韓嵩

正史演義 字 德高 Han SongDegao한숭덕고韩嵩

プロフィール
職業正演文官 · 大鴻臚所属
登場正演収録
出生出身地義陽郡
実在実在言及正8回

人物紹介

韓嵩は劉表の配下で従事中郎を務めた人である。正史には独立した伝がなく、劉表伝と武帝紀に見える。太祖が官渡で袁紹と対峙した時、別駕劉先とともに劉表に州を挙げて曹公に付くよう勧め、劉表の命で太祖のもとへ行って戻ると、子を人質として送るよう説いたため、劉表に疑われて殺されかけた。 正史 魏書 巻6 §86–88

劉表の死後は蒯越・傅巽らとともに劉琮に太祖へ帰順するよう説き、荊州が平定されると大鴻臚となった。 正史 魏書 巻6 §89 · 91 · 94

陳寿は魏書巻6の評で韓嵩を取り上げていない。演義では第23回に劉表の従事中郎将として初めて登場し、120回のうち2回に現れ、回目に名が入る回はない。第23回で許都へ行って戻り劉表に殺されかけ、第42回では荊州に入った曹操が、囚われていた彼を釈放して大鴻臚とする。 正史 魏書 巻6 §96–97演義 第23回 §23 · 26演義 第42回 §26

正史の記録

太祖が官渡で袁紹とまさに対峙していた時、袁紹が人を送って助けを求めると、劉表は承諾しながら行かず、太祖を助けることもせず、長江と漢水の間を保って天下の変化をうかがおうとした。従事中郎韓嵩と別駕劉先は劉表に、豪傑が並び争い両雄が対峙する今、天下の重みは将軍にかかっており、何かをなそうとするなら立ち上がってその疲弊に乗じ、そうでなければ従う先を選ぶべきだと言った。 正史 魏書 巻6 §86

二人は、十万の衆を擁しながら安座して観望するだけなら、賢者を見ても助けられず、和を請われても応じないという二つの怨みが将軍に集まり、中立を保つことはできないと言った。曹公の明哲のもとに天下の賢才がみな帰しているので、その勢いで必ず袁紹を倒し、兵を長江と漢水へ向けるであろうから、州を挙げて曹公に付き、長く福禄を享けて子孫に伝えるのが万全の策だと述べた。 正史 魏書 巻6 §87

劉表の大将蒯越も劉表に勧めたが、劉表は狐のように疑ってためらい、韓嵩を太祖のもとへ送って虚実を探らせた。韓嵩は戻ると太祖の威徳を深く述べ、劉表に子を人質として送るよう説いた。劉表は韓嵩がかえって太祖のために説いていると疑って大いに怒り、彼を殺そうとし、韓嵩に随行した者たちを拷問して殺した。その後、韓嵩に他意がないことを知ってやめた。陳寿は、劉表は外見は儒雅であったが心には疑いと妬みが多く、すべてこの類であったと記した。 正史 魏書 巻6 §88

建安13年(208)、太祖が劉表討伐に出たが、到着する前に劉表は病死した。これより先、劉表とその妻は末子の劉琮を愛して跡を継がせようとし、蔡瑁と張允がその一党となって、劉琮が後継ぎとなった。蒯越・韓嵩と東曹掾傅巽らが劉琮に太祖へ帰順するよう説くと、劉琮は、諸君とともに楚の地を保ち、先君の業を守って天下を観望することがなぜいけないのかと言った。傅巽は、臣下として君主に逆らうのは逆であり、劉備をもってしても曹公にはかなわないと言い、太祖の軍が襄陽に至ると、劉琮は州を挙げて降伏した。 正史 魏書 巻6 §89 · 91–93

太祖は劉琮を青州刺史とし列侯に封じ、蒯越ら侯に封じられた者は15人であった。蒯越は光禄勲、韓嵩は大鴻臚、鄧義は侍中、劉先は尚書令となった。武帝紀も、劉琮が降伏したのち太祖が江陵へ進軍して荊州が服従した功を論じ、荊州の名士韓嵩・鄧義らを招いて用いたと記す。陳寿の本文は韓嵩の没年を記していない。 正史 魏書 巻6 §94正史 魏書 巻1 §104

陳寿は魏書巻6の評で、袁紹と劉表はともに外は寛容で内は猜忌し、謀を好んで決断できず、人材がいても用いることができず、善言を聞いても受け入れられなかったと述べた。評に韓嵩の名は出てこない。 正史 魏書 巻6 §96

演義の描写

演義第23回で、曹操が送った禰衡が荊州に来ており、袁紹の使者も到着すると、劉表は謀士たちにどちらに従うべきかと問う。従事中郎将韓嵩が進み出て、両雄が持ちこたえている今、大事をなそうとするならこの隙に乗じて敵を破り、そうでなければよい方を選んで従うべきだと言う。曹操は必ずまず袁紹を討ってから兵を江東へ向けるであろうから、荊州を挙げて曹操に付くに越したことはないと勧める。 演義 第23回 §22–23

劉表がまず許都へ行って動静を探れと言うと、韓嵩は君臣にはそれぞれ定まった分があると答える。劉表が上は天子に従い下は曹公に従えるのなら自分を遣わしてもよいが、ためらったまま遣わし、天子が自分に官職を一つ授ければ、天子の臣となって二度と将軍のために死ぬことはないと、あらかじめ言っておく。劉表は、まず行って見てこい、自分には別に考えがあると言う。 演義 第23回 §24

許都に着いた韓嵩を、曹操はただちに侍中とし零陵太守を兼ねさせる。荀彧が、動静を探りに来ただけでわずかな功もない者に重い職を加えたのはなぜかと問うと、曹操は禰衡のことだけを答え、韓嵩を荊州に帰して劉表を説かせる。 演義 第23回 §25

戻った韓嵩が朝廷の盛徳を称え、子を朝廷に送って天子に仕えさせるよう勧めると、劉表は「おまえは二心を抱いたな」と大いに怒って彼を斬ろうとする。韓嵩が「将軍が私に背かれたのであって、私が将軍に背いたのではありません」と大声で叫び、蒯良が、韓嵩は出発する前からすでにそう言っていたと言うと、劉表はついに彼を許す。 演義 第23回 §26

第42回で関羽が陸路を遮ると、曹操は伏兵を疑って追うことができず、劉備が先に江陵を奪うのを恐れて夜を徹して江陵へ駆けつける。荊州の治中鄧義と別駕劉先が軍民を率いて出て降伏すると、曹操は城に入って民を安んじたのち、囚われていた韓嵩を釈放して大鴻臚とする。 演義 第42回 §26

演義と異なる点

勧めた時:演義第23回では、曹操が送った禰衡と袁紹の使者が荊州に来ている時、劉表の問いに韓嵩がひとり進み出て曹操に付くよう勧める。正史では、太祖と袁紹が官渡で対峙した時、従事中郎韓嵩と別駕劉先がともに劉表に進言し、大将蒯越も勧めた。禰衡はこの箇所に登場しない。 演義 第23回 §23正史 魏書 巻6 §86 · 88

出発前の言葉:演義第23回で韓嵩は許都へ発つ前に、天子が官職を授ければ天子の臣となって二度と将軍のために死なないと、あらかじめ言っておく。正史劉表伝の陳寿の本文にこの言葉はない。 演義 第23回 §24正史 魏書 巻6 §86–94

許都で受けた官職:演義第23回では、曹操が許都に来た韓嵩をただちに侍中とし、零陵太守を兼ねさせる。正史劉表伝の陳寿の本文は、韓嵩が太祖のもとへ行って虚実を探り戻ったとだけ記し、その時受けた官職は記していない。 演義 第23回 §25正史 魏書 巻6 §88

帰還後:演義第23回では、斬ろうとする劉表に韓嵩が「将軍が私に背かれたのだ」と叫び、蒯良が出発前にすでに言っていたことだと口添えして許される。正史の陳寿の本文では、劉表は韓嵩に随行した者たちを拷問して殺した後にようやく韓嵩に他意がないことを知ってやめたのであり、蒯良は登場しない。 演義 第23回 §26正史 魏書 巻6 §88

劉琮の降伏:正史劉表伝では、蒯越・韓嵩と東曹掾傅巽らが劉琮に太祖へ帰順するよう説いた。演義第40回では、傅巽と蒯越、そして王粲が劉琮に荊州を曹操に献じるよう勧め、韓嵩は登場しない。 正史 魏書 巻6 §91演義 第40回 §19–22

大鴻臚となった経緯:演義第42回では、曹操が江陵城に入り、囚われていた韓嵩を釈放して大鴻臚とする。正史の陳寿の本文には韓嵩が囚われたという話はない。劉表伝は劉琮の降伏後に韓嵩が大鴻臚となったとし、武帝紀は太祖が江陵へ進軍した後、荊州の名士韓嵩・鄧義らを招いて用いたと記す。 演義 第42回 §26正史 魏書 巻6 §86–94正史 魏書 巻1 §104

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力7265−7
  • 政治4845−3
  • 魅力5545−10
  • 徳6066+6
  • 処世6264+2
  • 文芸5240−12
  • 弁舌6660−6
  • 用人4542−3
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

文芸・学術正52推定演40推定 −12

正直接の記録なし — 荊州の名士という記録から推定魏書 巻1 §104

演直接の記録なし第23回 §23

近い項目 8件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

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