荀緯

正史 魏 Xun Wei순위荀纬

プロフィール
職業正文官 · 散騎常侍所属魏
登場正収録魏書
出生正182年 推定出身地河内郡
死去正223年 推定死去地
実在実在言及正5回

人物紹介

荀緯は河内の人である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では、魏書巻21王衛二劉傅伝の王粲の記録の末尾に文采ある人として名が挙がり、巻23和常楊杜趙裴伝の常林の記録と楊俊の記録に一度ずつ見える。 正史 魏書 巻21 §24正史 魏書 巻23 §21 · 32

并州刺史梁習が州内の名士として推挙すると、曹操は彼を県長とした。黄初3年(222)には常侍として、文帝に捕らえられた楊俊のために司馬懿・王象とともに叩頭して血を流しながら嘆願したが、皇帝は許さなかった。 正史 魏書 巻23 §21 · 32

陳寿の本文は彼の字と死を記しておらず、巻21の評でも荀緯を個別に挙げていない。演義には登場しない。 正史 魏書 巻21 §24 · 99

正史の記録

并州刺史高幹が常林を騎都尉にしようとしたが、常林は受けなかった。のちに刺史梁習が州内の名士として常林と楊俊・王淩・王象・荀緯を推挙すると、曹操は彼らをみな県長とした。陳寿の本文は、荀緯がどの県を任されたかを記していない。 正史 魏書 巻23 §21

文帝が五官将であったとき、平原侯曹植とともに文学を好み、王粲は徐幹・陳琳・阮瑀・応瑒・劉楨とともに友として親しく遇された。陳寿はこれらの人々のことを記したのち、このほか潁川の邯鄲淳・繁欽、陳留の路粋、沛国の丁儀・丁廙、弘農の楊脩、河内の荀緯らも文采があったが、この七人の列には入らなかったと述べた。 正史 魏書 巻21 §9 · 24

黄初3年(222)、皇帝の車駕が宛県に至ると、皇帝は市が豊かに栄えていないとして怒り、楊俊を捕らえさせた。尚書僕射の司馬懿と常侍の王象・荀緯が楊俊のために嘆願し、叩頭して血を流したが、皇帝は許さなかった。楊俊は「私は自分の罪を知った」と言い、ついに自殺し、人々はみなその冤罪を痛ましく思った。 正史 魏書 巻23 §32

陳寿の本文で荀緯が出てくるのはこの三箇所だけであり、彼の字と死は記されていない。陳寿は巻21の評で、文帝と陳王のもとに才士がともに現れ、そのうち王粲ら六人が最も名が顕れたと述べただけで、荀緯を個別に挙げてはいない。 正史 魏書 巻21 §24 · 99正史 魏書 巻23 §21 · 32

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率31
  • 武力31
  • 知力42
  • 政治48
  • 魅力45
  • 徳62
  • 処世42
  • 文芸58
  • 弁舌40
  • 用人38
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率正31推定

    正直接の記録なし — 文人であったことから推定魏書 巻23 §21

  • 武力正31推定

    正直接の記録なし — 文人であったことから推定魏書 巻23 §21

  • 知力正42推定

    正直接の記録なし — 文人であったことから推定魏書 巻21 §24

  • 政治正48推定

    正直接の記録なし — 県長・常侍の職から推定魏書 巻23 §21

  • 魅力正45

    正州の名士として推挙され、県長となった魏書 巻23 §21

  • 徳正62

    正楊俊のために叩頭して血を流しながら嘆願した魏書 巻23 §32

  • 処世正42推定

    正直接の記録なし — 常侍の職から推定魏書 巻23 §32

  • 文芸・学術正58

    正文采があったが、七子の列には入らなかった魏書 巻21 §24

  • 弁舌・外交正40

    正楊俊の助命を嘆願したが、皇帝は許さなかった魏書 巻23 §32

  • 識人・用人正38推定

    正直接の記録なし — 文人であったことから推定魏書 巻23 §21

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻23 「王象、荀緯,太祖皆以爲縣長」