後主敬哀皇后

正史演義 蜀 Empress Jing'ai (Houzhu)후주경애황후敬哀皇后后主敬哀皇后

プロフィール
職業正演后妃 · 皇后所属蜀
登場正演収録蜀書
出生正? 推定出身地涿郡 推定
死去正237年 推定死去地
実在実在言及正6回
特記事項정사 참고: 이름(諱) 미기록 — 정사 표제(시호·배우자 호칭)로 표기. 장씨(張飛의 장녀) — 동성 후비가 있어 약칭(張皇后)은 구분 불가 — 매칭 제외 (正史)

人物紹介

敬哀皇后は後主の皇后で、車騎将軍張飛の長女である。章武元年(221)に太子妃として迎えられ、建興元年(223)に皇后に立てられた。建興15年(237)に崩じ、南陵に葬られた。 正史 蜀書 巻4 §13

陳寿の本文は彼女の名・字・年齢、その他の事績を記していない。建興15年に妹が入宮して貴人となり、延熙元年(238)に皇后となった。また太子劉璿の母王貴人は、もとは敬哀皇后の侍女であった。 正史 蜀書 巻4 §13 · 15 · 24

巻4二主妃子伝の評は、夫婦があってのち父子があるという『易』の言葉を引いて、これを記録して一国の体制を究めようとすると述べただけで、彼女を別に評してはいない。演義では120回のうち第85回の1回だけに名が記されないまま登場し、回目に入った回はない。第85回で、後主がまだ皇后を立てていなかったとき、諸葛亮が群臣とともに、故車騎将軍張飛の娘はたいへん賢く年は17歳であるから正宮皇后に迎えるべきだと上奏すると、後主はすぐに彼女を迎える。 正史 蜀書 巻4 §27演義 第85回 §34

正史の記録

敬哀皇后は車騎将軍張飛の長女である。章武元年(221)に迎えられて太子妃となった。この年5月、先主は子の後主を皇太子に立て、6月に車騎将軍張飛が左右の側近に殺害された。 正史 蜀書 巻4 §13正史 蜀書 巻2 §68

建興元年(223)に皇后に立てられた。後主伝も、この年に張氏を皇后に立てたと記す。 正史 蜀書 巻4 §13正史 蜀書 巻3 §4

建興15年(237)に崩じ、南陵に葬られた。後主伝は、15年夏6月に皇后張氏が薨じたと記す。 正史 蜀書 巻4 §13正史 蜀書 巻3 §18

同じ巻に載る張皇后は、前の皇后である敬哀皇后の妹である。妹は建興15年に入宮して貴人となり、延熙元年(238)春正月、後主は策文を下して行丞相事・左将軍向朗に節を持たせて璽綬を授けさせ、彼女を皇后とした。 正史 蜀書 巻4 §15

太子劉璿の伝は、その母の王貴人がもとは敬哀張皇后の侍女であったと記す。劉璿は延熙元年正月に皇太子となった。 正史 蜀書 巻4 §24

陳寿の本文は敬哀皇后の名・字・年齢、その他の事績を記していない。巻4の評は、『易』に夫婦があってのち父子があるというのを引いて、これが人倫の始まりであるとし、それゆえこれを記録して一国の体制を究めようとすると述べた。 正史 蜀書 巻4 §12–13 · 27

演義の描写

演義第85回で、太子劉禅が帝位に即いて建興と改元し、先主を恵陵に葬る。後主は即位してから、朝廷の人材登用や銭糧、訴訟などの事をすべて諸葛丞相の裁決に任せる。このとき後主はまだ皇后を立てておらず、孔明が群臣とともに「故車騎将軍張飛の娘はたいへん賢く、年は十七歳でありますから、正宮皇后にお迎えになるべきです」と上奏すると、後主はすぐに彼女を迎える。演義は彼女の名を記さず、この後再び登場させない。 演義 第85回 §29 · 34

演義と異なる点

皇后となった経緯:演義第85回は、後主が即位したのちまだ皇后を立てていなかったときに彼女を正宮皇后として迎えたように描き、彼女がそれ以前に太子妃であったことは出てこない。陳寿の本文は、章武元年(221)に彼女を迎えて太子妃とし、建興元年(223)に皇后に立てたと記す。 演義 第85回 §34演義 第80回 §42正史 蜀書 巻4 §13

推挙と年齢:演義第85回では、孔明が群臣とともに、彼女がたいへん賢く年は17歳であるとして皇后に迎えるよう上奏する。陳寿の本文は、誰が彼女を迎えるよう願い出たかを記さず、彼女の年齢や人柄も記さない。 演義 第85回 §34正史 蜀書 巻4 §13

張飛の娘:演義は彼女を「故車騎将軍張飛の娘」とだけ呼ぶ。陳寿の本文は、彼女が車騎将軍張飛の長女であると記す。 演義 第85回 §34正史 蜀書 巻4 §13

死と妹:演義は第85回以後彼女を再び登場させないため、彼女の死と妹が皇后となったことを描かない。陳寿の本文は、彼女が建興15年(237)に崩じて南陵に葬られ、妹がその年に入宮して貴人となり、延熙元年(238)に皇后となったと記す。 演義 第85回 §34正史 蜀書 巻4 §13 · 15

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力3538+3
  • 政治3333±0
  • 魅力4042+2
  • 徳4558+13
  • 処世3838±0
  • 文芸3535±0
  • 弁舌3333±0
  • 用人3333±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

徳正45推定演58 +13

正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

演孔明がたいへん賢いとして皇后に推挙した第85回 §34

近い項目 9件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 知力正35推定演38推定 +3

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 政治正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 魅力正40推定演42推定 +2

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 処世正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 文芸・学術正35推定演35推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 弁舌・外交正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

  • 識人・用人正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 張飛の長女で、太子妃を経て皇后となったことから推定蜀書 巻4 §13

    演直接の記録なし — 張飛の娘として皇后となった記録から推定第85回 §34

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 蜀 · 正史 · 正史 巻34 「章武元年,納為太子妃」