胡昭

正史 魏 字 孔明 Hu ZhaoKongming호소공명

プロフィール
職業正学者所属魏 異説
登場正収録魏書
出生正162年 推定出身地潁川郡
死去正250年 推定死去地
実在実在言及正8回

人物紹介

胡昭は字を孔明といい、潁川の人である。袁紹の招きを辞退し、曹操の招きには応じて赴いたが、軍事・国政に役立たない在野の者であるとして去ることを願い出て許された。その後は陸渾山の中で自ら田を耕し、経書を楽しんで仕えなかった。 正史 魏書 巻11 §100 · 105

建安23年(218)、陸渾県で反乱を起こして関羽についた孫狼らでさえ、「胡居士は賢者である」として彼の村を犯さないことを誓った。正始年間に諸大臣が彼を推薦し、嘉平2年(250)に公車で特に召されたが、ちょうど死去した。享年89であった。 正史 魏書 巻11 §106–108

正史魏書巻11の袁張涼国田王邴管伝に張臶とともに伝がある。書に巧みで、鍾繇・邯鄲淳らとともに名高かった。陳寿は評で、張臶と胡昭は門を閉ざして静けさを守り、当世のことを営まなかったので、あわせて記録したと述べた。演義には登場しない。 正史 魏書 巻11 §99 · 109 · 111

正史の記録

胡昭は字を孔明といい、潁川の人である。陳寿は鉅鹿の張臶とともに、彼を志を養って仕えなかった人として記した。 正史 魏書 巻11 §100

胡昭は初め冀州に難を避けたが、袁紹の招きを辞退してひそかに郷里へ帰った。曹操が司空・丞相となってしばしば礼を尽くして招くと、胡昭は命に応じて赴いたが、着くと自分は一介の在野の者で軍事・国政の役に立たないと申し述べ、誠意をもって去ることを願い出た。曹操は、人にはそれぞれ志があって出処の道が異なるので、高雅な志を最後まで守るようにと言い、義として屈させはしないと述べた。胡昭はそこで陸渾山の中に移り住み、自ら田を耕して道を楽しみ、経書を自らの楽しみとした。 正史 魏書 巻11 §105

村人たちは彼を敬い慕った。建安23年(218)、陸渾県長の張固が壮丁を徴発して漢中に送れという文書を受けると、遠い賦役を嫌った民の孫狼らが兵を起こして県の主簿を殺し、反乱を起こした。県城が荒れ果てると、張固は吏卒十余人を率いて胡昭のもとに身を寄せ、残った民を呼び集めて社稷を安らかに回復した。 正史 魏書 巻11 §106

孫狼らは南へ行って関羽につき、関羽が印綬を授け兵を与えると、戻ってきて寇賊となった。しかし陸渾の南の長楽亭に至ると、「胡居士は賢者である。決してその村を犯してはならない」と互いに誓い合い、谷じゅうが胡昭を頼みとして恐れることがなかった。天下が安定すると、胡昭は宜陽に居を移した。 正史 魏書 巻11 §106–107

正始年間、驃騎将軍趙儼、尚書黄休・郭彝、散騎常侍荀顗・鍾毓、太僕庾嶷、弘農太守何楨らが次々に胡昭を推薦した。彼らは、胡昭は天性高潔で老いてますます篤く、伯夷・四皓の節操を備えているので、召命を下して風俗を励ますべきだと述べた。嘉平2年(250)に公車で特に召されたが、ちょうど死去した。享年89であった。子の胡纂が郎中に任じられた。 正史 魏書 巻11 §107–108

もともと胡昭は書に巧みで、鍾繇・邯鄲淳・衞覬・韋誕とともに名高く、彼が書いた書簡の筆跡はしばしば手本とされた。 正史 魏書 巻11 §109

陳寿は巻末の評で、袁渙・邴原・張範をはじめとする人々を順に評したのち、管寧は深く雅やかで高尚であり、確固として揺るがず、張臶と胡昭は門を閉ざして静けさを守り、当世のことを営まなかったので、彼らをあわせて記録したと述べた。 正史 魏書 巻11 §111

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率31
  • 武力31
  • 知力45
  • 政治38
  • 魅力74
  • 徳86
  • 処世64
  • 文芸72
  • 弁舌45
  • 用人38
各項目100点

項目別の根拠

スペシャル — 才能 正史 +25

  • 書道

    正名手 +25 書に巧みで鍾繇・衞覬らと名高く、筆跡が手本とされた魏書 巻11 §109

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 魏 異説 · 正史 · 「亦養志不仕」