演義の場面
斬蔡陽兄弟釈疑 斬蔡陽兄弟釋疑
事件紹介
「斬蔡陽兄弟釈疑」は、演義第28回の回目「斬蔡陽兄弟釈疑 会古城主臣聚義」の前半の場面で、古城を占拠していた張飛が曹操に降った関羽を疑って矛を向けると、関羽が追ってきた曹操の将蔡陽を張飛の太鼓一通のうちに斬って真心を示す話である。「五関を過ぎ六将を斬る」の一くだりである。 演義 第28回 §27–37
陳寿の本文にも蔡陽の死がある。蜀書巻2の先主伝は、汝南の劉備を討ちに来た蔡陽が劉備に殺されたとし、魏書巻1の武帝紀は、彼が龔都を討って龔都に破られたと記す。 正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73
演義の描写
第28回で汝南へ向かう関羽は、秦琪を殺したとして追ってきた夏侯惇と対峙するが、曹操が送った張遼の言葉で通され、夏侯惇は秦琪が蔡陽の甥なのでこのまま済ますわけにはいかないと言う。関羽は郭常の荘園で赤兎馬を盗もうとしたその息子を父の顔に免じて許し、道で出会った裴元紹と周倉のうち周倉だけを連れていく。 演義 第28回 §1–27
徐州で散り散りになった後、芒碭山にいた張飛が県の役人を追い出して古城を占拠したと聞いて、関羽は喜んで孫乾を送る。しかし城を出てきた張飛は、関羽が兄者を裏切って曹操に降り侯爵を受けたとして矛を振るって突きかかり、桃園の誓いを忘れたのかという関羽や二人の夫人、孫乾の言葉にも耳を貸さない。折しも曹操の軍勢が近づいてくると、張飛は関羽が自分を捕らえに来たのだと疑う。 演義 第28回 §27–34
関羽があの将を斬って真心を示すと言うと、張飛は太鼓を三通鳴らす前に斬れと言う。甥の秦琪の仇を討つと駆けつけた蔡陽は、張飛自ら打つ最初の一通が終わらないうちに関羽の刀で首を落とされる。捕らえた兵卒から関羽が許都にいた時のことを聞いた張飛はようやく信じ、二人の夫人から関羽の経てきたことを聞くと、泣いて関羽に拝礼する。訪ねてきた麋竺・麋芳まで集まり、宴を開く。 演義 第28回 §35–40
演義と異なる点
蔡陽の死:演義第28回で蔡陽は甥の秦琪の仇を討とうとして古城の前で関羽に斬られ、捕らえられた兵卒は、曹操が彼を汝南へ送って劉辟を討たせたのだと言う。正史の先主伝では、曹操は蔡陽を送って、汝南で龔都らと合流した劉備を討たせたが、蔡陽は劉備に殺されたとし、武帝紀は、彼が龔都を討って不利となり龔都に破られたと記す。 演義 第28回 §35–37正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73
張飛の行方:演義第28回で張飛は、徐州で散り散りになった後、芒碭山にとどまり、やがて古城を占拠している。正史の張飛伝は、劉備が曹操に背いて袁紹と劉表に身を寄せたとだけ記し、張飛が別に城を占拠したことはない。 演義 第28回 §27 · 29正史 蜀書 巻6 §15
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。