沈瑩
人物紹介
沈瑩は呉の孫皓の時代の丹楊太守である。正史には独立した伝がなく、呉書巻3の三嗣主伝に一度だけ名が見える。天紀4年(280)春、晋軍が数方面から攻め込んだとき、晋の将王渾が丞相張悌と丹楊太守沈瑩らを斬った。 正史 呉書 巻3 §78 · 81
演義では第120回の一回にのみ登場し、名は回目に入っていない。演義は彼を左将軍として描く。丞相張悌は自ら軍師となって左将軍沈瑩と右将軍諸葛靚を率い、牛渚へ進むと上奏し、晋軍を迎え撃つことになった沈瑩は諸葛靚に、上流の諸郡が防備をしていないので晋軍は必ずここまで来るだろうと言う。張悌とともに兵を率いて迎え撃つが晋軍に包囲され、周旨に殺される。 演義 第120回 §35 · 45 · 47
正史の記録
演義の描写
演義第120回で、晋軍が押し寄せるという知らせに呉主孫皓は大いに慌て、丞相張悌・司徒何植・司空滕循を呼んで策を議する。張悌は、車騎将軍伍延に江陵で杜預を迎え撃たせ、驃騎将軍孫歆に夏口などを防がせるよう述べたのち、自らは軍師となって左将軍沈瑩と右将軍諸葛靚を率い、兵十万を引き連れて牛渚へ進み、諸方面の軍馬を支援すると上奏する。孫皓はその言に従う。 演義 第120回 §35–36
王濬の水軍が筏と松明で鉄鎖と鉄錐を取り除いて川を下る間、東呉の丞相張悌は沈瑩と諸葛靚に晋軍を迎え撃たせる。沈瑩は諸葛靚に「上流の諸軍は防備をしていないので、わたしの見るところ晋軍は必ずここまで来る。力を尽くして迎え撃つべきだ」と言い、幸いに勝てば江南はおのずと安泰になるが、川を渡って戦い不幸にも敗れれば大事は終わりだと言う。諸葛靚はその言葉はもっともだと答える。 演義 第120回 §44–46
言い終わらないうちに、晋軍が流れに乗って下ってきてその勢いは当たるべくもないとの報告が入り、二人は大いに驚いて張悌のもとへ相談に行く。諸葛靚は張悌に逃れようと言うが聞き入れられず、涙を流して去り、張悌と沈瑩は兵を率いて迎え撃つが、晋軍が一斉に包囲する。周旨が真っ先に呉の陣営に斬り込み、張悌は乱軍の中で死に、沈瑩は周旨に殺される。呉軍は四散して逃げる。 演義 第120回 §46–47
演義と異なる点
官職:演義第120回で沈瑩は張悌が率いる左将軍である。正史の三嗣主伝で張悌とともに斬られた沈瑩は丹楊太守である。 演義 第120回 §35正史 呉書 巻3 §81
沈瑩を殺した者:演義第120回では、晋の将周旨が真っ先に呉の陣営に斬り込み、沈瑩は周旨に殺される。正史の三嗣主伝では、王渾が丞相張悌と丹楊太守沈瑩らを斬った。 演義 第120回 §47正史 呉書 巻3 §81
沈瑩の言葉:演義第120回で沈瑩は諸葛靚に、上流に防備がないので晋軍は必ずここまで来るし、川を渡って戦って敗れれば大事は終わりだと言う。陳寿の本文には沈瑩の言葉はなく、張悌が沈瑩と諸葛靚を率いたという記述もない。 演義 第120回 §45–46正史 呉書 巻3 §78–81
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4240−2
- 武力3840+2
- 知力3852+14
- 政治4235−7
- 魅力3838±0
- 徳4555+10
- 処世3840+2
- 文芸3331−2
- 弁舌3335+2
- 用人3333±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 8件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。