正学問を好み、書物数十篇を著した呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
陸景は字を士仁といい、呉の大司馬陸抗の子で、陸遜の孫である。正史には独立した伝がなく、陸遜伝の末尾の陸抗の記録に短く登場する。公主を娶って騎都尉に任じられ、毗陵侯に封じられ、兄弟と陸抗の兵を分けて率いることになると、偏将軍・中夏督となった。 正史 呉書 巻13 §58 · 83 · 88
天紀4年(280)、晋軍が呉を攻めたとき、2月癸亥の日に殺害された。時に31歳であった。陳寿は巻13の評で陸遜と陸抗を評したが、陸景については何も述べていない。演義では第120回に呉主が水路に出した将として登場し、全120回のうちこの1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。演義は、彼が杜預の旗を見て驚き、陸に上がろうとしたところを晋の将張尚に斬られたと描く。 正史 呉書 巻13 §88–89 · 91演義 第120回 §38 · 40
陸景の祖父陸遜は、長子陸延が早く死んだため、次子陸抗が爵位を継いだ。陸抗は鳳皇2年(273)春に大司馬・荊州牧となり、3年(274)夏に病にかかって上疏した。上疏で彼は、西陵と建平は国の藩屏であり、敵が舟を浮かべて流れに沿って下ってくれば瞬く間に到達するので、他の部隊の援助を頼みにはできないと述べた。陸抗はその年の秋に世を去った。 正史 呉書 巻13 §58 · 83–84 · 88
陸抗が死ぬと子の陸晏が跡を継ぎ、陸晏とその弟陸景・陸玄・陸機・陸雲が陸抗の兵を分けて率いた。陸晏は裨将軍・夷道監となった。 正史 呉書 巻13 §88
陸景は字を士仁という。公主を娶って騎都尉に任じられ、毗陵侯に封じられ、陸抗の兵を率いることになると偏将軍・中夏督に任じられた。身を清く修めて学問を好み、書物数十篇を著した。陸景の妻は孫皓の同母妹であり、陸景とその妻はともに張承の外孫であった。 正史 呉書 巻13 §88–89
天紀4年(280)、晋軍が呉を攻めると、龍驤将軍王濬が流れに沿って東へ下り、至る所でたちまち陥落させたので、ついに陸抗が憂えたとおりとなった。2月壬戌の日、兄の陸晏が王濬の別働隊に殺され、翌日の癸亥の日に陸景も殺害された。時に31歳であった。陳寿の本文は、陸景が誰に、どこで殺されたかを記していない。 正史 呉書 巻13 §88–89
陳寿は巻13末尾の評で陸遜の謀略を非凡とし、陸抗は貞正明察で計略に優れ、父の風があったので、家業をよく継いだと述べた。陸景については評していない。 正史 呉書 巻13 §91
演義第120回で、晋は龍驤将軍王濬と広武将軍唐彬に長江に舟を浮かべて東へ下らせ、都督杜預は兵を率いて江陵へ進む。杜預は牙将周旨に水夫800人を与えてひそかに長江を渡らせ、巴山に伏兵させる。翌日、杜預が水陸並進すると、斥候は、呉主が伍延を陸路に、陸景を水路に出し、孫歆を先鋒として三路から迎え撃ちに来ると報告する。 演義 第120回 §34 · 38
孫歆は杜預の兵を追ううちに四方から押し寄せた晋軍に大敗し、城の近くまで逃げたところを周旨に斬られる。陸景は船の上から長江南岸一帯に火の手が上がるのを望み見るが、巴山の上には「晋鎮南大将軍杜預」と書いた大旗が風にはためいている。大いに驚いた陸景は陸に上がって命拾いしようとするが、晋の将張尚が馬を駆けて来て彼を斬る。続いて伍延も捕らえられて斬られ、杜預は江陵を得る。 演義 第120回 §39–41
死の経緯:演義第120回で陸景は杜預の旗を見て驚き、陸に上がろうとして晋の将張尚に斬られる。正史は、天紀4年(280)2月癸亥の日に陸景が殺害され、31歳であったと記すだけで、誰にどこで殺されたかは明らかにしない。 演義 第120回 §40正史 呉書 巻13 §89
相対した晋軍:演義第120回で陸景は、江陵へ進んだ杜預の軍を迎え撃つため水路に出る。正史の陸抗の記録は、このときの晋軍を流れに沿って東へ下った龍驤将軍王濬と記し、兄の陸晏が王濬の別働隊に殺されたとしており、杜預はこの記録に登場しない。 演義 第120回 §38正史 呉書 巻13 §88–89
身分と官職:演義は陸景を呉主が水路に出した将としてだけ描き、陸抗の子であることや官職は明らかにしない。正史で陸景は陸抗の子で、公主を娶って騎都尉・毗陵侯となり、偏将軍・中夏督として陸抗の兵を率いた。 演義 第120回 §38 · 40正史 呉書 巻13 §88
学問と婚姻:正史は、陸景が身を清く修めて学問を好み、書物数十篇を著したこと、妻が孫皓の同母妹で、夫婦ともに張承の外孫であったことを記す。演義第120回にはこうした内容はない。 正史 呉書 巻13 §88–89演義 第120回 §38 · 40
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
正学問を好み、書物数十篇を著した呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正身を清く修めたと記録される呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演奇襲に大いに驚き、船を捨てて陸へ逃げた第120回 §40
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演陸に上がるところを晋の将張尚に斬られた第120回 §40
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正直接の記録なし — 偏将軍・中夏督の経歴から推定呉書 巻13 §88
演直接の記録なし — 水路軍の将という立場から推定第120回 §38
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。