてその知らせを聞いたと記すだけで、宋忠が捕らえられたことはない。 演義 第40回 §27–28正史 蜀書 巻2 §20
学者:演義で宋忠は劉琮の使者としてだけ登場する。陳寿の本文には、尹黙・李仁・潘濬・王粛が彼に学んだことと、彼が荊州で王商に手紙を送って許靖を推薦したことが記されている。 演義 第40回 §25正史 蜀書 巻12 §43 · 46正史 呉書 巻16 §2正史 魏書 巻13 §71正史 蜀書 巻8 §17
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正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正荊州で古学を教え、尹黙・王粛・潘濬らが学び、王粛は彼に就いて『太玄』を読んだ蜀書 巻12 §43魏書 巻13 §71呉書 巻16 §2
演直接の記録なし — 推定第40回 §25
正益州の尹黙・李仁らがはるばる荊州まで遊学して学んだ蜀書 巻12 §43蜀書 巻12 §46
演直接の記録なし — 推定第40回 §29
正直接の記録なし — 推定魏書 巻13 §71
演関羽に捕らえられ、追及に耐えきれず事情をすべて打ち明けた第40回 §27
正直接の記録なし — 学者として推定蜀書 巻12 §43
演直接の記録なし — 使者としての役割から推定第40回 §25
正直接の記録なし — 学者として推定蜀書 巻12 §43
演直接の記録なし — 推定第40回 §29
正直接の記録なし — 推定蜀書 巻12 §43
演直接の記録なし — 推定第40回 §25
正直接の記録なし — 推定蜀書 巻12 §43
演はじめは隠したが、追及に押されてありのままに告げた第40回 §27
正直接の記録なし — 推定蜀書 巻12 §43
演叱られて頭を抱え、鼠のように逃げ去った第40回 §29
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
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