全尚

正史演義 呉 Quan Shang전상

プロフィール
職業正文官 · 太常所属呉
登場正演収録
出生演? 推定出身地
死去演258年 推定死去地
死因正殺害 演殺害 推定
実在実在言及正11回

人物紹介

全尚は呉の孫亮の皇后全氏の父である。孫亮の姉全公主がたびたび全尚の娘を褒めて孫亮に娶らせるよう勧め、赤烏13年(250)に孫亮が太子となると、その娘が妃となった。娘が皇后に立つと、全尚は城門校尉となって都亭侯に封じられ、滕胤に代わって太常・衛将軍となり、永平侯に進んで録尚書事となった。 正史 呉書 巻3 §2正史 呉書 巻5 §28

太平3年(258)、孫亮が権力をほしいままにする孫綝を殺そうと謀ったときその謀議に加わったが、事が漏れて孫綝に捕らえられた。孫亮は会稽王に廃され、全尚は家族を連れて零陵に移されたが、追ってきた者に殺された。 正史 呉書 巻3 §18正史 呉書 巻19 §88正史 呉書 巻5 §29

正史に彼の伝はなく、陳寿の評にも名は見えない。演義では第113回にのみ登場し、全120回のうち1回に登場するが、回目に名は見えない。息子の全紀から孫亮の密詔の話を聞いて妻に話したところ、事が孫綝に漏れ、孫綝に殺される。 正史 呉書 巻5 §42演義 第113回 §6–8

正史の記録

孫権は年老いて末子の孫亮に特に心を寄せた。孫亮の姉の全公主孫魯班は、かつて太子孫和母子を讒言したことがあって心穏やかでなかったので、孫権の意向に頼って前もって自ら縁を結んでおこうと、たびたび全尚の娘を褒めて孫亮のために娶るよう勧めた。全尚の娘は大叔母にあたる公主にかわいがられ、公主が宮中に参内するたびにいつも一緒について行った。赤烏13年(250)に孫和が廃されると、孫権は孫亮を太子に立て、全氏を妃とした。 正史 呉書 巻3 §2正史 呉書 巻5 §15 · 28

孫亮が即位したのち、建興2年(253)正月に全氏が皇后に立てられた。そこで全尚は城門校尉となって都亭侯に封じられ、滕胤に代わって太常・衛将軍となり、永平侯に進封されて録尚書事となった。当時全氏一門で侯に封じられた者は五人で、皆兵馬を司り、その他の者は侍郎・騎都尉となって左右で宿衛した。陳寿は、呉が興って以来、外戚の貴さと盛んなさまがこれに及んだことはなかったと記した。 正史 呉書 巻3 §3 · 6正史 呉書 巻5 §28–29

全尚の妻は孫峻の姉であった。建興年間に孫峻が政権を独占すると皇族は皆これを憂えたが、このため全公主だけは庇護を受けた。 正史 呉書 巻5 §31

太平2年(257)、魏の諸葛誕が寿春をもって呉に帰順してくると、これに乗じて全懌・全端・全禕・全儀らが皆魏に降った。この年の11月、全緒の子の全禕と全儀が母を伴って魏へ逃れ、12月には全端・全懌らが寿春城から司馬昭のもとに出向いた。全熙は謀が漏れて殺され、これによって全氏一族は衰えた。 正史 呉書 巻3 §15–17正史 呉書 巻5 §29

孫亮が自ら政務を見て問いただすことが多くなると、孫綝は恐れて病を口実に朝廷に出ず、弟たちを宿衛と諸陣営に分けて配置した。孫亮は孫綝を嫌い、諫めに入ってきた孫綝の言葉に従わず、公主孫魯班、太常全尚、将軍劉丞と孫綝を誅することを議した。孫亮の妃は孫綝の従姉の娘であり、その謀を孫綝に告げた。太平3年(258)9月戊午、孫綝は兵を率いて夜に全尚を襲って捕らえ、弟の孫恩を遣わして蒼龍門の外で劉丞を殺させたのち、宮殿を包囲した。孫亮は廃されて会稽王となった。このとき16歳であった。 正史 呉書 巻19 §87–88正史 呉書 巻3 §18

孫綝は琅邪王孫休を迎える際に奉った書で、太常全尚は代々恩を受けながら一族を取り締まることができず、全端らが城を捨てて魏についたこと、地位が重すぎるのに一言も諫めたことがなく、かえって敵と行き来して国の消息を伝えさせていたので、必ず社稷を危うくするのではないかと恐れたと述べた。そして今月27日に全尚を捕らえ劉丞を斬ったと報告した。 正史 呉書 巻19 §90–92

孫綝は将軍孫耽を遣わして孫亮を封国に護送させ、全尚を零陵に、公主を豫章に移した。全尚の娘である孫亮全夫人は孫亮に従って封国に赴き候官に住み、全尚は家族を連れて零陵に移されたが、追ってきた者に殺された。正史は彼の死んだ年を別に記していない。 正史 呉書 巻19 §93正史 呉書 巻5 §29

演義の描写

演義第113回で、東呉の大将軍孫綝は全端・唐咨らが魏に降ったと聞き、その家族をことごとく斬る。呉主孫亮はこのときわずか16歳で、孫綝が人を殺しすぎるのを内心快く思わない。孫亮はそばにいた国舅の黄門侍郎全紀に泣いて孫綝を除こうと言い、禁軍を点呼して将軍劉丞とともに城門を守らせれば、自ら出て孫綝を殺すと言う。ただし全紀の母は孫綝の姉であるから、決して知らせてはならないと念を押す。 演義 第113回 §2 · 5–6

全紀は密詔を受けて家に帰り、父の全尚にひそかに知らせる。全尚はこのことを知って妻に「三日のうちに孫綝を殺すのだ」と言う。妻は口では殺すのがよいと答えるが、ひそかに人をやって手紙で孫綝に知らせる。激怒した孫綝はその夜四人の弟を呼び、精兵でまず宮中を包囲し、一方で全尚と劉丞およびその家族をすべて捕らえる。 演義 第113回 §6–7

夜が明けると、孫亮は全后を指さして「お前の父と兄が我が大事を誤らせた」と罵り、剣を抜いて出ようとするが、全后と侍中ら近臣が衣をつかんで泣きながら止める。孫綝はまず全尚と劉丞らを殺したのち、文武の官を呼んで孫亮を廃すると言い、孫亮を会稽王とする。続いて孫休が即位し、元号を永安元年と改める。 演義 第113回 §8 · 10 · 13

演義と異なる点

謀が漏れた経路:演義第113回では、全尚が息子の全紀から聞いた密詔の話を妻に話し、妻がひそかに手紙で孫綝に知らせる。正史の孫綝伝では、孫亮の妃がその謀を孫綝に告げた。 演義 第113回 §6–7正史 呉書 巻19 §88

全尚の妻:演義第113回で孫亮は、全紀の母は孫綝の姉だと言う。正史の妃嬪伝では全尚の妻は孫峻の姉であり、孫綝伝は孫亮の妃を孫綝の従姉の娘と記す。 演義 第113回 §6正史 呉書 巻5 §31正史 呉書 巻19 §88

謀議に加わった人:演義第113回で孫亮は国舅の全紀に将軍劉丞とともに城門を守らせ、事を任せる。正史で孫亮が孫綝誅殺を議した相手は公主孫魯班、太常全尚、将軍劉丞であり、陳寿の本文に全紀は登場しない。 演義 第113回 §5正史 呉書 巻19 §88正史 呉書 巻3 §18

全尚の死:演義第113回では、孫綝が宮中を包囲した日にまず全尚と劉丞らを殺す。正史で孫綝は全尚を捕らえて劉丞を斬り、全尚を零陵に移した。全尚は家族を連れて零陵に移されたが、追ってきた者に殺された。 演義 第113回 §8正史 呉書 巻19 §92–93正史 呉書 巻5 §29

地位:演義第113回で全尚は官職なしに全紀の父としてのみ登場する。正史では娘が皇后となると城門校尉・都亭侯を経て太常・衛将軍、永平侯、録尚書事に昇り、孫綝は彼の地位が重すぎると述べた。 演義 第113回 §6正史 呉書 巻5 §28正史 呉書 巻19 §92

降伏した一族の家族:演義第113回で孫綝は全端・唐咨らが魏に降ったと聞き、その家族をことごとく斬る。正史の三嗣主伝では全緒の子の全禕と全儀が母を伴って魏へ逃れ、妃嬪伝は全熙が謀が漏れて殺され、全氏一族が衰えたと記す。孫綝が彼らの家族をすべて斬ったという記録は陳寿の本文にない。 演義 第113回 §2正史 呉書 巻3 §17正史 呉書 巻5 §29正史 呉書 巻19 §84–87

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4031−9
  • 武力3131±0
  • 知力3222−10
  • 政治3535±0
  • 魅力3835−3
  • 徳4555+10
  • 処世3022−8
  • 文芸3331−2
  • 弁舌3331−2
  • 用人3030±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

知力正32演22 −10

正孫綝排除の謀が漏れ、先に襲撃された呉書 巻19 §88

演孫綝の姉である妻に計画を話し、謀が漏れた第113回 §6

徳正45推定演55 +10

正直接の記録なし — 権臣排除に加わった事績から推定呉書 巻19 §88

演息子全紀が受けた密詔を聞き、権臣孫綝を殺そうとした第113回 §6

近い項目 8件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 呉 · 演義 · 演義 第113回 「孙綝先将全尚、刘丞等杀讫」 · Q124661836

家族

子全紀 演義

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。