焦触 焦觸

正史演義 Jiao Chu초촉

プロフィール
職業正演武将所属
登場正演収録
出生演? 推定出身地
死去演208年 推定死去地
死因演戦死 推定
実在実在言及正3回

人物紹介

焦触は袁熙の大将である。正史には独立した伝がなく、魏書巻1の武帝紀と巻6の董二袁劉伝に現れる。建安10年(205)正月、曹操が袁譚を斬って冀州を平定したその月に、張南らとともに背いて袁熙と袁尚を攻め、二人は烏丸へ逃れた。 正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68

焦触は自ら幽州刺史と称し、諸郡の太守や県令・県長を駆り立てて袁氏に背き曹氏に向かわせ、白馬を殺して盟う席では、従うことを拒んだ別駕の韓珩の志を遂げさせようと言った。焦触らはその県を挙げて降り、列侯に封じられた。 正史 魏書 巻6 §68–69正史 魏書 巻1 §88

陳寿の本文は彼の字と出身、その後の事績と死を記しておらず、巻6の評でも彼を取り上げていない。演義では第33回に袁氏の降将として初めて登場し、120回のうち3回に登場し、回目に名が入った回はない。第48回で張南とともに小舟を率いて江南の水寨へ向かい、韓当の槍に突かれて死ぬ。 正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68–69 · 96演義 第33回 §22演義 第48回 §28

正史の記録

曹操が鄴を包囲していたとき、袁譚は中山で袁尚を攻め、袁尚は故安へ逃れて袁熙を頼った。建安10年(205)春正月、曹操は南皮を攻めて袁譚を斬り、冀州が平定された。 正史 魏書 巻6 §67正史 魏書 巻1 §88

この月、袁熙の大将焦触と張南らが背いて袁熙と袁尚を攻め、袁熙と袁尚は三郡烏丸へ逃れた。董二袁劉伝はこの件を、袁熙と袁尚がその将焦触と張南に攻められて遼西の烏丸へ逃れたと記す。 正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68

焦触は自ら幽州刺史と称し、諸郡の太守や県令・県長を駆り立てて袁氏に背き曹氏に向かわせた。兵数万を並べ、白馬を殺して盟い、「命に背く者は斬る」と命じたので、人々はあえて口をきく者もなく、順に血をすすった。 正史 魏書 巻6 §68

別駕の韓珩の番になると、韓珩は、袁公父子の厚恩を受けながら、今その破滅にあたって知恵では救えず勇気では死ねなかったのだから義においてすでに欠けているが、北面して曹氏に仕えることはできないと言った。一座はみな韓珩のために顔色を失った。焦触は、大事を興すには大義を立てるべきであり、事の成否は一人にかかるものではないとして、韓珩の志を遂げさせて君に仕える者たちを励まそうと言った。 正史 魏書 巻6 §68–69

焦触らはその県を挙げて降り、曹操は彼らを列侯に封じた。陳寿の本文は焦触の字と出身、その後の事績と死を記さず、巻6の評は董卓・袁術・袁紹・劉表を論じるだけで彼を取り上げない。 正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §96

演義の描写

演義第33回で、曹操が袁熙に身を寄せた袁尚を討つ策を郭嘉に問うと、郭嘉は袁氏の降将焦触・張南らに自ら攻めさせよと言う。曹操はその言に従い、焦触・張南・呂曠・呂翔・馬延・張顗にそれぞれ本部の兵を率いさせ、三路に分かれて幽州を攻めさせる。袁尚と袁熙は曹操の軍が間もなく来ると知り、城を捨てて遼西の烏桓へ逃れる。 演義 第33回 §22–23

第41回の長坂の戦いでは、馬を走らせる趙雲の前を張南とともに遮る。後ろからは馬延と張顗が追ってくるが、演義はこの四人をみな袁紹の配下から降った将であるとする。趙雲は四将と力戦し、曹操軍が押し寄せると青釭剣を抜いて斬りまくり、幾重もの包囲を突き破って出る。 演義 第41回 §60–61

第48回で曹操が、青・徐・燕・代の兵は舟に慣れていないと言うと、袁紹配下の旧将焦触と張南が進み出て、自分たちは幽・燕の者ではあるが舟に乗れると言い、巡船を貸してくれれば江口の旗と鼓を奪ってくると申し出る。命を子供の遊びのように扱うなと言う曹操に、二人は勝てなければ甘んじて軍法を受けると叫ぶ。曹操は船二十隻と精鋭五百人を与え、文聘に巡船三十隻で帰り道を迎えさせる。 演義 第48回 §23–25

翌日、焦触と張南は哨船二十隻を率いて江南へ進むが、演義は二人が一時の勇気だけを頼みに小舟を飛ぶように漕いで来たとする。誰が先に出るかという周瑜の問いに韓当と周泰が進み出て、それぞれ哨船五隻を率いて出る。先に着いた焦触は兵に韓当の船へ矢を射させたのち長槍で渡り合うが、韓当の槍の一突きで刺し殺される。後に続いた張南は周泰に斬られる。 演義 第48回 §26–29

演義と異なる点

幽州刺史を称した者:演義第33回で、袁氏に背いて曹操に付こうと血盟し、従わない韓珩を好きにさせるのは幽州刺史の烏桓触である。正史では焦触が自ら幽州刺史と称して盟約を主導し、韓珩の志を遂げさせようと言う。 演義 第33回 §23–24正史 魏書 巻6 §68–69

袁熙・袁尚を攻めた経緯:演義第33回で焦触はすでに曹操に降った将であり、郭嘉の計に従って三路から幽州を攻めに向かい、袁熙と袁尚は曹操軍が着く前に逃げる。正史では袁熙の大将である焦触と張南が背いて袁熙と袁尚を攻め、その後その県を挙げて降り、列侯に封じられた。 演義 第33回 §22–23正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68

長坂:演義第41回で焦触は張南とともに趙雲の前を遮る。正史の焦触の記録には長坂の戦いがない。 演義 第41回 §60正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68–69

死:演義第48回で焦触は張南とともに小舟を率いて江南の水寨へ向かい、韓当の槍に突かれて死ぬ。正史は列侯に封じられた後の焦触の事績と死を記していない。 演義 第48回 §28正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68–69

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率5040−10
  • 武力4035−5
  • 知力4025−15
  • 政治4031−9
  • 魅力5035−15
  • 徳3538+3
  • 処世6235−27
  • 文芸3131±0
  • 弁舌4238−4
  • 用人3831−7
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

処世正62演35 −27

正袁氏の崩壊に際し県を挙げて降り、列侯に封じられた魏書 巻1 §88魏書 巻6 §68

演勝てなければ軍法を受けると言って自ら出陣を願い出た第48回 §24

魅力正50演35推定 −15

正諸郡の太守・県令を駆り立てて袁氏に背かせた魏書 巻6 §68

演直接の記録なし — 袁熙の部将としての経歴から推定第33回 §19

近い項目 6件 — 根拠を見る
  • 武力正40推定演35 −5

    正直接の記録なし — 袁熙の大将としての経歴から推定魏書 巻1 §88

    演韓当と渡り合い、槍の一突きで刺し殺された第48回 §28第41回 §60

  • 政治正40推定演31推定 −9

    正直接の記録なし — 幽州刺史を自称した事績から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 武将としての経歴から推定第33回 §22

  • 徳正35演38推定 +3

    正主君袁熙に背いたが、拒んだ韓珩の志は受け入れた魏書 巻6 §68魏書 巻6 §69

    演直接の記録なし — 袁氏の降将として曹操に用いられた事績から推定第33回 §19

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての経歴から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 武将としての経歴から推定第48回 §23

  • 弁舌・外交正42演38推定 −4

    正盟約の席で大義を立てるべきだと述べた魏書 巻6 §69

    演直接の記録なし — 曹操に出陣を願い出た記録から推定第48回 §25

  • 識人・用人正38推定演31推定 −7

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §69

    演直接の記録なし — 事績から推定第33回 §22

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(3回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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