馬融

正史演義 Ma Rong마융马融

プロフィール
職業正演学者所属
登場正演収録
実在実在言及正8回

人物紹介

馬融は経典を解釈した学者である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文は彼の字と本籍、官職と生没を記していない。彼の名は賈逵と並べて3度出てくるが、いずれも魏・蜀の学者たちが従ったり比べたりした経学の一派としてである。 正史 蜀書 巻12 §47正史 魏書 巻4 §67正史 魏書 巻13 §96

魏の王粛は賈逵と馬融の学を好み、鄭玄の学を好まなかった。蜀の李譔の古文経書の解説も賈逵と馬融を基準とし、鄭玄と異なっていた。甘露元年(256)、太学では博士庾峻が、賈逵・馬融と王粛はいずれも「稽古」を「古の道に順って考える」と解したと答えた。 正史 魏書 巻13 §96正史 蜀書 巻12 §47正史 魏書 巻4 §60 · 67

演義では全120回のうち第22回の1回にのみ鄭玄の師として登場し、回目に名が入った回はない。赤い帳を張って講学し、3年間一度もわき見をしなかった鄭玄について、自分の学問の奥義を得た者は鄭玄だけだと感嘆する。 演義 第22回 §2–3

正史の記録

陳寿の本文は馬融の伝を別に立てず、彼の字と本籍、官職と生没を記していない。彼の名は賈逵と組にされ、後の時代の学者の経学を説明する箇所にのみ3度出てくる。 正史 蜀書 巻12 §47正史 魏書 巻4 §67正史 魏書 巻13 §96

魏書巻13の王粛の箇所によれば、王粛は初め賈逵と馬融の学を好み、鄭氏、すなわち鄭玄の学を好まなかった。彼は諸説の異同を集めて『尚書』・『詩』・『論語』・三礼・『左氏』の解釈を著し、父王朗が著した『易伝』を編纂して確定したが、いずれも学官に立てられた。この時、鄭玄の門下で学んだ楽安の孫叔然は、王粛が『聖証論』を編んで鄭玄をそしると、これに反駁して解き明かした。 正史 魏書 巻13 §96–97

蜀書巻12の李譔の箇所によれば、李譔は延熙元年(238)に後主が太子を立てると太子に仕えることになった。彼は古文の『易』・『尚書』・『毛詩』・『三礼』・『左氏伝』と『太玄指帰』を著したが、いずれも賈逵と馬融を基準とし、鄭玄と異なっていた。陳寿は、李譔は王粛と遠く隔たっていてもともと彼の著述を見ていなかったが、意の帰するところは多くが同じであったと記した。 正史 蜀書 巻12 §47

甘露元年(256)夏4月、高貴郷公曹髦が太学に行幸し、儒者たちに経典の意味を問うた。『易』の講論が終わって『尚書』を講論する時、皇帝は「稽古」について、鄭玄は堯が天と同じであったという意味だとし、王粛は堯が古の道に順って考えて行ったという意味だとしたが、どちらが正しいかと問うた。博士庾峻は、先儒の見解は互いに食い違っており自分には定められないとしながらも、「洪範」の「三人が占えば二人の言に従う」に照らし、賈逵と馬融、そして王粛がみな「古の道に順って考える」と見たのだから王粛の説が勝ると答えた。皇帝は、堯の大いなる美点は天に則ったところにあるとして、これに反問した。 正史 魏書 巻4 §48 · 60–62 · 67–68

演義の描写

演義第22回で陳登は劉備に袁紹へ救援を求めようと言い、袁紹と3代にわたって家同士の交わりを結んできた人の手紙をもらうよう勧める。その人は鄭康成、すなわち鄭玄であり、演義は彼が学問を好み多才で、かつて馬融に学んだと紹介する。 演義 第22回 §1–2

馬融は講学のたびに必ず赤い帳を張り、前には生徒を集め、後ろには歌妓を並べ、侍女を左右にぐるりと立たせる。鄭玄は3年間講義を聞きながら一度も目をわきにそらさず、馬融は大いに感心する。学業を終えて帰る鄭玄について、馬融は「わが学問の奥義を得た者は、ただ鄭玄一人のみ」と感嘆する。 演義 第22回 §2–3

演義は続けて、鄭玄は桓帝の時に官が尚書に至ったが、十常侍の乱のために官を捨てて徐州に住み、劉備は涿郡にいた時から彼を師として仕えていたと記す。劉備と陳登が訪ねると鄭玄は快く手紙を書いてやり、孫乾がこれを届けると、袁紹は鄭尚書の頼みは重いとして兵を起こすことを議する。馬融は鄭玄を紹介するこの箇所にのみ登場する。 演義 第22回 §4–5

演義と異なる点

鄭玄の師:演義第22回は、鄭玄がかつて馬融に学び、馬融が鄭玄を自分の学問の奥義を得た唯一の人と言ったと記す。陳寿の本文は二人の師弟関係を記しておらず、むしろ王粛と李譔の学問を述べる際に、賈逵・馬融の学を鄭玄の学と対立する一派として置いた。 演義 第22回 §2–3正史 魏書 巻13 §96正史 蜀書 巻12 §47

講学の様子:演義第22回の赤い帳と生徒・歌妓・侍女の話は陳寿の本文にはない。陳寿の本文で馬融は、賈逵と組にされた学説の名としてのみ登場する。 演義 第22回 §2正史 蜀書 巻12 §47正史 魏書 巻4 §67正史 魏書 巻13 §96

経典の解釈:正史では甘露元年(256)の太学の『尚書』講論で、博士庾峻が「稽古」について、賈逵と馬融、王粛がみな「古の道に順って考える」と見たと答える。演義には馬融の経典解釈は出てこない。 正史 魏書 巻4 §67演義 第22回 §2–3

後代の学者:正史では魏の王粛と蜀の李譔が賈逵と馬融の学に従った。演義で馬融とつながる人物は弟子の鄭玄だけである。 正史 魏書 巻13 §96正史 蜀書 巻12 §47演義 第22回 §2–3

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力4550+5
  • 政治4038−2
  • 魅力4550+5
  • 徳4540−5
  • 処世4040±0
  • 文芸8486+2
  • 弁舌3840+2
  • 用人4062+22
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

識人・用人正40推定演62 +22

正直接の記録なし — 推定魏書 巻13 §96

演学問の奥義を得たのは鄭玄だけだと見抜いた第22回 §3

近い項目 9件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

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