張遵
人物紹介
張遵は蜀の尚書で、張飛の長男張苞の子である。正史には独立した伝がなく、張飛の伝の末尾に「張苞の子張遵は尚書となったが、諸葛瞻に従って綿竹で鄧艾と戦って死んだ」という一文で登場する。後主伝は、鄧艾が諸葛瞻を綿竹で破ったことを景耀6年(263)冬に記す。 正史 蜀書 巻6 §23正史 蜀書 巻3 §43
鄧艾の伝は、この戦いで鄧忠と師纂が再び戦って大いに破り、諸葛瞻と尚書張遵らの首を斬ったと記す。陳寿の本文は彼の字・生年、尚書となった時期を記さない。 正史 魏書 巻28 §72正史 蜀書 巻6 §23
演義には第117回にのみ登場し、全120回のうち1回だけで、名が回目に入った回はない。演義は彼を、回目「諸葛瞻 綿竹に戦死す」のその戦いで諸葛尚とともに綿竹城を守る尚書として描き、諸葛瞻父子が死んだのち、黄崇・李球とともに打って出て戦死する。 演義 第117回 §43–44 · 47
正史の記録
張遵は正史に独立した伝がなく、蜀書巻6に収められた張飛の伝の末尾に登場する。張飛の死後、桓侯と追諡され、長男の張苞は早世したので次男の張紹が跡を継ぎ、官は侍中・尚書僕射に至った。陳寿は続けて「張苞の子張遵は尚書となったが、諸葛瞻に従って綿竹で鄧艾と戦って死んだ」と記した。 正史 蜀書 巻6 §23
後主伝によれば、景耀6年(263)夏、魏は征西将軍鄧艾・鎮西将軍鍾会・雍州刺史諸葛緒に命じて数道から並んで蜀を攻めさせ、その冬、鄧艾が衛将軍諸葛瞻を綿竹で破った。諸葛亮伝に収められた諸葛瞻の記録は、鄧艾が陰平から景谷道を経て間道から入ってくると、諸葛瞻は諸軍を率いて涪県に至って留まり、先鋒が破られると退いて綿竹に留まったと記す。諸葛瞻は、降伏すれば上表して琅邪王としようという鄧艾の書簡に怒ってその使者を斬り、ついに戦ったが大敗し、陣中で死んだ。 正史 蜀書 巻3 §43正史 蜀書 巻5 §60–61
鄧艾伝によれば、鄧艾は子の恵唐亭侯鄧忠らをその右に、司馬の師纂らをその左に出した。鄧忠と師纂が戦いに利あらずともに退き戻って、賊は撃てないと言うと、鄧艾は存亡の分かれ目はこの一挙にあると怒り、二人を叱りつけて斬ろうとした。鄧忠と師纂は馬を馳せて引き返し、再び戦って大いに破り、諸葛瞻と尚書張遵らの首を斬った。鄧艾は軍を進めて雒県に至り、劉禅は使者を遣わして降伏を願い出た。陳寿の本文は張遵の字・生年、尚書となった時期を記さない。 正史 魏書 巻28 §72正史 蜀書 巻6 §23
演義の描写
演義第117回で、鄧艾がその年の10月に陰平から兵を出して蜀に入ると、諸葛瞻は後主に別れを告げて成都を発ち、魏軍を迎え撃ちに出て、長男の諸葛尚を先鋒とする。綿竹の近くで諸葛瞻は孔明の木の遺像を車に載せて師纂と鄧忠を驚かせて逃げさせ、再び戦いに来た二人も退けて魏軍を大いに破る。 演義 第117回 §13 · 30 · 33–37
鄧艾が書簡を送り、帰順すれば上表して琅邪王にしようと誘うと、諸葛瞻は書簡を引き裂いて使者を斬る。しかし鄧艾が自ら兵を率いてやって来ると、打って出たものの両側から湧き出た伏兵に大敗して綿竹に退き入り、魏軍は綿竹を鉄桶のように包囲する。諸葛瞻は彭和に書簡を持たせて包囲を突破させ、東呉に救援を求めさせる。 演義 第117回 §38–41
援軍が来ないので、諸葛瞻は長く守るのは良策ではないと言い、子の諸葛尚と尚書張遵を残して城を守らせ、自ら三軍を率いて三つの城門を大きく開いて打って出る。四方から押し寄せた魏軍に囲まれた諸葛瞻は、矢を受けて落馬すると剣を抜いて自ら首をはねて死ぬ。城の上でこれを見た諸葛尚が鎧を着けて馬に乗ると、張遵は「小将軍、軽々しく出てはなりません」と諫める。諸葛尚は、祖父と父と自分の三代が国の厚恩を受けてきたのに、父が敵に殺された今、生きて何になろうかと言って打って出て、陣中で死ぬ。 演義 第117回 §43–45
鄧艾はその忠義を哀れんで諸葛瞻父子を合葬し、隙に乗じて綿竹を攻める。張遵・黄崇・李球の三人がそれぞれ一隊の兵を率いて打って出るが、蜀兵は少なく魏兵は多く、三人もみな戦死し、鄧艾はこうして綿竹を得て成都を取りに向かう。演義で張遵の名が見えるのは、第117回のこの場面だけである。 演義 第117回 §46–47
演義と異なる点
家系:正史の張飛伝は、張遵を張飛の長男張苞の子と記す。演義第117回は彼を「尚書張遵」と呼ぶだけで、張飛・張苞との関係を明らかにしない。 正史 蜀書 巻6 §23演義 第117回 §43 · 47
務め:演義では、諸葛瞻が打って出るとき、張遵は諸葛尚とともに残って綿竹城を守る。正史の張飛伝は彼が諸葛瞻に従って綿竹で鄧艾と戦って死んだと記し、鄧艾伝は鄧忠と師纂が諸葛瞻と尚書張遵らの首をともに斬ったと記す。張遵が城を守ったという記述はない。 演義 第117回 §43正史 蜀書 巻6 §23正史 魏書 巻28 §72
死の順序:演義では、まず諸葛瞻が自ら首をはねて死に、諸葛尚が戦死したのち、鄧艾が綿竹を攻めると張遵が黄崇・李球とともに打って出て死ぬ。正史の鄧艾伝は、鄧忠と師纂が再び戦って大いに破り、諸葛瞻と張遵らの首を斬ったと一度に記す。 演義 第117回 §44–47正史 魏書 巻28 §72
諸葛尚を止めたこと:演義第117回で張遵は、父の死を見て出撃しようとする諸葛尚に、軽々しく出てはならないと諫める。正史にこの言葉はなく、諸葛瞻の記録は長男の諸葛尚も諸葛瞻とともに死んだとだけ記す。 演義 第117回 §44正史 蜀書 巻5 §61
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4242±0
- 武力4042+2
- 知力4050+10
- 政治4845−3
- 魅力4040±0
- 徳6265+3
- 処世4042+2
- 文芸4040±0
- 弁舌3840+2
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 9件 — 根拠を見る
正諸葛瞻に従い、綿竹で鄧艾と戦って死んだ蜀書 巻6 §23魏書 巻28 §72
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。