王濬

正史演義 Wang Jun왕준

プロフィール
職業正演武将 · 龍驤将軍所属
登場正演収録
実在実在言及正9回

人物紹介

王濬は晋の龍驤将軍である。天紀3年(279)冬、晋が数方面から呉を攻めた際、広武将軍唐彬とともに長江に沿って東へ下り、翌年春には至る所で呉軍が土崩のように崩れた。 正史 呉書 巻3 §74 · 78 · 81

天紀4年(280)3月壬申の日、最初に到着して孫皓の降伏を受け、縛めを解いて棺を焼いた。正史には独立した伝がなく、呉書の三嗣主伝・張厳程闞薛伝・陸遜伝に名が見える。陳寿の本文は彼の字や出身、死を記していない。 正史 呉書 巻3 §82 · 85正史 呉書 巻8 §61正史 呉書 巻13 §88–89

演義では第120回の1回にのみ登場し、名は回目に含まれない。益州刺史として上疏して呉を討つよう請い、呉が長江に張り渡した鉄鎖と水中に打ち込んだ鉄錐を筏と大松明で打ち破ったのち、晋軍が石頭城に入ると、軍営の前に出て降った孫皓を受け入れる。 演義 第120回 §29 · 44–45 · 54–55

正史の記録

天紀3年(279)冬、晋は鎮東大将軍司馬伷を涂中へ、安東将軍王渾と揚州刺史周浚を牛渚へ、建威将軍王戎を武昌へ、平南将軍胡奮を夏口へ、鎮南将軍杜預を江陵へ向かわせ、龍驤将軍王濬と広武将軍唐彬には長江に沿って東へ下らせ、太尉賈充を大都督とした。呉の徐陵督陶濬は武昌に至ったが、北の軍が大挙して出たと聞いて留まり、進まなかった。 正史 呉書 巻3 §74 · 76 · 78

天紀4年(280)春、王濬と唐彬の至る所では土が崩れ瓦が砕けるように崩れ、防ぐ者はなかった。杜預は江陵督伍延を斬り、王渾は丞相張悌と丹楊太守沈瑩らを斬った。 正史 呉書 巻3 §81

陸遜伝はこの件を陸抗の上疏に続けて記している。陸抗は病に伏した際、西陵と建平は下流に位置しており、敵が船を浮かべて流れに沿って下れば、船首と船尾が千里に連なってたちまち到達するだろうと上疏した。天紀4年(280)、晋軍が呉を攻めると、龍驤将軍王濬が流れに沿って東へ下り、至る所でたちまち攻め落としたので、ついに陸抗の憂えたとおりとなった。2月壬戌の日には、陸抗の子陸晏が王濬の別働隊に殺された。 正史 呉書 巻13 §84 · 88–89

3月戊辰の日、武昌から戻った陶濬は、水軍の消息を尋ねる孫皓に「蜀の船はみな小さいので、兵2万を得て大船に乗って戦えば、十分に打ち破れます」と答えた。孫皓は兵を集めて陶濬に節鉞を授けたが、翌日出発することになっていたその夜、兵はみな逃げ去った。その間に王濬は流れに沿って今にも到着しようとしており、司馬伷と王渾もみな国境近くに迫っていた。 正史 呉書 巻3 §82–83

孫皓は光禄勲薛瑩と中書令胡沖らの計略を用い、使者を分けて遣わし、王濬・司馬伷・王渾に書簡を奉った。書簡は、大晋が龍のように興ったのに自分は天命を悟らなかったとし、私に任じた太常張夔らを遣わして身に帯びていた印綬を奉り、身を委ねて命乞いをするというものであった。薛瑩伝はこの文を薛瑩が作ったと記している。 正史 呉書 巻3 §83–84正史 呉書 巻8 §61

壬申の日、王濬が最初に到着して孫皓の降伏を受け、縛めを解き棺を焼いたうえで迎え入れて対面した。司馬伷は孫皓が自分に印綬を送ってきたとして使者を遣わして孫皓を護送し、孫皓は一家を挙げて西へ移り、太康元年(280)5月丁亥の日に都に到着した。陳寿の本文はこののちの王濬を記していない。 正史 呉書 巻3 §85

演義の描写

演義第120回で、呉の丁奉と陸抗がともに死に、孫皓が臣下の顔の皮を剥ぎ目をえぐるようになると、晋の益州刺史王濬は上疏して呉を討つよう請う。孫皓が死んで賢明な君主が立てば強敵となること、自分が船を造って7年になり日々朽ち壊れるものがあること、自分は70歳でいつ死ぬかわからないこと、この三つのうち一つでも食い違えば図るのは難しいというのである。晋主は「王公の論は羊都督の考えと暗に一致する」と言って意を決する。 演義 第120回 §29–30

晋主は杜預を大都督として数方面から兵を出し、龍驤将軍王濬と広武将軍唐彬に長江に船を浮かべて東へ下らせる。孫皓は王濬が兵数万を率い、戦船を整えて流れに沿って下ってくるので、その鋒がきわめて鋭いと憂え、岑昏の計に従って長江の要所に鉄鎖を張り渡してふさぎ、鉄錐数万本を水中に打ち込んでおく。 演義 第120回 §33–34 · 36–37

斥候の報告を聞いた王濬は大笑いし、大きな筏数十の上に草を束ねて人の形を作り、鎧を着せ武器を持たせて流れに沿って流す。呉軍は生きた人だと思って先に逃げ、水中の錐は筏に刺さってすべて抜き去られる。さらに筏の上に長さ十余丈、太さ十余抱えの大松明を作って麻油を注いでおき、鉄鎖に出会えば燃やすので、たちまちすべて断ち切られる。 演義 第120回 §44–45

牛渚に勝ったのち王濬が勝利を知らせると、賈充は軍を呼び戻そうと言い、張華は今呼び戻せばこれまでの功が無駄になると反論する。晋主司馬炎は杜預の上表まで見て進軍の命を下し、王濬らは水陸ともに進んで、呉の人々は旗を望んだだけで降伏する。 演義 第120回 §49–51

王濬は三山を通る際、船頭が風波が激しいので風が収まるのを待とうと言うと、剣を抜いて「わしは今すぐ石頭城を取ろうとしているのに、止まれとは何事か」と叱りつけ、太鼓を鳴らして進む。呉の将張象が降伏を請うと、真に降伏するのなら先鋒となって功を立てよと言い、張象は石頭城の下へ行って城門を開けさせ、晋軍を迎え入れる。孫皓が棺を車に載せ自ら身を縛って王濬の軍営の前に出て降伏すると、王濬は縛めを解き、棺を焼いて、王の礼で遇する。 演義 第120回 §54–55

翌日到着した司馬伷と王戎は、王濬が大功を立てたのを見て内心喜び、王濬は上表して勝利を報告する。王濬は軍を収めて帰還する際、孫皓を洛陽へ移して天子に謁見させ、皇帝は孫皓を帰命侯に封じ、王濬を輔国大将軍とする。 演義 第120回 §57 · 59–60

演義と異なる点

出兵の上疏:演義第120回で、王濬は益州刺史として「船を造って7年、年は70」と述べて呉を討つよう上疏する。陳寿の本文の王濬の記事にはこの上疏がなく、天紀3年(279)冬に晋が龍驤将軍王濬と広武将軍唐彬に長江に沿って東へ下らせたとだけ記す。 演義 第120回 §29–30正史 呉書 巻3 §78 · 81–85正史 呉書 巻13 §88–89

鉄鎖と鉄錐:演義第120回では、岑昏の計によって長江に鉄鎖と鉄錐を置き、王濬が筏と大松明でこれを打ち破る。正史の三嗣主伝にはこのことがなく、王濬と唐彬の至る所では土が崩れ瓦が砕けるように崩れ、防ぐ者はなかったとだけいう。正史の岑昏は、土木工事や労役を起こすことを好んで人々を苦しめた臣として登場する。 演義 第120回 §37 · 44–45正史 呉書 巻3 §80–81

小さな船:演義第120回で、陶濬は「臣が率いる戦船はみな小さいので」と言って兵2万と大船を求める。正史の三嗣主伝で陶濬が小さいと言ったのは「蜀の船」であり、水軍の消息を尋ねた孫皓への答えである。 演義 第120回 §52正史 呉書 巻3 §83

石頭城の張象:演義第120回では、王濬が船頭を叱りつけて進むと、呉の将張象が降伏して石頭城の門を開く。陳寿の本文にはこのことも張象も出てこない。 演義 第120回 §54正史 呉書 巻3 §83–85

孫皓を送った人:演義第120回では、王濬が軍を収めて帰還する際に孫皓を洛陽へ移す。正史の三嗣主伝では、王濬が最初に到着して降伏を受けたが、司馬伷が孫皓は自分に印綬を送ってきたとして使者を遣わし、孫皓を護送した。 演義 第120回 §59正史 呉書 巻3 §85

その後の官職:演義第120回で、皇帝は王濬を輔国大将軍とする。陳寿の本文は呉の降伏後に王濬が受けた官職を記していない。 演義 第120回 §60正史 呉書 巻3 §85

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率8084+4
  • 武力4248+6
  • 知力5276+24
  • 政治4545±0
  • 魅力5050±0
  • 徳5860+2
  • 処世5268+16
  • 文芸3840+2
  • 弁舌4858+10
  • 用人4042+2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

処世正52推定演68 +16

正直接の記録なし — 事績から推定呉書 巻3 §85

演風波にも止まらず石頭城への進撃を決断した第120回 §54

近い項目 7件 — 根拠を見る
  • 統率正80演84 +4

    正長江を下って阻む者なく、真っ先に到着した呉書 巻3 §81呉書 巻3 §85

    演水軍を率いて鉄鎖を断ち、石頭城まで進撃した第120回 §44第120回 §45第120回 §54

  • 武力正42推定演48推定 +6

    正直接の記録なし — 水軍の大将としての役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 剣を抜いて進撃を促した記録のみ第120回 §54

  • 政治正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 記録なし呉書 巻3 §78

    演直接の記録なし — 益州刺史の肩書から推定第120回 §29

  • 魅力正50推定演50推定 ±0

    正直接の記録なし — 記録なし呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 記録なし第120回 §51

  • 徳正58演60 +2

    正降伏した孫皓の縛めを解き、棺を焼いて迎え入れた呉書 巻3 §85

    演降伏した孫皓の縛めを解き、棺を焼いたうえで礼遇した第120回 §55

  • 文芸・学術正38推定演40推定 +2

    正直接の記録なし — 記録なし呉書 巻3 §78

    演直接の記録なし — 上疏のほかに記録なし第120回 §29

  • 識人・用人正40推定演42推定 +2

    正直接の記録なし — 記録なし呉書 巻3 §78

    演直接の記録なし — 張象の降伏を受け入れて先鋒に用いた第120回 §54

スペシャル — 才能 正史 +10 · 演義 +20

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(2)

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