劉磐
人物紹介
劉磐は荊州牧劉表の甥である。正史に独立した伝はなく、黄忠の条(蜀書巻6関張馬黄趙伝)に1度、太史慈の条(呉書巻4劉繇太史慈士燮伝)に2度現れ、その字と出身、官職と死は記されていない。 正史 蜀書 巻6 §35正史 呉書 巻4 §31 · 33
劉表は中郎将黄忠とともに彼に長沙郡攸県を守らせた。劉磐は驍勇で、たびたび艾県・西安県などの諸県を荒らしたが、孫策が太史慈を建昌都尉として諸将を監督して防がせると、姿を消して二度と荒らさなかった。孫権が政務を統べるようになってからも、劉磐を抑えられるとして太史慈に南方の事を任せた。 正史 蜀書 巻6 §35正史 呉書 巻4 §31 · 33
陳寿は巻6と巻4の評で彼に触れていない。演義には第53回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。諸葛亮が黄忠を紹介して劉表の甥劉磐とともに長沙を守ったと語り、長沙を得たのち、黄忠の推挙により、攸県で閑居していた彼を劉備が呼び寄せて長沙郡を治めさせる。 正史 蜀書 巻6 §44正史 呉書 巻4 §51演義 第53回 §6 · 26
正史の記録
黄忠伝によれば、荊州牧劉表は南陽の人黄忠を中郎将とし、劉表の甥劉磐とともに長沙郡攸県を守らせた。曹操が荊州を平定すると、黄忠は仮に裨将軍の職務を執り、旧任のまま長沙太守韓玄に属し、劉備が南方の諸郡を平定すると身を委ねて臣下となった。黄忠伝はその間に劉磐がどうなったかを記していない。 正史 蜀書 巻6 §35
太史慈伝によれば、太史慈は孫策に捕らえられたのち解き放たれて門下督となり、呉に戻ると兵を授けられて折衝中郎将に任じられた。太史慈伝は続けて、劉表の甥劉磐が驍勇で、たびたび艾県や西安県などの諸県を荒らしたと記す。そこで孫策は海昏と建昌の周囲の6県を分け、太史慈を建昌都尉として海昏に治所を置かせ、あわせて諸将を監督して劉磐を防がせた。劉磐は姿を消し、二度と荒らさなかった。 正史 呉書 巻4 §29–31
孫権が政務を統べるようになると、太史慈が劉磐を抑えることができたので、ついに彼に南方の事を任せた。太史慈は建安11年(206)、41歳で死去した。 正史 呉書 巻4 §33
陳寿の本文で劉磐が現れるのはこの3か所だけである。その字と出身、官職、その後のことと死は記されていない。陳寿は巻6の評で黄忠と趙雲を、巻4の評で太史慈を論じたが、劉磐には触れていない。 正史 蜀書 巻6 §35 · 44正史 呉書 巻4 §31 · 33 · 51
演義の描写
演義第53回で、趙雲が桂陽を、張飛が武陵を得ると、関羽はまだ得ていない長沙を自分が取りたいと願い出て、やって来て劉備と諸葛亮に会う。諸葛亮は、長沙太守韓玄は取るに足らないが、彼には大将黄忠がいると言い、黄忠は劉表配下の中郎将として劉表の甥劉磐とともに長沙を守り、のちに韓玄に仕えたこと、年は六十近いが万夫不当の勇があることを語る。 演義 第53回 §5–6
関羽は校刀手500人だけを率いて長沙へ行き、黄忠と三日にわたって戦う。韓玄が黄忠を内通したとして斬ろうとすると、魏延が黄忠を救い、韓玄を斬って関羽に降り、劉備が自ら黄忠の家へ行って招くと、黄忠はようやく出てきて降る。 演義 第53回 §7 · 11–20 · 23
諸葛亮は魏延を斬ろうとするが、劉備に止められて生かしておく。続いて黄忠が劉表の甥劉磐を推挙するが、彼はこのとき攸県で閑居していた。劉備は彼を呼び寄せて長沙郡を治めさせ、四郡がすべて平定されると軍を収めて荊州へ戻る。劉磐はこの回の後には登場しない。 演義 第53回 §25–27
演義と異なる点
荊州平定後の劉磐:演義第53回で、劉磐は黄忠が推挙したとき攸県で閑居していた。正史の黄忠伝は劉磐が黄忠とともに長沙郡攸県を守ったとだけ記し、曹操が荊州を平定したのち劉磐がどうなったかは記さない。 演義 第53回 §26正史 蜀書 巻6 §35
長沙郡を任された人物:演義第53回では、黄忠の推挙により劉備が劉磐を呼び寄せて長沙郡を任せる。正史の黄忠伝にはこの推挙はなく、先主伝は長沙太守韓玄が降ったと記すのみで、劉磐は登場しない。廖立伝は、劉備が荊州牧を兼ねたのち、30歳にならない廖立を長沙太守に抜擢したと記す。 演義 第53回 §26正史 蜀書 巻6 §35正史 蜀書 巻2 §24正史 蜀書 巻10 §33
太史慈との対峙:正史の太史慈伝で、劉磐は艾県・西安県などをたびたび荒らしたが、孫策が建昌都尉とした太史慈に防がれて姿を消し、孫権も劉磐を抑えられるとして太史慈に南方の事を任せた。演義の劉磐は第53回に諸葛亮の言葉と黄忠の推挙の中に現れるだけで、この件は演義にない。 正史 呉書 巻4 §31 · 33演義 第53回 §6 · 26
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率5545−10
- 武力6845−23
- 知力3838±0
- 政治3350+17
- 魅力3842+4
- 徳4042+2
- 処世4042+2
- 文芸3133+2
- 弁舌3133+2
- 用人3333±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 7件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →