孫拠 孫據
人物紹介
孫拠は呉の大将軍孫綝の弟である。孫亮が自ら政務を執って詰問することが多くなると、孫綝は建業に戻って病と称して朝廷に出なくなったが、このとき威遠将軍孫拠を蒼龍門に入れて宿衛させた。 正史 呉書 巻19 §87
孫綝が孫亮を廃して孫休を迎え立てたのち、孫拠は右将軍となって県侯に封じられた。孫綝の一門から5人が諸侯となり、みな禁軍を率いた。永安元年12月(西暦259年初め)、孫休は孫綝を斬って三族を滅ぼしたが、陳寿は孫拠の最期を別に記していない。 正史 呉書 巻19 §88–90 · 96 · 99–101
陳寿は彼の伝を立てず、巻19の評で孫峻と孫綝を凶悪な小人で驕りに満ち、もとより論ずるに値しない者たちだとした。演義には第113回にだけ登場し、全120回のうち1回に登場する。回目に名が入った回はない。孫綝が蒼龍門に入れて宿衛させた弟、威遠将軍として名が見える。 正史 呉書 巻19 §109演義 第113回 §4
正史の記録
孫拠は呉書巻19諸葛滕二孫濮陽伝に収められた孫綝の記事に登場する。兄の孫綝は字を子通といい、孫峻と祖父を同じくし、父の孫綽は安民都尉であった。孫峻が死ぬと、孫綝は侍中・武衛将軍として中外諸軍事を領して朝政を担い、のちに大将軍に昇って永寧侯に封じられた。 正史 呉書 巻19 §79 · 83
魏の大将軍諸葛誕が寿春を挙げて反乱すると、孫綝は兵卒を大いに徴発して鑊里に駐屯し、朱異に魏を攻めさせた。朱異が敗れ続け、3万の兵で死戦せよという命令に従わなかったので、孫綝は鑊里で彼を斬ったが、ちょうど諸葛誕が敗れたので軍を率いて帰った。陳寿は、孫綝が諸葛誕を救い出せず、兵と衆を失い、自ら名将を殺したので、恨まない者はいなかったと記した。 正史 呉書 巻19 §84–86
孫亮が初めて自ら政務を執って詰問することが多くなると、孫綝はひどく恐れた。建業に戻ると病と称して朝廷に出ず、朱雀橋の南に邸宅を築いた。そして弟の威遠将軍孫拠を蒼龍門に入れて宿衛させ、弟の武衛将軍孫恩、偏将軍孫幹、長水校尉孫闓を諸営に分けて駐屯させ、朝政をほしいままにして自らの地位を固めようとした。 正史 呉書 巻19 §87
孫亮は公主孫魯班、太常全尚、将軍劉丞と孫綝を殺すことを謀ったが、孫綝の従姉の娘である孫亮の妃がその謀を孫綝に知らせた。太平3年(258)9月戊午の日、孫綝は衆を率いて夜に全尚を襲い、弟の孫恩を遣わして蒼龍門の外で劉丞を殺させたのち宮殿を包囲し、孫亮を廃して会稽王とした。続いて典軍施正の勧めに従い、琅邪王孫休を召して立てた。陳寿の本文は、このとき孫拠が何をしたかを記していない。 正史 呉書 巻19 §88 · 90正史 呉書 巻3 §18
孫休は即位すると詔を下し、大将軍孫綝を丞相・荊州牧とした。孫恩は御史大夫・衛将軍、孫拠は右将軍となり、ともに県侯となった。孫幹は雑号将軍・亭侯となり、孫闓も亭侯に封じられた。陳寿は、孫綝の一門から5人が諸侯となってみな禁軍を率い、その権勢は君主を凌ぎ、呉の朝臣としてはかつてなかったことであったと記した。 正史 呉書 巻19 §95–96
巻3の三嗣主伝は、この詔を永安元年(258)冬10月壬午の日のこととして記す。ところが、威遠将軍を右将軍・県侯とするという箇所で、名の字が「據」ではなく「授」となっている。 正史 呉書 巻3 §24
孫綝が牛肉と酒を奉じて訪ねたが孫休が受け取らなかったので、孫綝は左将軍張布のもとへ行って恨み言を言い、張布がこれを孫休に知らせた。孫綝が武昌に出て駐屯することを願い出たのち、孫休がひそかに尋ねると、張布は丁奉とともに宴会で孫綝を殺すことを謀った。永安元年12月戊辰の日(西暦259年初め)の臘祭の宴で、丁奉と張布が左右に目配せして孫綝を縛らせ、孫休は彼を斬った。孫綝とともに謀った者はみな赦すと告げると武器を捨てた者は5千人に上り、船に乗って北へ行き降伏しようとした孫闓は追って殺し、三族を滅ぼした。陳寿の本文には、このとき孫拠がどうなったかは別に記されていない。 正史 呉書 巻19 §97–101
孫休は孫峻・孫綝と同族であることを恥じ、彼らを宗室の籍から除いて「故峻」「故綝」と呼んだという。また、諸葛恪・滕胤・呂拠はおそらく罪なくして孫峻・孫綝兄弟に害されたのであり、心が痛むとして、みな改葬して祭祀を行わせた。 正史 呉書 巻19 §102
陳寿は巻19の評で、孫峻と孫綝は凶悪な小人で驕りに満ち、もとより論ずるに値しない者たちだと述べた。評は孫拠を別に論じていない。 正史 呉書 巻19 §109
演義の描写
演義第113回で、東呉の大将軍孫綝は魏に降った将たちの家族をことごとく斬り、16歳の呉主孫亮はこれを快く思わない。孫亮は蜜の中の鼠の糞から黄門の罪を見抜くほど聡明であったが、孫綝に抑えつけられて自ら決めることができない。孫綝は弟の威遠将軍孫拠を蒼龍門に入れて宿衛させ、武衛将軍孫恩、偏将軍孫幹、長水校尉孫闓に諸営に分かれて駐屯させる。 演義 第113回 §2–4
孫亮が国舅全紀に密詔を与えて将軍劉丞とともに孫綝を殺させようとすると、孫綝の姉妹である全尚の妻がひそかに人をやって孫綝に知らせる。孫綝はその夜、弟4人を呼んで精兵を点呼し、まず宮殿を包囲して、全尚と劉丞らを殺したのち、孫亮を廃して会稽王とする。演義はこの場面で弟たちの名を挙げない。 演義 第113回 §5–8 · 10
孫綝は琅邪王孫休を迎えて君主に立て、孫休は年号を永安元年と改めたのち、孫綝を丞相・荊州牧に封じる。孫綝の一門から5人の侯が出てみな禁軍を掌り、権勢が君主を凌いだので、孫休は表では恩寵を示しながら、内心では彼を警戒する。 演義 第113回 §12–14
冬12月、孫休は丁奉の計略どおり、臘日の宴を口実に孫綝を呼ぶ。家人が止めると、孫綝は兄弟でともに禁軍を掌握しているのだから誰が近づけようかと言って宴に赴くが、左将軍張布が率いる武士に捕らえられ、孫休の命により張布が彼を斬る。丁奉・魏邈・施朔らが孫綝の兄弟を捕らえてくると、孫休は市でことごとく斬らせ、その三族を滅ぼす。演義で孫拠の名が見えるのは第113回の一場面だけである。 演義 第113回 §15 · 17–21
演義と異なる点
宮殿の包囲:演義第113回では、孫綝はその夜、弟4人を呼んで精兵を点呼し、宮殿を包囲する。正史の孫綝伝は、孫綝が衆を率いて夜に全尚を襲い、弟の孫恩を遣わして蒼龍門の外で劉丞を殺させたのち宮殿を包囲したと記すだけで、孫拠のしたことは出てこない。 演義 第113回 §7正史 呉書 巻19 §88
官職:演義では孫拠は威遠将軍としてのみ登場し、孫綝の一門から5人の侯が出たという言葉があるだけである。正史では、孫休の即位後、威遠将軍から右将軍となり、県侯に封じられた。 演義 第113回 §4 · 14正史 呉書 巻19 §87 · 96
孫綝が宴に赴いた理由:演義第113回では、家人が止めると孫綝は、兄弟でともに禁軍を掌握しているのだから誰が近づけようかと言って宴に赴く。正史では、孫休が使者を十数回も遣わすと、国家からたびたび命があったのだから辞退できないと言い、あらかじめ兵を整えて邸内に火を放たせれば早く戻れるだろうと言って入朝する。 演義 第113回 §18–19正史 呉書 巻19 §99–100
孫綝の兄弟の最期:演義第113回では、孫綝が斬られたのち丁奉らが孫綝の兄弟を捕らえてきて、孫休は市でことごとく斬らせる。正史の孫綝伝は、孫綝とともに謀った者を赦し、北へ逃れようとして追われ殺された孫闓だけを名指しし、ほかは三族を滅ぼしたとだけ記す。 演義 第113回 §21正史 呉書 巻19 §100–101
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4845−3
- 武力4040±0
- 知力3838±0
- 政治3333±0
- 魅力3535±0
- 徳3838±0
- 処世4240−2
- 文芸3333±0
- 弁舌3333±0
- 用人3333±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正威遠将軍として蒼龍門を宿衛し、のちに右将軍として禁軍を率いた呉書 巻19 §87呉書 巻19 §96
演威遠将軍として蒼龍門に入り宿衛した第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正兄孫綝の朝政専断のために蒼龍門の宿衛を担った呉書 巻19 §87
演孫亮を抑えつけた兄孫綝の宿衛を担った第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定呉書 巻19 §87
演直接の記録なし — 孫綝一族の将軍としての役割から推定第113回 §4
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。