呉綱 吳綱

正史演義 魏 Wu Gang오강吴纲

プロフィール
職業正演文官 · 長史所属魏
登場正演収録
実在実在言及正3回

人物紹介

呉綱は魏の征東大将軍諸葛誕の長史である。正史に独立した伝はなく、陳寿の本文では魏書巻28王毌丘諸葛鄧鍾伝の諸葛誕の記録と呉書巻3三嗣主伝に一度ずつ現れる。甘露2年(257)5月、諸葛誕が寿春で反乱を起こすと、諸葛誕の幼い子諸葛靚を連れて呉に行き、救援を求めた。三嗣主伝は彼を、諸葛靚や諸牙門将の子弟とともに呉に送られた人質として記す。その後の事績と死は陳寿の本文にない。 正史 魏書 巻28 §35–36正史 呉書 巻3 §16

演義では第111回に諸葛誕の長史として現れ、全120回のうち1回に登場し、回目に名が入った回はない。諸葛靚を人質として呉に連れて行き、石頭城で孫綝に救援を求め、寿春に戻って諸葛誕に知らせる。 演義 第111回 §30–32

正史の記録

甘露2年(257)5月、朝廷が諸葛誕を司空として召すと、詔書を受けた諸葛誕はいっそう恐れ、ついに反乱を起こした。揚州刺史楽綝を攻め殺し、淮南と淮北の官兵と新たに付いた兵を集めて城門を閉ざして自ら守り、長史呉綱に幼い子の諸葛靚を連れて呉に行かせ、救援を求めさせた。 正史 魏書 巻28 §35–36

呉の人々は大いに喜び、将の全懌・全端・唐咨・王祚らに3万人を率いさせ、ひそかに文欽とともに来させて諸葛誕に呼応させた。そして諸葛誕を左都護・仮節・大司徒・驃騎将軍・青州牧とし、寿春侯に封じた。このとき鎮南将軍王基がちょうど到着して寿春を包囲したが、包囲網はまだ閉じておらず、唐咨と文欽らは城の東北から険しい地形に乗じて城内に入った。 正史 魏書 巻28 §36

呉書巻3三嗣主伝は、太平2年(257)5月、諸葛誕が淮南の衆で寿春城を守り、将軍朱成を遣わして臣と称して上疏し、また子の諸葛靚と長史呉綱、諸牙門将の子弟を人質として送ったと記す。6月には文欽・唐咨・全端らに歩騎3万を与えて諸葛誕を救わせた。 正史 呉書 巻3 §16

陳寿の本文で呉綱が現れるのはこの二か所だけである。甘露3年(258)に寿春が破られ、諸葛誕は大将軍司馬胡奮の部隊に斬られたが、呉綱がどうなったかは記されていない。その字や出身、死も陳寿の本文にない。巻28の評は王淩・毌丘倹・諸葛誕・鍾会・鄧艾を論じるのみで、呉綱には触れない。 正史 魏書 巻28 §28–44 · 140

演義の描写

演義第111回で、諸葛誕は司馬昭が自分を司空として呼び寄せながら揚州刺史楽綝に密書を送ったことを知り、揚州に攻め込んで楽綝を殺す。そして上表して司馬昭の罪を一つ一つ挙げて洛陽に奏上させ、屯田の戸口と新たに降った兵を集める一方、長史呉綱に命じて子の諸葛靚を呉に人質として送り、救援を求めさせる。 演義 第111回 §28–30

このとき東呉では丞相孫峻が病死し、その従弟孫綝が政治を補佐して権力を握っていた。呉綱は諸葛靚を連れて石頭城に至り、孫綝に拝謁する。孫綝がわけを問うと、呉綱は、諸葛誕は蜀漢の諸葛武侯(諸葛亮)の一族の弟で以前から魏に仕えてきたが、司馬昭が君主を欺き上をないがしろにし、主君を廃して権力をほしいままにするのを見て討とうとしたものの力が及ばず、帰順するのだと述べる。信ずべき証がないことを恐れて実子の諸葛靚を人質として送ったので、兵を出して助けてほしいというのである。 演義 第111回 §31–32

孫綝はその願いを聞き入れ、全懌・全端を主将、於詮を後軍、朱異・唐咨を先鋒、文欽を道案内として兵7万を起こし、三隊に分けて進ませる。呉綱は寿春に戻って諸葛誕に知らせ、諸葛誕は大いに喜んで兵を並べて備える。演義で呉綱はこの場面のあと再び現れない。 演義 第111回 §32

演義と異なる点

人質:演義第111回で、呉綱は諸葛靚を人質として連れて行き孫綝に救援を求めたのち、寿春に戻って諸葛誕に知らせる。正史の三嗣主伝は、呉綱も諸葛靚や諸牙門将の子弟とともに人質として送られたと記し、彼が寿春に戻ったという記録は陳寿の本文にない。 演義 第111回 §32正史 呉書 巻3 §16正史 魏書 巻28 §28–44

呉で語ったこと:演義第111回で、呉綱は石頭城で孫綝に拝謁し、諸葛誕を諸葛武侯の一族の弟と紹介して、司馬昭の罪を挙げて救援を求める。陳寿の本文は、呉綱が呉で誰に会い何を語ったかを記さない。 演義 第111回 §31–32正史 魏書 巻28 §36正史 呉書 巻3 §16

援軍:演義第111回で、孫綝は全懌・全端・於詮・朱異・唐咨・文欽に兵7万を与えて三隊で送り出す。正史の諸葛誕の記録では全懌・全端・唐咨・王祚らが3万人を率いて文欽とともに来ており、三嗣主伝は6月に文欽・唐咨・全端らに歩騎3万を与えたと記す。朱異は三嗣主伝では、7月に孫綝が鑊里に留まったのち前部督となり、丁奉らとともに介士5万を率いる。 演義 第111回 §32正史 魏書 巻28 §36正史 呉書 巻3 §16

ともに遣わされた人物:正史の三嗣主伝では、諸葛誕は将軍朱成を遣わして臣と称して上疏した。演義第111回には朱成は現れず、呉に行ったのは呉綱と諸葛靚である。 正史 呉書 巻3 §16演義 第111回 §30–32

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3635−1
  • 武力3333±0
  • 知力4040±0
  • 政治4542−3
  • 魅力4040±0
  • 徳4850+2
  • 処世4040±0
  • 文芸3638+2
  • 弁舌6268+6
  • 用人4040±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正36推定演35推定 −1

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §30

  • 武力正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §30

  • 知力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §31

  • 政治正45推定演42推定 −3

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §30

  • 魅力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §31

  • 徳正48推定演50推定 +2

    正直接の記録なし — 諸葛誕に従ったことから推定呉書 巻3 §16

    演直接の記録なし — 諸葛誕の挙兵の大義を代弁したことから推定第111回 §31

  • 処世正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §31

  • 文芸・学術正36推定演38推定 +2

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §31

  • 弁舌・外交正62演68 +6

    正諸葛靚を連れて呉に救援を求め、3万の援軍を得た魏書 巻28 §36呉書 巻3 §16

    演孫綝に諸葛誕の意図を伝え、7万の援軍を起こさせた第111回 §31第111回 §32

  • 識人・用人正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定魏書 巻28 §36

    演直接の記録なし — 諸葛誕の長史であったことから推定第111回 §31

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 演義 · 演義 第111回 「又令长史吴纲,送子诸葛靓入吴为质求援」 · Q124653312