陸雲
人物紹介
陸雲は呉の大司馬陸抗の子で、陸遜の孫である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では陸遜伝の末尾にある陸抗の記事に一度だけ名が見える。鳳皇3年(274)秋に陸抗が死ぬと子の陸晏が跡を継ぎ、陸晏とその弟の陸景・陸玄・陸機・陸雲が陸抗の兵を分けて率いた。 正史 呉書 巻13 §83–84 · 88
陳寿の本文は彼の字や官職、生没年とその後の事績を記していない。陳寿は陸遜伝の評で陸遜と陸抗を評しただけで、陸雲については何も述べていない。演義には登場しない。 正史 呉書 巻13 §88–89 · 91
正史の記録
陸雲の祖父陸遜は長男の陸延が早世したため、次男の陸抗が爵位を継いだ。陸抗は孫策の外孫である。陸抗は鳳皇2年(273)春に任地で大司馬・荊州牧に任じられ、3年(274)夏に病にかかると、西陵と建平の守りを憂えて、自分の死後も西方をつねに心に留めてほしいと上疏した。そしてその年の秋に世を去った。 正史 呉書 巻13 §58 · 60 · 83–84 · 87–88
陸抗の跡は子の陸晏が継ぎ、陸晏とその弟の陸景・陸玄・陸機・陸雲が陸抗の兵を分けて率いた。陳寿の本文で陸雲の名が出るのはこの箇所だけで、彼が就いた官職は記されていない。 正史 呉書 巻13 §88
陸晏は裨将軍・夷道監となり、陸景は公主を娶って騎都尉に任じられ毗陵侯に封じられ、陸抗の兵を率いることになると偏将軍・中夏督に任じられた。天紀4年(280)、晋軍が呉を攻めると、龍驤将軍王濬が流れに沿って東へ下り、至る所で攻め落としたので、ついに陸抗が憂えたとおりになった。2月壬戌の日に陸晏は王濬の別働隊に殺され、翌日の癸亥の日には陸景も31歳で殺された。陳寿の本文は、この時陸雲がどうなったかを記していない。 正史 呉書 巻13 §88–89
陳寿は陸遜伝の評で、陸遜が劉備を打ち破った謀略と国を憂えた忠誠を称え、陸抗は貞正で明察、計略に優れ、いずれも父の風があって家業をよく継いだと述べた。陸雲についての評はない。 正史 呉書 巻13 §91
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率40
- 武力33
- 知力40
- 政治40
- 魅力40
- 徳45
- 処世40
- 文芸42
- 弁舌38
- 用人38
項目別の根拠
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正直接の記録なし — 兄たちと陸抗の兵を分けて率いたことから推定呉書 巻13 §88
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。