李崇
人物紹介
李崇は呉の中書郎である。正史には独立した伝がなく、呉書巻2呉主伝と巻19諸葛滕二孫濮陽伝の孫綝の条に一度ずつ登場する。両所とも彼を中書郎と呼んでいる。 正史 呉書 巻2 §110正史 呉書 巻19 §89
太元元年(251)5月、輔国将軍・羅陽王の印綬を携えて臨海郡羅陽県の神王表を迎えに遣わされ、7月に王表とともに到着した。太平3年(258)に孫綝が孫亮を廃した際には、孫綝の命で孫亮の璽綬を奪った。 正史 呉書 巻2 §110–111正史 呉書 巻19 §89正史 呉書 巻3 §18
陳寿の本文は彼の字と出身、その後の事績と死を記しておらず、二巻の評にも彼は登場しない。演義では第113回の一回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。孫綝が孫亮を廃する際、中書郎李崇を叱りつけて璽綬を奪わせる場面である。 正史 呉書 巻2 §115正史 呉書 巻19 §108–109演義 第113回 §10
正史の記録
赤烏13年(250)、孫権は子の孫亮を太子に立てたが、この年、神人が書を授けて改元と立后を告げた。翌年の太元元年(251)夏5月、潘夫人を皇后に立て、大赦して改元した。 正史 呉書 巻2 §108–110
これより先、臨海郡羅陽県に自ら王表と称する神がいた。民間を巡り歩き、言葉や飲食は人と変わらなかったが、その姿は見えず、紡績という名の婢が一人いた。この月、中書郎李崇が輔国将軍・羅陽王の印綬を携えて行き、王表を迎えることとなった。 正史 呉書 巻2 §110
王表は李崇に従ってともに出てきたが、李崇および通過する地の郡守・県令・県長と談論すると、李崇らは彼にかなわなかった。通る山川ごとに、王表は婢を遣わしてその地の神と便りを交わさせた。秋7月、李崇と王表が到着すると、孫権は蒼龍門の外に王表のために邸宅を建ててやり、たびたび近臣に酒食を届けさせた。王表が洪水や日照りのような小事を語ると、しばしば的中した。 正史 呉書 巻2 §110–111
孫権は南郊で祭祀を行って帰ると、病の床に伏した。太元2年(252)2月に神鳳と改元し、諸将や官吏がたびたび王表のもとを訪れて福を祈ったが、王表は逃げ去って姿を消した。夏4月、孫権が死去した。呉主伝はこの件で李崇が行ったことをそれ以上記していない。 正史 呉書 巻2 §112–113
孫亮が初めて親政を行い、問いただすことが多くなると、孫綝はひどく恐れ、病と称して朝廷に出なかった。孫綝は参内して諫めたが孫亮は従わず、ついに公主孫魯班、太常全尚、将軍劉丞と孫綝の誅殺を謀った。孫亮の妃がその謀を孫綝に告げると、孫綝は手勢を率いて夜に全尚を襲い、弟の孫恩を遣わして蒼龍門の外で劉丞を殺させたのち、宮殿を包囲した。三嗣主伝はこれを太平3年(258)9月戊午の日のこととして記す。 正史 呉書 巻19 §87–88正史 呉書 巻3 §18
孫綝は光禄勲に宗廟へ告げさせて孫亮を廃し、群臣を召して、意見を異にする者は異議を述べよと言った。皆震え恐れて「ただ将軍の命のままに」と答えた。孫綝は中書郎李崇を遣わして孫亮の璽綬を奪い、孫亮の罪状を遠近に布告した。尚書桓彝が署名しようとしなかったので、孫綝は怒って彼を殺した。孫亮は会稽王に廃され、このとき16歳であった。孫綝は典軍施正の勧めに従い、琅邪王孫休を迎えて立てることにした。 正史 呉書 巻19 §88–90正史 呉書 巻3 §18
陳寿の本文で李崇が登場するのはこの二箇所だけであり、彼の字と出身、その後の事績と死は記されていない。呉主伝の評にも諸葛滕二孫濮陽伝の評にも彼は登場しない。 正史 呉書 巻2 §110–111 · 115正史 呉書 巻19 §89 · 108–109
演義の描写
演義第113回で、呉主孫亮は国舅である黄門侍郎全紀に泣きながら孫綝を除こうと持ちかけ、密詔を書いて与える。しかし全紀の父全尚からこの話を聞いた妻がひそかに孫綝に知らせ、孫綝はその夜のうちに宮中を包囲して全尚と劉丞を捕らえて殺す。孫綝が文武の官を集めて孫亮を廃すると言うと、尚書桓彝が進み出て罵り、孫綝は自ら剣を抜いて彼を斬る。 演義 第113回 §5–9
孫綝はすぐさま奥へ入って孫亮を無道の昏君と罵り、先帝の顔を立てて会稽王に廃すると告げる。そして中書郎李崇を叱りつけて孫亮の璽綬を奪わせ、鄧程に収めさせる。孫亮は大いに泣いて去っていく。演義で李崇が登場するのはこの場面だけである。 演義 第113回 §9–10
演義と異なる点
玉璽を奪う場面:演義第113回では、孫綝が中書郎李崇を叱りつけて璽綬を奪わせ、鄧程に収めさせる。正史諸葛滕二孫濮陽伝の孫綝の条では、孫綝が李崇を遣わして璽綬を奪い、孫亮の罪状を遠近に布告した。鄧程は陳寿の本文には登場しない。 演義 第113回 §10正史 呉書 巻19 §89
桓彝の死との順序:演義第113回では、孫綝が罵り出た桓彝を先に斬ってから孫亮を廃し、その後で李崇が玉璽を奪う。正史では、孫綝が李崇を遣わして璽綬を奪い罪状を布告したのち、尚書桓彝が署名しようとしなかったので、怒って彼を殺した。 演義 第113回 §9–10正史 呉書 巻19 §89
王表を迎えた件:正史呉主伝では、李崇は太元元年(251)に中書郎として羅陽県の神王表を迎えに行き、7月にともに戻ってくる。演義では李崇は第113回にのみ登場し、この件は描かれない。 正史 呉書 巻2 §110–111演義 第113回 §10
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3131±0
- 武力3131±0
- 知力4040±0
- 政治4242±0
- 魅力3838±0
- 徳3835−3
- 処世4242±0
- 文芸3838±0
- 弁舌4235−7
- 用人3533−2
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定呉書 巻2 §110
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正孫綝の命で孫亮の璽綬を奪った呉書 巻19 §89
演孫綝に叱りつけられて孫亮の璽綬を奪った第113回 §10
正直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定呉書 巻2 §110
演直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定第113回 §10
正王表と談論してかなわなかった呉書 巻2 §110
演直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定第113回 §10
正使者として王表を迎えてきたが、談論では押された呉書 巻2 §110呉書 巻2 §111
演直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定第113回 §10
正直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定呉書 巻2 §110
演直接の記録なし — 中書郎としての役割から推定第113回 §10
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →