邴原

正史演義 魏 字 根矩 Bing YuanGenju병원근구

プロフィール
職業正文官 · 五官将長史所属魏
登場正演収録魏書
出生出身地北海国 朱虚県
実在実在言及正25回

人物紹介

邴原は字を根矩といい、北海国朱虚県の人である。若いころ管寧とともに節操と品行で名高く、州や郡の招聘に応じなかった。黄巾が起こると遼東に行って暮らし、一年のうちに彼を慕って移り住む家が数百戸に達した。 正史 魏書 巻11 §68 · 70

帰還したのち曹操に招かれて司空掾となり、丞相徴事を経て五官将の長史となった。曹操が呉を討つときに従軍して死去した。 正史 魏書 巻11 §71–73

陳寿は評で、袁渙・邴原・張範を「身をもって清らかな道を踏み、進退を道理に従わせた」と評した。演義では全120回のうち第66回にのみ名が見え、華歆が伏皇后を引きずり出す場面で、華歆・邴原・管寧を一匹の竜になぞらえて邴原を「竜の腹」と呼んだという説明の中で言及される。名が回目に入った回はない。 正史 魏書 巻11 §111演義 第66回 §43

正史の記録

邴原は字を根矩といい、北海国朱虚県の人である。若いころ管寧とともに節操と品行で称えられ、州や郡が招いたがいずれも応じなかった。管寧伝は、管寧が平原の華歆、同じ県の邴原と友となり、ともに他郷へ遊学したと記す。 正史 魏書 巻11 §68 · 76

黄巾が起こると、邴原は家族を連れて海に入り、鬱洲山の中にとどまった。そのとき北海相であった孔融が彼を有道に推挙したが、邴原は黄巾の勢いが盛んであるとして、ついに遼東へ行った。孔融のもとにいた王脩が孝廉に推挙されると邴原に譲ろうとしたが、孔融が聞き入れなかったという記録もある。 正史 魏書 巻11 §68 · 54–55

遼東には同郡の劉政がいたが、遼東太守の公孫度は彼を恐れ憎んで殺そうとし、その家族をすべて捕らえた。逃れ出た劉政が追い詰められて邴原に身を寄せると、邴原は一か月余り彼をかくまい、ちょうど東莱の太史慈が帰郷することになったので、劉政を彼に託した。そのうえで公孫度に、劉政はすでに去ったので害はなくなった、彼は禍を免れてその知恵をこれから用いようとしているのに、家族を拘束して恨みを重ねる理由はないと言った。公孫度が家族を釈放すると、邴原は旅費を出して、みな郷里の郡に帰らせた。 正史 魏書 巻11 §68–70

邴原が遼東にいた一年のうちに、彼のもとに移り住む家は数百戸に及び、遊学の士と教授の声が絶えなかった。国淵・管寧と平原の王烈らも邴原とともに遼東へ難を避けたが、当時の王烈の名声は邴原と管寧より上であった。 正史 魏書 巻11 §70 · 29 · 76 · 79

のちに帰ることができるようになると、曹操が招いて司空掾とした。邴原の娘は早くに死んでいたが、そのとき曹操の愛児曹沖も死んだので、曹操は二人を合葬したいと願った。邴原は、合葬は礼にかなわない、自分が受け入れられ遇されているのは教えと法度を守って変えないからであり、命に従えば凡庸な人間になってしまうと言って辞退した。曹操はとりやめ、彼を丞相徴事に移した。 正史 魏書 巻11 §71

崔琰は東曹掾であったとき、徴事の邴原と議郎の張範を推薦し、徳を保つことが純粋で美しく、志と行いが忠実で方正であり、「竜の羽、鳳の翼であって、国の重宝」であると述べた。張範伝は、曹操が征伐に出るたびに張範と邴原を残して世子とともに留守を守らせ、曹丕に、行動するときは必ずこの二人に相談せよと言ったので、世子は子孫の礼をもって接したと記す。 正史 魏書 巻11 §72 · 21

邴原は涼茂に代わって五官将の長史となったが、門を閉じて自らを守り、公務でなければ外出しなかった。曹操が呉を征伐するときに従軍して死去した。正史はその年を記さない。 正史 魏書 巻11 §72–73

陳寿は評で、袁渙・邴原・張範は身をもって清らかな道を踏み、進退を道理に従わせたので、貢禹と両龔に比肩しうると述べた。 正史 魏書 巻11 §111

演義の描写

演義第66回で華歆が伏皇后を引きずり出す場面に、華歆はかつて邴原・管寧と親しく、当時の人々は三人を一匹の竜になぞらえて、華歆を竜の頭、邴原を竜の腹、管寧を竜の尾と呼んだという説明が付く。続く菜園の金の話と、むしろを切って別々に座った話は管寧と華歆のことであり、演義で邴原はこの説明のほかには登場しない。 演義 第66回 §43–44

演義と異なる点

「一匹の竜」:演義第66回は、華歆・邴原・管寧を一匹の竜になぞらえて邴原を「竜の腹」と呼んだとする。正史の陳寿の本文の邴原伝と管寧伝にはこの言葉はなく、管寧伝は、管寧が平原の華歆、同じ県の邴原と友となってともに遊学したとだけ記す。 演義 第66回 §43正史 魏書 巻11 §68–73 · 76

遼東に行った人:演義第66回は、のちに管寧が遼東に避けて住んだとだけ言う。正史では邴原も黄巾を避けて遼東に行き、管寧は邴原・王烈らとともに遼東に至った。 演義 第66回 §44正史 魏書 巻11 §68 · 76

生涯:演義は、邴原が劉政をかくまったこと、曹操のもとで司空掾・丞相徴事・五官将長史を務めたこと、呉を討つ途中で死んだことを記さない。正史の邴原伝はこれらをすべて記している。 演義 第66回 §43正史 魏書 巻11 §68–73

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力5042−8
  • 政治4535−10
  • 魅力7050−20
  • 徳8848−40
  • 処世6640−26
  • 文芸7048−22
  • 弁舌6635−31
  • 用人4235−7
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

弁舌・外交正66演35推定 −31

正公孫度を説いて劉政の家族を解放させ、曹操の合葬の願いを礼によって退けた魏書 巻11 §69魏書 巻11 §71

演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

文芸・学術正70演48推定 −22

正孔融が有道に推挙し、遼東では教授の声が絶えなかった魏書 巻11 §68魏書 巻11 §70

演直接の記録なし — 名士として挙げられた記録から推定第66回 §43

魅力正70演50 −20

正遼東で一年のうちに数百戸が集まり住み、世子とともに留守を守った魏書 巻11 §70魏書 巻11 §21

演華歆・管寧とともに一匹の竜にたとえられ、竜の腹と呼ばれた第66回 §43

政治正45推定演35推定 −10

正直接の記録なし — 五官将の長史として公務のみ執った記録から推定魏書 巻11 §72

演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

近い項目 4件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 隠棲した士人で軍事の記録がない魏書 巻11 §68

    演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 隠棲した士人で武勇の記録がない魏書 巻11 §68

    演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

  • 知力正50推定演42推定 −8

    正直接の記録なし — 公孫度の思惑を見抜いて説得した記録から推定魏書 巻11 §69

    演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

  • 識人・用人正42推定演35推定 −7

    正直接の記録なし — 劉政を太史慈に託した記録から推定魏書 巻11 §69

    演直接の記録なし — 名のみ登場第66回 §43

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻11 「後得歸,太祖辟為司空掾」