王双 王雙
人物紹介
王双は魏の将である。建興6年(228)冬、諸葛亮が散関から出て陳倉を包囲したものの兵糧が尽きて退くと、騎兵を率いて追撃したが、諸葛亮に撃破されて斬られた。正史には独立した伝がなく、蜀書巻3の後主伝と巻5の諸葛亮伝にこのことが記されている。 正史 蜀書 巻3 §9正史 蜀書 巻5 §35
後主は翌年、諸葛亮を丞相に戻す詔で「前年には軍の威を輝かせて王双を斬った」と述べた。呉書巻11の朱桓の記録にも、黄武元年(222)の濡須の戦いで捕らえられて武昌に送られた王双が見えるが、陳寿の本文は二人の王双が同一人物かどうかを明らかにしていない。 正史 蜀書 巻5 §35–36正史 呉書 巻11 §51–52
陳寿は評で彼に特に触れていない。演義では第97回に、曹真が推挙する隴西狄道の人で、60斤の大刀と流星錘を使う将として登場し、第98回の回目「漢軍を追いし王双 誅を受く」のとおり魏延に斬られる。同じ名が見える第85回を含め、全120回のうち4回に登場する。 正史 蜀書 巻5 §66–67演義 第97回 §16演義 第98回 §22演義 第85回 §9
正史の記録
呉書巻11の朱桓の記録によれば、黄武元年(222)、魏の大司馬曹仁が歩騎数万を率いて濡須へ向かった。曹仁は子の曹泰に濡須城を攻めさせ、将軍常雕を分遣して諸葛虔・王双らを率いさせ、油船に乗って別に中洲を襲わせた。朱桓の軍は油船を攻め取り、別に常雕らを撃ち、ついに常雕の首を斬ってさらし、王双を生け捕りにして武昌に送った。陳寿の本文は、この王双がのちに諸葛亮に斬られた魏の将と同一人物かどうかを明らかにしていない。 正史 呉書 巻11 §49 · 51–52
建興6年(228)冬、諸葛亮は再び散関から出て陳倉を包囲したが、曹真に阻まれ、兵糧が尽きて帰還した。魏の将軍王双が騎兵を率いて諸葛亮を追撃すると、諸葛亮はこれと戦って撃破し、王双を斬った。後主伝は、魏の将王双が軍を率いて諸葛亮を追うと、諸葛亮が迎え撃って撃破し、彼を斬ったのち漢中に戻ったと記す。 正史 蜀書 巻5 §35正史 蜀書 巻3 §9
翌建興7年(229)、諸葛亮は陳式を派遣して武都と陰平を平定した。後主は詔を下し、街亭の戦いのために自ら等級を下げていた諸葛亮を丞相に戻して、「前年には軍の威を輝かせて王双を斬り、今年は征討に出て郭淮を敗走させ、氐族と羌族を降して集め、二郡を取り戻した」と述べた。 正史 蜀書 巻5 §35–36
陳寿の本文は王双の字・出身・生年を記していない。陳寿は諸葛亮伝の評で、諸葛亮を治を知る良才としながらも、連年軍を動かしながら功を成し得なかったのは、臨機応変の将略が彼の長所ではなかったためであろうと述べただけで、王双については特に触れていない。 正史 蜀書 巻3 §9正史 蜀書 巻5 §35–36 · 66–67
演義の描写
演義第85回で、濡須を守っていた朱桓のもとに、曹仁が大将常雕に諸葛虔・王双とともに精兵5万を率いて濡須城へ急行させたという報告が入る。演義のこの場面の王双は名前だけが現れ、戦いでは常雕が朱桓に斬られる。 演義 第85回 §9 · 12
第97回で諸葛亮が再び上表して陳倉の道口へ出ると、大将軍曹真は、近ごろ得た大将で、60斤の大刀を使い、千里を走る大宛の戦馬に乗り、二石の鉄胎弓を引き、流星錘三つを懐に隠し持つ隴西狄道の人、王双、字は子全を先鋒に推挙する。身の丈九尺、顔は黒く瞳は黄色に描かれ、曹叡は彼を虎威将軍兼前部大先鋒に封じる。 演義 第97回 §15–17
郝昭が守る陳倉を救いに来た王双は、蜀の裨将謝雄を三合もたたぬうちに刀の一振りで斬り割って殺し、追撃して龔起も三合で斬る。張嶷と数合戦ったのち偽って負けたふりをして逃げ、流星錘を投げて張嶷の背に当て、蜀軍に多くの死傷者を出させる。張嶷は、王双が兵2万で陳倉城外に柵と二重の城、深い堀を備えた陣営を築いたと報告し、諸葛亮は姜維の言に従って魏延に陳倉の道口を守らせたのち、祁山へ進む。 演義 第97回 §29 · 31–34
第98回で曹真は郭淮の言に従い、王双に間道を巡回させる。諸葛亮は軍を退くにあたり、陳倉の道筋で王双を食い止めている魏延に密計を送る。魏延が夜に陣を払って漢中へ帰ると、王双は20里余り追いかけたが、後方から城外の陣営に火が出たという叫びを聞いて軍を引き返す。山の斜面の左手で林の中に潜んでいた魏延が躍り出ると、王双は手を下す間もなく魏延の刀の一振りで斬られて馬から落ちる。魏延は騎兵30人を王双の陣営のそばに潜ませておき、火を放たせたのである。 演義 第98回 §6–7 · 18 · 21–22 · 24
陳倉城の郝昭が王双が斬られたと報告すると、曹真は限りなく悲しみ、憂いが病となって洛陽へ帰る。第99回で後主が費禕に持たせて送った詔は、前年に軍の威を輝かせて王双を斬ったとして、諸葛亮を丞相に戻す。 演義 第98回 §25演義 第99回 §16
演義と異なる点
登場と官職:演義第97回で王双は曹真が推挙した隴西狄道の人で、字は子全、曹叡が虎威将軍兼前部大先鋒に封じる。正史では「魏の将軍」「魏の将」としてのみ現れ、字・出身・官職名は記されていない。 演義 第97回 §16–17正史 蜀書 巻5 §35正史 蜀書 巻3 §9
陳倉救援の戦い:演義第97回で王双は陳倉を救いに来て謝雄と龔起を斬り、流星錘で張嶷を打つ。正史の王双の記録は諸葛亮を追撃して斬られたことだけで、この戦いはない。 演義 第97回 §31–32正史 蜀書 巻3 §9正史 蜀書 巻5 §35
追撃の時:演義第98回で王双は、祁山から退く諸葛亮の指示で陳倉の道筋を離れて漢中へ帰る魏延を追う。正史では、諸葛亮が陳倉を包囲したものの曹真に阻まれ、兵糧が尽きて帰還するときに、王双が騎兵を率いて諸葛亮を追撃した。 演義 第98回 §18 · 21正史 蜀書 巻5 §35
誰が斬ったか:演義第98回では、諸葛亮の密計を受けた魏延が陣営に火を放ち、林に潜んで王双を斬る。正史では諸葛亮が王双と戦って撃破し、彼を斬ったとだけ記し、魏延の名は出てこない。 演義 第98回 §22 · 24正史 蜀書 巻5 §35正史 蜀書 巻3 §9
濡須の戦い:演義第85回の王双は、常雕・諸葛虔とともに濡須城へ来たというだけで終わる。正史の呉書巻11の朱桓の記録では、常雕が斬られ、王双は生け捕りにされて武昌に送られた。 演義 第85回 §9 · 12正史 呉書 巻11 §51–52
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3260+28
- 武力4886+38
- 知力3542+7
- 政治3131±0
- 魅力3542+7
- 徳4250+8
- 処世3530−5
- 文芸3131±0
- 弁舌3131±0
- 用人3131±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
正諸葛亮を追撃して撃破された(中洲で捕らえられた王双と同一人物かは原文に明記がない)蜀書 巻3 §9呉書 巻11 §52
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正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。