王惇
人物紹介
王惇は呉の将軍である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では呉書巻3の三嗣主伝と巻19の孫綝の記録に名が見える。太平元年(256)11月に孫綝が大将軍となったのち、孫綝を殺そうと謀ったが、事が露見して孫綝に殺された。ともに謀った人物を、三嗣主伝は孫憲とし、孫綝の記録は孫峻の従弟孫慮とする。 正史 呉書 巻3 §12 · 14正史 呉書 巻19 §83
陳寿の本文は彼の字と出身を記さない。呉書巻2の呉主伝にも孫権が王惇に馬を買い付けさせたという一行があるが、この人物が孫綝に殺された王惇と同一人物かどうかは明らかにしていない。独立した伝がないため、陳寿の評も彼を論じていない。 正史 呉書 巻2 §29正史 呉書 巻3 §14
演義では第111回で孫綝が殺した者の一人として初めて名が見え、120回のうち2回に登場し、回目に名が入った回はない。第113回で孫休は孫綝を斬る前に彼の名を挙げて孫綝を責め、孫綝の死後に彼の墓を建て直してやる。 演義 第111回 §31演義 第113回 §20–21
正史の記録
呉書巻3の三嗣主伝によれば、太平元年(256)9月に孫峻が死ぬと、従弟の偏将軍孫綝が侍中・武衛将軍となって中外の諸軍事を統べ、魏を討ちに出ていた呂拠らを呼び戻した。孫綝が孫峻に代わったと聞いた呂拠は大いに怒り、呂拠・文欽・唐咨らは衛将軍滕胤を丞相に推挙したが、孫綝は聞き入れなかった。呂拠が兵を率いて引き返し孫綝を討とうとすると、10月丁未の日、孫綝は孫憲と丁奉・施寛らを派遣して舟兵で江都に呂拠を迎え撃たせ、将軍劉丞に歩騎を率いて滕胤を攻めさせた。滕胤は兵が敗れて一族が滅ぼされ、辛亥の日に新州で呂拠が捕らえられた。 正史 呉書 巻3 §12–14
11月、孫綝を大将軍とし、仮節を与え、永康侯に封じた。孫憲が将軍王惇とともに孫綝を殺そうと謀ったが、事が露見し、孫綝は王惇を殺し、孫憲に迫って自殺させた。 正史 呉書 巻3 §14
呉書巻19の孫綝の記録は、この事件を異なって記す。孫綝は大将軍に昇って仮節を受け、永寧侯に封じられたが、高い身分を恃んで傲慢で、無礼な振る舞いが多かった。これより先、孫峻の従弟孫慮は諸葛恪を誅殺する謀議に加わったので、孫峻は彼を厚遇し、右将軍・無難督に至り、節と蓋を授けられ、九官の事を公平に治めた。孫綝の孫慮に対する待遇が孫峻のときより薄かったので、孫慮は怒り、将軍王惇とともに孫綝を殺そうと謀った。孫綝は王惇を殺し、孫慮は薬を飲んで死んだ。 正史 呉書 巻19 §83
二つの記録は、ともに謀った人物を孫憲と孫慮、孫綝の封号を永康侯と永寧侯と異なって記し、孫憲は迫られて自殺し、孫慮は薬を飲んで死んだとする。王惇はどちらの記録でも官職が将軍とだけ記され、孫綝に殺された。 正史 呉書 巻3 §14正史 呉書 巻19 §83
永安元年(258)12月の臘会にやむなく参内した孫綝が席を立つと、丁奉と張布が左右に目配せして彼を縛らせた。孫綝が交州へ移してほしいと乞うと、孫休は、卿はなぜ滕胤と呂拠を移さなかったのかと言い、孫綝を斬った。孫休はまた詔を下し、諸葛恪・滕胤・呂拠は罪なくして孫峻・孫綝兄弟に害されたので、みな改葬して祭祀を行うよう命じた。この箇所に王惇の名は出てこない。 正史 呉書 巻19 §99–102
呉書巻2の呉主伝は、建安24年(219)に孫権が関羽を捕らえて荊州を平定した記事の後に、孫権が校尉梁寓を派遣して漢の朝廷に貢ぎ物を献じ、王惇に馬を買い付けさせ、朱光らを送り返したと記す。陳寿の本文は、この王惇の官職とその後のことを記さない。 正史 呉書 巻2 §26 · 28–29
演義の描写
演義第111回は、諸葛誕の使者呉綱が東呉に至るくだりで、このとき東呉では丞相孫峻が病死し、従弟の孫綝が政治を補佐していたと記す。孫綝は人となりが強暴で、大司馬滕胤と将軍呂拠・王惇らを殺し、このため権力はすべて孫綝に帰し、呉主孫亮は聡明ではあったがどうすることもできなかったという。 演義 第111回 §31
第113回で武士に捕らえられた孫綝が、叩頭して交州へ流して郷里に帰らせてほしいと乞うと、孫休はお前はなぜ滕胤・呂拠・王惇を流さなかったのかと叱り、斬るよう命じる。張布が孫綝を殿の東へ引きずり下ろして斬る。 演義 第113回 §20
丁奉らが孫綝の兄弟を捕らえてくると、孫休は市中でことごとく斬ってその三族を滅ぼし、孫峻の墓を暴いて屍を辱める。そして害された諸葛恪・滕胤・呂拠・王惇らの家には墓を建て直してその忠を表し、連座して遠方へ流された者をすべて赦して故郷に帰らせる。 演義 第113回 §21
演義と異なる点
死の経緯:演義第111回は、孫綝が滕胤・呂拠とともに王惇を殺したと一行で記すだけで、王惇が孫綝を殺そうと謀ったという話はない。正史では、王惇は孫憲(孫綝の記録では孫慮)とともに孫綝を殺そうと謀ったが、事が露見して殺された。 演義 第111回 §31正史 呉書 巻3 §14正史 呉書 巻19 §83
ともに謀った人物:演義には孫憲も孫慮も登場しない。正史は、三嗣主伝では孫憲を、孫綝の記録では孫峻の従弟孫慮を、王惇とともに謀った人物として記す。 演義 第111回 §31演義 第113回 §20–21正史 呉書 巻3 §14正史 呉書 巻19 §83
孫休の叱責:演義第113回で孫休は孫綝に、なぜ滕胤・呂拠・王惇を流さなかったのかと叱る。正史の孫綝の記録で孫休が挙げた名は滕胤と呂拠だけである。 演義 第113回 §20正史 呉書 巻19 §100
墓:演義第113回で孫休は諸葛恪・滕胤・呂拠・王惇らの墓を建て直してやる。正史の孫綝の記録の詔は、諸葛恪・滕胤・呂拠を改葬させただけで、王惇は含まれない。 演義 第113回 §21正史 呉書 巻19 §102
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4240−2
- 武力4040±0
- 知力4038−2
- 政治3535±0
- 魅力3838±0
- 徳5562+7
- 処世3538+3
- 文芸3131±0
- 弁舌3535±0
- 用人3333±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正直接の記録なし — 孫綝排除の謀議から推定呉書 巻19 §83
演直接の記録なし — 将軍の職から推定第111回 §31
正孫慮とともに傲慢な権臣孫綝を殺そうと謀った呉書 巻3 §14呉書 巻19 §83
正謀議が露見し、孫綝に殺された呉書 巻3 §14呉書 巻19 §83
演直接の記録なし — 孫綝に殺されたことから推定第111回 §31
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。