演義の場面
関張共擒王劉二将 關張共擒王劉二將
事件紹介
「関張共擒王劉二将」は演義第22回の回目「袁曹各起馬歩三軍 関張共擒王劉二将」の後半の場面で、徐州之戦の冒頭、曹操が徐州の劉備を討つために送った王忠と劉岱を関羽と張飛が順に生け捕りにするくだりである。演義は、袁紹を防ぐために黎陽へ進む曹操が、丞相の旗を掲げた二人に兵5万を与えて虚勢を張らせるところから始まる。 演義 第22回 §31–32
陳寿の本文にもこの戦いがある。魏書巻1武帝紀と蜀書巻2先主伝は、車胄を殺して沛に駐屯した劉備を曹操が劉岱と王忠に討たせたが、勝てなかったと記す。 正史 魏書 巻1 §56正史 蜀書 巻2 §16
演義の描写
演義第22回で、二人は徐州から百里離れた所に陣営を構えて河北の様子ばかり探っていたが、曹操の催促にくじを引き、王忠が先に進む。陳登は曹操がここにいないと見抜き、関羽が兵3千を率いて出て、雪の舞う初冬の野で王忠と相対する。関羽は逃げるふりをして引き返し、王忠の鎧の紐をつかんで鞍から引きずり下ろして生け捕りにし、王忠は丞相は実はここにいないと白状する。 演義 第22回 §34–40
劉備が劉岱を殺してしまうのではと案じると、張飛は殺したら自分の命で償うと言って名乗り出る。守りを固める劉岱をおびき出すため、張飛は酔ったふりをして兵卒一人を鞭打ったのち密かに放し、夜に陣営を襲うという話を漏らさせ、劉岱が陣営を空にして伏兵を置くと、三手に分かれてその背後を断ち、一合で劉岱を生け捕りにする。劉備は張飛が計略を使うようになったと喜ぶ。 演義 第22回 §41–46
劉備は劉岱の縄を自らほどき、車胄を殺したのはやむを得ないことだったとして曹操によく取りなしてほしいと頼み、二人を軍馬とともに帰す。道を塞いで怒鳴る張飛を関羽がとどめ、孫乾の言に従って関羽は下邳を、劉備と張飛は小沛を守る。帰った二人が劉備は謀反していないと申し上げると、曹操は怒って二人を斬れと命じる。 演義 第22回 §47–52
演義と異なる点
戦いの結果:演義第22回では関羽と張飛が王忠と劉岱を順に生け捕りにし、劉備は二人を軍馬とともに帰す。正史の武帝紀と先主伝は、曹操が送った劉岱と王忠が劉備を攻めたが勝てなかったとだけ記す。 演義 第22回 §38–48正史 魏書 巻1 §56正史 蜀書 巻2 §16
劉岱とは誰か:演義第22回は劉岱をかつての兗州刺史で、虎牢関で董卓を討った時に一陣営を担った諸侯として描く。正史の武帝紀では、兗州刺史劉岱は初平3年(192)鮑信の制止を聞かずに青州の黄巾と戦って殺された。 演義 第22回 §31 · 41正史 魏書 巻1 §22–23
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