左豊 左豐
| 職業 | 演その他 · 黄門 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
左豊は演義第1回で盧植の言葉の中に出てくる黄門である。朝廷は張角を包囲していた盧植のもとへ彼を遣わして様子を探らせるが、左豊は盧植に賄賂を求め、兵糧さえ足りず勅使に差し出す金はないとの答えを聞いて恨みを抱く。戻って、盧植は塁を高く築くばかりで戦わず、軍の士気を緩ませていると奏上したため、朝廷は董卓に盧植の軍を代わって率いさせ、盧植を都へ召し捕らせる。 演義 第1回 §43–44
演義120回のうち第1回の1回にのみ名が出て、名が回目に入った回はない。左豊という名は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。陳寿の本文は盧植を、先主(劉備)と公孫瓚が若いころに学んだ師であり、盧毓の父であると記すだけで、彼が張角を討伐する中で捕らえられたことは記していない。 演義 第1回 §43正史 蜀書 巻2 §4正史 魏書 巻8 §2正史 魏書 巻22 §90
演義の描写
演義第1回で、玄徳(劉備)は関羽・張飛とともに潁川に至り、皇甫嵩と朱儁に会って盧植の意向を詳しく伝える。皇甫嵩は、張梁と張宝は力尽きたので必ず広宗へ行って張角を頼るだろうから、夜を日に継いでそちらへ行って助けよと言い、玄徳は兵を率いて再び引き返す。道半ばまで来たとき、一隊の軍勢が檻車を一台護送してくるが、車の中の囚人はほかならぬ盧植である。 演義 第1回 §42–43
大いに驚いて馬から下り、わけを尋ねる玄徳に、盧植は、張角を包囲してまもなく打ち破るところだったが、張角が妖術を使ったためすぐには勝てなかったと語る。そのとき朝廷が黄門左豊を遣わして様子を探らせたところ、左豊が賄賂を求めてきたので、盧植は、兵糧さえ足りないのに、どこに勅使に差し出す金があろうかと答えたという。 演義 第1回 §43
左豊は恨みを抱いて戻り、朝廷に盧植は塁を高く築くばかりで戦わず、軍の士気を緩ませていると奏上した。そのため朝廷は激怒し、中郎将董卓を遣わして盧植の軍を代わって率いさせ、盧植を都へ召し捕って罪を問うことになったというのである。これを聞いた張飛は大いに怒り、護送する兵を斬って盧植を救おうとするが、玄徳は朝廷にもおのずと公正な判断があるとして急いで止め、兵たちは盧植を囲んで去っていく。 演義 第1回 §44
関公は、盧中郎はすでに捕らえられ、ほかの者が兵を率いているのだから、いっそ涿郡へ帰ろうと言い、玄徳は兵を率いて北へ向かう。2日も行かないうちに、張角が董卓を打ち破り、その勢いに乗って追ってくるのを見ると、3人は馬を駆って攻めかかり、張角の軍を50里余りも敗走させる。左豊は盧植の言葉の中に出てくるだけで演義に直接登場せず、その名は第1回のこの2節以降、二度と出てこない。 演義 第1回 §45–46 · 43–44
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力38
- 政治33
- 魅力31
- 徳15
- 処世40
- 文芸35
- 弁舌45
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演盧植に賄賂を求め、恨みから讒言した第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演讒言が朝廷に受け入れられ、盧植が捕らえられた第1回 §44
演直接の記録なし — 黄門の勅使としての記録から推定第1回 §43
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →