荀爽
人物紹介
荀爽は潁川の人で、荀彧の叔父である。正史には独立した伝がなく、荀彧の伝の冒頭と許靖の伝に一度ずつ登場する。 正史 魏書 巻10 §2正史 蜀書 巻8 §3
霊帝が崩御して董卓が政権を握ったとき、天下の士の登用と罷免を行った周毖と許靖が、彼を韓融・陳紀らとともに抜擢して公・卿・郡守とした。荀彧の伝は彼を司空と記した。 正史 蜀書 巻8 §2–3正史 魏書 巻10 §2
演義には第6回に司徒として登場し、全120回のうち1回に登場し、名が回目に載る回はない。董卓が長安遷都を持ち出すと、楊彪・黄琬に続いて民が騒ぎ乱れると諫め、その日のうちに二人とともに罷免されて庶民となる。 演義 第6回 §5–7
正史の記録
荀爽は荀彧の叔父である。荀彧の祖父荀淑は字を季和といい、朗陵令を務め、漢の順帝・桓帝の間に当代に名を知られた。荀淑には8人の息子がいて、人々は彼らを八龍と呼んだ。荀彧の父荀緄は済南相であり、叔父荀爽は司空であった。 正史 魏書 巻10 §2
霊帝が崩御して董卓が政権を握ると、漢陽の人周毖を吏部尚書とした。周毖は許靖とともに謀って天下の士の登用と罷免を行い、潁川の荀爽・韓融・陳紀らを抜擢して公・卿・郡守とした。しかしともに任用された韓馥らは官に就くと、それぞれ兵を挙げて都に向かい董卓を誅しようとし、董卓は怒って周毖を叱りつけて退出させ、外で斬った。 正史 蜀書 巻8 §2–4
陳寿の本文は、荀爽が司空に至ったこと以外、その生涯と死を記していない。 正史 魏書 巻10 §2正史 蜀書 巻8 §3
演義の描写
演義第6回で、董卓は呂布を連れて夜を徹して洛陽に戻り、朝堂に文武の官を集めて、漢が洛陽に都して二百余年、気数はすでに衰えたので長安に移すと言う。司徒楊彪は、関中は荒れ果てて衰えており、宗廟と皇陵を捨てれば民が驚き動揺するといさめ、太尉黄琬も楊司徒の言うとおりであり、かつて長安は焼かれて瓦礫の地となったと言う。董卓は、長安には崤山と函谷関の険があり、隴右に近いので宮殿の造営に一月もかからないと言い、二度とみだりに騒ぐなと言う。 演義 第6回 §5–7
このとき司徒荀爽が「丞相が遷都なさろうとすれば、民は騒ぎ乱れて安らかではありますまい」と諫める。董卓は大いに怒り、自分は天下のために計っているのに、どうしてつまらぬ民を惜しむことがあろうかと言い、その日のうちに楊彪・黄琬・荀爽を罷免して庶民とする。続いて遷都を諫めに来た尚書周毖と城門校尉伍瓊は、初めは二人の言葉を聞いて袁紹を推挙し用いたのに袁紹が謀反したとして、都の門の外で首を斬られる。演義で荀爽はこの回にしか登場しない。 演義 第6回 §7–8
演義と異なる点
官職:演義第6回で荀爽は司徒として登場し、同じ場面の楊彪も司徒と呼ばれる。正史では、荀彧の伝が荀爽を司空と記した。 演義 第6回 §5 · 7正史 魏書 巻10 §2
遷都を諫めたこと:演義第6回で荀爽は長安遷都を諫めて、楊彪・黄琬とともに罷免され庶民となる。陳寿の本文は董卓の伝で、初平元年(190)2月に天子を長安に移し洛陽の宮殿を焼いたと記すだけで、荀爽が諫めたことや罷免されたことは記していない。 演義 第6回 §7正史 魏書 巻6 §11正史 魏書 巻10 §2正史 蜀書 巻8 §3
登用:正史で荀爽は、董卓が政権を握ったのち周毖と許靖が天下の士を登用したとき、韓融・陳紀とともに抜擢された人物である(許靖の伝)。演義第6回は、彼がどのようにして司徒となったかを明らかにしない。 演義 第6回 §7正史 蜀書 巻8 §2–3
家柄:正史で荀爽は荀彧の叔父であり、荀彧の祖父荀淑は8人の息子をもち、人々は彼らを八龍と呼んだ。演義第6回は彼の家柄を明らかにしない。 演義 第6回 §7正史 魏書 巻10 §2
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3131±0
- 武力3131±0
- 知力4245+3
- 政治4548+3
- 魅力5040−10
- 徳4562+17
- 処世4040±0
- 文芸5245−7
- 弁舌3840+2
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 8件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。