伍延

正史演義 呉 Wu Yan오연

プロフィール
職業正武将 · 江陵督 演武将 · 車騎将軍所属呉
登場正演収録
出生正? 推定出身地
死去正280年 推定死去地
死因正戦死 演処刑 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

伍延は呉末期の江陵督である。正史に独立した伝はなく、呉書巻3三嗣主伝の孫皓の記録に一度名が見える。天紀3年(279)冬、晋が数路から呉を攻めた際に鎮南将軍杜預が江陵に向かい、翌天紀4年(280)春、杜預が江陵督伍延を斬った。陳寿の本文は彼の字や出身、江陵督となった時期を記していない。 正史 呉書 巻3 §74 · 78 · 81

演義では全120回のうち第120回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。演義では丞相張悌の進言によって車騎将軍・都督となり、江陵に進んで杜預を迎え撃つが、諸軍がみな敗れると城を捨てて逃げ、伏兵に捕らえられて杜預の命で斬られる。 演義 第120回 §35 · 41

正史の記録

三嗣主伝の孫皓の記録によれば、天紀3年(279)冬、晋は鎮東大将軍司馬伷を涂中に、安東将軍王渾と揚州刺史周浚を牛渚に、建威将軍王戎を武昌に、平南将軍胡奮を夏口に、鎮南将軍杜預を江陵に向かわせ、龍驤将軍王濬と広武将軍唐彬には長江に浮かんで東へ下らせ、太尉賈充を大都督とした。呉の徐陵督陶濬は武昌に至ったが、北の軍が大挙して出てきたと聞いて留まり、進まなかった。 正史 呉書 巻3 §74 · 78

陳寿は、このころ孫皓が宴会のたびに群臣をことごとく泥酔させ、過ちを監察する役人を置いて大小の過失を罰したため、上下の心が離れ、孫皓のために力を尽くす者がいなくなったと記している。 正史 呉書 巻3 §79–80

天紀4年(280)春、王濬と唐彬の至る所では土が崩れ瓦が砕けるように総崩れとなり、防ぐ者はなかった。杜預はまた江陵督伍延を斬り、王渾はさらに丞相張悌と丹楊太守沈瑩らを斬って、至る所で戦いに勝った。 正史 呉書 巻3 §81

3月、武昌から戻った陶濬が、兵2万を得て大船で戦えば十分に打ち破れると言うと、孫皓は兵を集めて彼に節鉞を授けたが、出発の予定日の夜に兵はみな逃げ去った。孫皓は使者を分けて王濬・司馬伷・王渾に書を奉らせ、太常張夔らを遣わして身に帯びていた印綬を奉り、身を委ねて命を請うと述べた。陳寿の本文で伍延の名が見えるのは、江陵督伍延を斬ったという一句だけである。 正史 呉書 巻3 §82–84 · 81

演義の描写

演義第120回で、晋主は鎮南大将軍杜預を大都督とし、兵10万を率いて江陵に進ませ、司馬伷・王渾・王戎・胡奮にもそれぞれ兵5万を与えて杜預の指揮に従わせる。王濬と唐彬は船を出して長江を東へ下る。 演義 第120回 §33–34

知らせを聞いた呉主孫皓は大いに慌て、丞相張悌、司徒何植、司空滕循を召して協議すると、張悌は、車騎将軍伍延を都督として江陵に進ませ杜預を迎え撃たせ、驃騎将軍孫歆に夏口などの軍馬を防がせ、自らは左将軍沈瑩・右将軍諸葛靚を率いて兵10万で牛渚に出て諸方面を支援すると奏上する。孫皓はその言葉に従う。 演義 第120回 §35–36

杜預は牙将周旨に水夫800人を与えてひそかに長江を渡らせ巴山に伏せさせ、翌日大軍を率いて水陸並んで進む。物見は、呉主が伍延を陸路に、陸景を水路に出し、孫歆を先鋒として三路から迎え撃ちに来ると報せる。孫歆はわざと退く杜預を追ううち四方から押し寄せた晋軍に大敗し、城の近くで兵に紛れ込んでいた周旨に斬られる。船上の陸景も長江の南岸に火の手が上がるのを見て上陸しようとしたところを晋の将張尚に斬られる。 演義 第120回 §38–40

伍延は諸軍がみな敗れたのを見て城を捨てて逃げるが、伏兵に捕らえられ、縛られて杜預の前に引き出される。杜預は生かしておいても役に立たないとして武士を叱咤して彼を斬らせ、こうして江陵を得る。その後、沅水・湘水一帯から広州の諸郡に至るまで、守令たちは噂を聞いただけで印綬を携えて降伏してくる。 演義 第120回 §41–42

演義と異なる点

職位:演義第120回では、伍延は車騎将軍として都督となり江陵に進む。正史の三嗣主伝では江陵督である。 演義 第120回 §35正史 呉書 巻3 §81

江陵に行った経緯:演義第120回では、孫皓が丞相張悌の進言に従って伍延を江陵に送り、杜預を迎え撃たせる。正史は晋の杜預が江陵に向かい、杜預が江陵督伍延を斬ったと記すのみで、張悌が彼を推挙したことは見えない。 演義 第120回 §35–36正史 呉書 巻3 §78 · 81

死の経緯:演義第120回では、伍延は城を捨てて逃げる途中で伏兵に捕らえられ、縛られて杜預の前に引き出されて斬られる。正史は杜預が江陵督伍延を斬り、至る所で戦いに勝ったと記すのみで、捕らえられたことは記していない。 演義 第120回 §41正史 呉書 巻3 §81

ともに出陣した将:演義第120回では、伍延が陸路を、陸景が水路を進み、孫歆が先鋒を務めて三路から杜預を迎え撃ち、孫歆は周旨に、陸景は張尚に斬られる。陳寿の本文には孫歆は現れず、陸遜伝は天紀4年(280)2月癸亥の日に陸景も殺されたと記すのみで、伍延とともに戦ったという記録はない。 演義 第120回 §38–40正史 呉書 巻13 §88–89正史 呉書 巻3 §81

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4235−7
  • 武力4040±0
  • 知力3835−3
  • 政治3533−2
  • 魅力3835−3
  • 徳4238−4
  • 処世3825−13
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3333±0
  • 用人3333±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

処世正38推定演25 −13

正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

演諸軍が敗れると城を捨てて逃げ、捕らえられた第120回 §41

近い項目 9件 — 根拠を見る
  • 統率正42演35 −7

    正江陵督であったが、晋の杜預に斬られた呉書 巻3 §81

    演都督として江陵で杜預を防がせたが、城を捨てた第120回 §35第120回 §41

  • 武力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 知力正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 政治正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 魅力正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 徳正42推定演38推定 −4

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 弁舌・外交正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

  • 識人・用人正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 呉の江陵督という役割から推定呉書 巻3 §81

    演直接の記録なし — 呉の車騎将軍という役割から推定第120回 §35

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 呉 · 演義 · 演義 第120回 「前哨报道:吴主遣伍延出陆路,陆景出水路,孙歆为先锋:三路来迎」 · Q124737814

関連事件(1)

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