許貢
| 職業 | 正演文官 · 呉郡太守 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正演 | 収録 | |
| 死因 | 正殺害 演殺害 推定 | ||
| 実在 | 実在 | 言及 | 正9回 |
人物紹介
許貢は漢末の呉郡の官吏である。正史には独立した伝がなく、許靖伝には呉郡都尉として、朱治伝と孫破虜討逆伝には呉郡太守として名が見える。董卓を避けて流浪していた許靖が、会稽太守王朗とともに彼のもとに身を寄せた。 正史 蜀書 巻8 §4正史 呉書 巻11 §4正史 呉書 巻1 §36
朱治が呉郡に入ろうとすると由拳でこれを阻んだが大敗し、山賊厳白虎に身を寄せた。のちに孫策に殺され、建安5年(200)、孫策は許貢の食客に殺された。 正史 呉書 巻11 §4正史 呉書 巻1 §36–37
演義には第29回の1回にだけ登場し、回目に名は入らない。孫策を項籍になぞらえて都に召し寄せるよう勧める書状をひそかに曹操に送ったことが露見して孫策に絞め殺され、その食客3人が狩りに出た孫策を襲う。 演義 第29回 §2–5
正史の記録
正史の許靖伝によれば、董卓が任じた豫州刺史孔伷らがかえって董卓を討とうと兵を挙げると、許靖は従兄が孔伷とともに謀ったことで誅殺されるのを恐れて孔伷のもとへ逃れた。孔伷が死ぬと許靖は揚州刺史陳禕に身を寄せ、陳禕が死ぬと、呉郡都尉許貢と会稽太守王朗が以前から許靖と旧交があったので、彼らのもとへ行って身を託した。 正史 蜀書 巻8 §3–4
朱治伝によれば、朱治は太傅馬日磾の招きで掾となり、のちに呉郡都尉に転じた。朱治が銭唐から呉へ進もうとすると、呉郡太守許貢が由拳でこれを阻み、朱治はこれと戦って大いに破った。許貢は南へ行って山賊厳白虎に身を寄せ、朱治はついに郡に入って太守の事を領した。朱治伝はこの戦いの年を記していない。 正史 呉書 巻11 §3–4
孫破虜討逆伝は、これより先に孫策が許貢を殺したと記すだけで、その時期と理由は明らかにしていない。許貢の幼い息子は食客たちとともに逃れて川辺に潜んだ。 正史 呉書 巻1 §37
建安5年(200)、曹操が官渡で袁紹と対峙すると、孫策はひそかに許を襲って漢の皇帝を迎えようと、密かに兵を整え諸将を配置した。出発する前、孫策が単騎で出かけたところ、にわかに許貢の食客たちと出くわし、食客たちは孫策を撃って傷を負わせた。傷が重くなると、孫策は張昭らを呼んで弟をよく助けてくれるよう頼み、孫権に印綬を帯びさせて、その夜26歳で死んだ。陳寿は、孫策が元の呉郡太守許貢の食客に殺されたと記した。 正史 呉書 巻1 §36–38
郭嘉伝では、孫策が長江を渡って北の許を襲おうとしていると聞いて人々が皆恐れると、郭嘉は、孫策は軽率で備えがなく、刺客が潜んでいて襲いかかれば一人で相手にできる敵にすぎないから、必ず匹夫の手にかかって死ぬだろうと見通した。孫策は長江に至ってまだ渡らないうちに、はたして許貢の食客に殺された。 正史 魏書 巻14 §34–35
演義の描写
演義第29回で、孫策は江東を制したのち張紘を許昌に送って上表し、大司馬の官を求めるが、曹操が許さないので、常に許都を急襲する心を抱く。そこで呉郡太守許貢は、ひそかに使者を許都に送って曹操に書を奉る。孫策は驍勇で項籍に似ているから、朝廷は表向き栄誉と寵愛を示して彼を京師に召し寄せるべきであり、外の鎮に置いて後日の憂いとさせてはならない、という内容である。 演義 第29回 §1–2
使者は川を渡るところを江を守る将兵に捕らえられ、孫策のもとへ護送される。孫策は書を見て大いに怒って使者を斬り、事を議するという口実で許貢を招く。許貢が来ると、孫策は書を取り出して見せ、「お前は私を死地に送ろうとしたのか」と叱りつけ、武士に命じて絞め殺させる。許貢の家族は皆逃げ散り、その家の食客3人は仇を討とうとするが機会がないことを嘆く。 演義 第29回 §3
ある日、孫策が丹徒の西山で狩りをして大きな鹿を追い、一人で山上へ登ると、林の中に立っていた3人が韓当の兵士だと言い繕う。1人は槍で孫策の左の太ももを突き、1人は矢で孫策の頬を射当てる。孫策が顔に刺さった矢を抜いて射返し、射た者を倒すと、残る2人は「我らは許貢の食客だ。主人の仇を討ちにわざわざ来た」と叫んで死に物狂いで戦う。程普が手勢を率いて来て食客たちを切り刻むが、孫策は顔じゅうに血が流れるほどの重傷を負う。 演義 第29回 §3–6
演義は後人の詩を挙げて、許家の3人の食客が義のために死ぬことができたのだから、身を殺した豫譲も珍しくはないと称える。孫策は華佗の弟子から、矢じりの毒が骨まで染み込んでおり百日の間静養しなければならないと言われるが、郭嘉が自分を小人の手にかかって死ぬだろうと言ったと聞いて大いに怒り、同じ回で26歳で死ぬ。 演義 第29回 §7–10 · 35
演義と異なる点
官職:演義第29回で許貢は呉郡太守としてのみ登場する。正史では許靖伝に呉郡都尉として、朱治伝に呉郡太守として見え、孫破虜討逆伝は孫策を殺した食客の主人を「元の呉郡太守許貢」と記す。 演義 第29回 §2正史 蜀書 巻8 §4正史 呉書 巻11 §4正史 呉書 巻1 §36
朱治との戦い:演義には許貢が朱治と戦ったことは出てこない。正史の朱治伝では、呉へ進もうとする朱治を許貢が由拳で阻んだが大敗し、南の山賊厳白虎に身を寄せた。 演義 第29回 §2正史 呉書 巻11 §4
死んだ理由:演義第29回では、許貢が孫策を項籍になぞらえて都に召し寄せるよう勧める書状をひそかに曹操に送り、使者が捕らえられて露見する。正史の孫破虜討逆伝は孫策が許貢を殺したとだけ記し、その理由は明らかにしていない。 演義 第29回 §2–3正史 呉書 巻1 §37
死に方:演義第29回では、孫策が事を議するという口実で許貢を呼んで叱りつけたのち、武士に命じて絞め殺させる。正史の本文は孫策が許貢を殺したとだけ記し、どのように殺したかは記さない。 演義 第29回 §3正史 呉書 巻1 §37
仇を討った者たち:演義第29回では許貢の家族が皆散り散りになり、家の食客3人が仇討ちに乗り出す。正史では許貢の幼い息子が食客たちとともに逃れて川辺に潜み、その食客たちが孫策を撃った。正史は食客の人数を記さず、幼い息子は演義に登場しない。 演義 第29回 §3 · 5正史 呉書 巻1 §37
襲撃の場面:演義第29回では、孫策が丹徒の西山で鹿を追っていて、韓当の兵士だと言い繕った食客たちに槍と矢を受け、程普が来て食客たちを殺す。正史では孫策が単騎で出かけてにわかに食客たちと出くわして傷を負い、郭嘉伝は長江に至ってまだ渡らないうちのことと記す。狩りと程普は陳寿の本文のこのくだりには出てこない。 演義 第29回 §3–6正史 呉書 巻1 §37正史 魏書 巻14 §35
郭嘉の言葉:演義第29回では、孫策が負傷したのち使者から、郭嘉が自分を小人の手にかかって死ぬだろうと言ったと聞いて大いに怒る。正史の郭嘉伝では、孫策が許を襲おうとしたとき郭嘉が必ず匹夫の手にかかって死ぬだろうと見通したのであり、孫策がこの言葉を聞いたという記録はない。 演義 第29回 §9–10正史 魏書 巻14 §34–35
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3035+5
- 武力3533−2
- 知力4055+15
- 政治4038−2
- 魅力6260−2
- 徳5045−5
- 処世3225−7
- 文芸3535±0
- 弁舌3840+2
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 9件 — 根拠を見る
正死後、食客たちが仇を討とうと孫策を襲った呉書 巻1 §37魏書 巻14 §35
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。